第6話 4階を間違い6階で誤解が飛び交い弁解はもう限界
助けて!誰か!
いや誰も来ないで!
もうどうしていいかわからない!
固まって汗だくになる俺の気配は相当怪しかったのだろう。
「ん……」
一旦きゅっと全身を縮めて、姫様がぼんやりと目を開けた。
俺は観念し、しかし最後の足掻きとしてできるだけ手を伸ばし、体を遠ざけた。姫様は俺のせめてもの紳士たる誠意を汲んでくれるだろうか。
姫様はふわぁ、とあくびをしてうさぎに顔をこすりつけ、握ったままの俺の指に気付き、指、手、腕、肩、と目でたどり、最後に俺の顔で目を止めた。
「……」
「……おはようごさいます」
「……」
仕方ないので挨拶すると、姫様のぽやんとした目が、みるみるまんまるになった。そのまま姫様のうさぎを抱いていた手が口元に添えられ、息を大きく吸い、
「き」
「待って待って、クロノです、ごめんなさい、悲鳴あげないでください、違うんです!」
俺は強引に指を引き抜き、姫様にうさぎのぬいぐるみを押し付けた。うさぎ、お願いだ、姫様の悲鳴を吸収してくれ!
姫様はうさぎの下でじたばたしていたが、
「離しなさい、無礼者!」
「おふ!」
姫様の足が俺の腹を直撃した。俺は腹を抱えて膝から崩れ、うずくまる。効いた。
「私を殺す気ですか!」
「めっ、滅相も、ない……です」
息ができない俺を、飛び起きてベッドの上に仁王立ちになった姫様が息を切らせながら睨みつける。結い上げた髪が崩れてしまっているが、上気した頰とあいまってちょっと色っぽい。
なんて考えている場合ではなかった。
「どうして勝手に入ったんです!呼んでいませんよ!」
「あの、げふ、あれ」
俺は咳き込みながら涙目で必死にワゴンを指差した。
「食事は食堂へと言われたでしょう」
「だから、げほ、4階の食堂に運んで、ごほ」
「ここは6階の私の寝室です!」
えっ。
顔を真っ赤にして、咳き込みつつもぽかんとした俺に、姫様はようやく少しだけ怒りを収めた。
「この塔は3階から始まるから、4階のボタンは下から2つ目です」
な、何だって!
驚く俺を、姫様は呆れたように見下ろした。
「クロノって、年だし落ち着いてそうなのに、全然落ち着いてないのね」
年。姫様からはそう見えるのか。見えるだろうな。おっしゃる通り若くないし、最近めっきり白髪が増えてきたし。事実を指摘されただけなのに、俺は落ち込んだ。
「いいでしょう、あなたはもうここに来ることはないんだし」
姫様も自分に言い聞かせるように息を整えながら言った。
「いいですかクロノ、あなたは私の侍従だけれど、私は修道院育ちですから、身の回りのことは自分でできます。あなたは必要以上に私に近付かないで。呼ばない限り来ないで。できるだけ同じ部屋にいないで。あなたから直接私に話しかけないで。わかりましたか?」
流れるように命じられ、俺は聞き取るので精一杯だった。理解が追いつかない。
「ええと」
「話しかけないで、早く出て行って!」
ばしっと声をたたきつけられて、俺はよろよろと、自分ではできるだけ急いでいるつもりで立ち上がった。
そこに飛び込んできたのはヨスコさんだった。
気忙しく扉がノックされ、サリー、と大声で呼びかけながら入ってくる。
「サリー、寝てたらごめんね、クロノがいなくて、まさかとは思うけどここに来るようなことがあったらいけないから」
ヨスコさんと俺は向かい合わせてしばし固まった。
我に返ったのはヨスコさんが先だった。はっとして素早く姫様の様子を確認し、問答無用で剣を抜く。
見えないはずの速さで目の前を抜けた白刃が、やけにはっきりと見てとれた。
「うわわわ!」
避けられたのは奇跡だった。
「貴様、サリーに何を!」
ベッドの上の姫様の乱れた髪、潤んだ目。でも俺はヨスコさんが危惧しているようなことはこれっぽっちもしてないんだ!
「違う、俺は何も、わああ!」
弁解する間は与えられず、それほど広くない部屋の中で俺は逃げ惑い、ベッドに倒れ込んだ。
「やだ、クロノ、私のベッドに勝手に触らないで!」
「貴様という奴は!」
静観を決め込んでいた姫様に猛然と叩き出され、ヨスコさんは激昂して剣を振るう。
風が額をなで、逃げ場を失った俺の前髪が散った。
もう死ぬ、殺されると思った瞬間、俺の中で何かが吹っ飛んだ。
「何だよ、あなたたちは!」
足を止め叫ぶ俺に、ヨスコさんが思わず怯む。その隙に俺はぎっと姫様を睨んだ。
「男に慣れろって、言われたんでしょ!従うって決めたんでしょ!なのにこんなことできゃあきゃあと、そんなんじゃいつまで経ってもお嫁になんか行けませんよ!」
姫様は目を丸くし、きゅっと唇を噛んだ。
「ヨスコさんも、あなたが大騒ぎするから姫様が甘えて頼るんですよ!あなたは姫様をどうしたいんです?甘やかして、自分の思う通りの子供のままでいさせたいんですか、姫様はそれで通用するんですか!」
ヨスコさんは何を、と言ったきり黙り込んだ。
俺は肩で息をしながら、今だ、と思った。ワゴンに手をかけ、後ろ向きに部屋を飛び出そうとして、
ぷむぎゅ。
柔らかいものに受け止められ、俺が振り返ると、ヴィオさんの顔がすぐそこにあった。
「わああ、ご、ごめんなさい!」
「突然女性の胸に飛び込んでくるのは、不作法ですよ」
優しく叱られ、しかし謎の迫力に俺はぞっとした。
「サリーもヨッちゃんも、言われちゃったわね」
しかも聞かれていた。
ヴィオさんは俺たちを順繰りに見て、微笑んだ。
「では、どうしてこんなことになったのか、事情を説明してもらいましょうね」
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