第2話 応接の間にて

 頭の痛みに耐えかねて、俺は目を覚ました。

「……おお、気が付かれましたか」


 今度は目の前におっぱい、いや女性の胸ではなく、皺くちゃの老人の顔があった。

「ご無事で何よりでした。魔女の塔から生きて出られた男性は、あんたが初めてです」

 俺は床に横にさせられていた。起きあがろうとすると頭が更に痛んだ。思わず動きが止まる。


「そもそも男子禁制だからな」

 頭の上で不機嫌そうな女性の声がした。あの白い髪の女性かと思って顔を上げると、ずきりと頭が痛んだ。頭に手を当て、痛みを堪えながら見上げる。


 知らない女性だった。黒に近い髪をおさげにした面長の女性が、苛々を丸出しにして俺を見下ろしている。

「貴様、どうやってセーラレイン様のバスルームに侵入したのだ。塔の出入り口は鍵がかかったままだったのに」

「セ……?いや、俺にもわかりません、気がついたらあそこにいて」

 そこで俺はまだ濡れたスーツを着ていることに気が付いた。時間はそれほど経っていないようだ。


 俺は頭を強く押さえ、痛みを我慢して体を起こした。

「ひどいコブになっておりますから、ご無理ならさぬように」

 老人が指摘する。言われて触ってみると、髪の生え際がひどく腫れていた。これはひどい。しかし二日酔いでなくて良かった。

 ……そうだ、俺、全然気持ち悪くない。あんなに気持ち悪くて、吐いてて、電柱に寄りかかっていたら、ヘッドライトが。


 うっ。

 吐き気がし、俺は口元を押さえた。


「ほれ、言わんこっちゃない」

 老人が俺の背中に飛びつき、さする。いやそこは桶が当たったところです、痛いよ。

 あちこち押さえる俺を呆れたように見下ろし、見下して、女性が言った。

「起きたなら行くぞ。セーラレイン様がお待ちだ」

 

 俺は濡れたままのスーツで女性の後ろを歩いた。


 変な建物だ。石造りでしっかりしているが、廊下は狭く、廊下を区切る扉がもう3枚もあった。その全てに鍵がかけてあるようで、俺の前を行く女性はいちいち鍵を開け、かけ直して進んだ。

 女性の服装も少し変わっている。深い緑色のコートを着ていて革のブーツを履いているが、腰に下げているのは、剣ではないだろうか。コスプレか?


 次の扉は今までの無骨な木の扉とは違い、白く塗られていた。女性はその前で立ち止まり、銀のノッカーで扉をノックした後、声を張った。

「セーラレイン様、ヨスコッティ・フローレンス、先ほどの侵入者を連行して参りました」


「入りなさい」


 応答があり、中から扉が開けられる。

 中で開けてくれたのは、また別の女性だ。セミロングの黒髪に、青い足首まであるワンピースを着ている。彼女は剣は持っていないようだ。

「不作法ですよ」

 あまり見つめていたからか、青い服の女性に柔らかく注意された。俺はすみませんと謝り、何をしている、と振り返って声を荒らげたヨスコなんとかさんにあわてて追いついた。


 ヨスコさんがすっと膝を着く。

 ぼんやり立ち尽くした俺は、ヨスコさんに強くズボンを引っ張られて急いで同じように膝を着き、頭を下げた。


「ヨスコッティ、大儀でした」

 凛とした声が降ってきた。さっき、入室を許可したのはこの人か。そしてこの声は。


 ぱたん、と扉が閉められる。途端に凛とした声は、

「ふぁーあ」

 あくびをした。


「ヨッちゃん、もういいでしょう。このやりとり、疲れて嫌いだわ」

「姫、まだ応接の間ですよ!どこで誰が見ているかもわからないのに!」

「見ていませんよ、あなたがしっかり鍵をかけてきたのでしょう」

「ですが……こやつのような例もあるのです!警戒を怠らずに身を慎まなければいけないのに、こんな時だから……」


「ヨスコッティ!」

 青い服の女性の声が鋭くヨスコさんの言葉を制した。ヨスコさんがはっと言葉を切る。


「……こんな時。そうですね、あれだけ華やかに国を出たのに、婚約を破棄されて突き返されて帰ってきた時くらい、おとなしくしていないとね」

 凛とした声が自嘲するように言い、少しだけ震えた。俺は思わず顔を上げた。

 ヨスコさんの前、少し高くなっている床に置かれた椅子に座っていたのは、やはりさっき風呂場で鉢合わせた白い髪の女性だった。


 黒い服を着ている。

 座っているので形はよくわからないが、長いワンピースのようだ。

 今は長い髪は結い上げあり、露わになった首元はきっちりと閉めた襟で覆われている。袖も長く、手袋をしているので、肌は顔くらいしか出ていない。

 しかも頭巾のような帽子をかぶっているので、口元しか見えない。それでも、その肌の白さは見間違えようもなかった。


 しかしそれより、そんなことより、今、彼女がひどく悲しんでいたように思えて。


 少し横を向いて、笑うように唇を歪めているが、その唇は小さく震えている。

「不作法ですよ」

 青い服の女性に俺はまた柔らかく咎められた。黒い服の女性が驚いたように俺を見、俺ははっとして頭を下げた。


 その一瞬だけ目が合った。彼女はひどく無防備な目をしていた。


「お前はそのまま動くな!次に勝手に動いたら、その首飛ばしてやるからな!」

 ヨスコさんが頭を下げたまま俺を振り返り、小声で叱責する。

 ヨスコさんは剣のようなものを持っている。万が一でも冗談でなかったら大変だ。俺ははい、と震え上がりながら答えた。


「姫も、そのような仰りようはお控えください。いやしくも」

「もう、ヴィオもそういうのは結構です。疲れちゃう」

「姫、おおやけの場ではわたくしのことはヴァイオレットとお呼びください」

 カツン、と靴の音がした。姫と呼ばれている黒い服の女性が立ち上がったらしい。


「公も何も、魔女の塔に忍び込んだ男の処遇なんて決まっているでしょう。ヨッちゃんとヴィオしかいないなら、プライベートと同じです。ヨッちゃん、さあ早く、父王様の決定を報告してください」

 ヨッちゃんとはヨスコさんのこと、ヴィオが青い服の女性のこと。


 え。え。それってつまり、もう俺はいないことになっているのか。


 どっと汗が出る。

 逃げ出すべきか、しかしどうやって。ここを突破しても、来た道には鍵がかけられている。

 窓から逃げるか?

 頭を下げたまま周囲を確認するが、窓らしきものは見える範囲にはない。石造りの床、壁。


 姫がカツカツと歩き回りながら、ハッキリと言った。

「処刑でしょう?」


 俺は心臓が止まりそうになった。

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