第6話

【水曜日】


午後になってようやく身体も楽になり、洗濯物を干していたので、父が珍しく心配そうに声をかけてきた。大丈夫だからと私は笑顔で答えていた。

父は出かけないのだろうか、本が読みたい。頭の中をぐるぐるとそれだけが巡っている。本当に私は変になってしまったようだ。

昨夜の出来事が何故起きたのか、あの壺は何なのだろう。普通ならそう考える所を、私の思考は拒否していた。ただただ本が読みたかった。

弟に、“だいぶ具合は良くなったけれど無理しないことにして休みを伸ばす”とメールをした。返信には彼女がうちに来て夕飯を作ってくれることになったと書いてあった。ありがたいことだ。その時は本当にそう思った。


弟は仕事帰りに彼女と待ち合わせをして買い物も終えて帰ってきた。そのあと、二人で台所に立ち夕飯を作り始めた。その姿は微笑ましかった。新婚みたいだ。

父もご機嫌で、皆で楽しく夕食を終えた。

私と彼女で食器を洗い片付けをした時に、彼女はまた同居の話をし始めた。この家が気に入ったと、特に“おばあちゃんの部屋”はちらっとしか見ていないけれど特に気に入ったから今度の土曜日には昼間ちゃんと見てみたいと言っていた。私の胸はもやもやしてきた。見せたくない。そして、同居もして欲しくない。そう思い始めていた。


【木曜日】


木曜日、私は地元の友達と会っていた。本当は私が実家に来て三日目に会う予定だったのだけれど、友達の方が急に都合が悪くなり、今日に伸びたのだ。三日前とは最初に本を読んだあの日だった。

彼女は中学の時の友達でいつも一緒に過ごした仲だった。その頃はお互いの家に泊まりにいっては、夜のおしゃべりを楽しんでいた。そんな昔の話をしていた時も、今の近況を話し合っていた時も、私の心は“おばあちゃんの部屋”へ飛んでいた。私の知らない所で誰かが鍵を開けていないだろうか、壺に手を入れてはいないだろうか。定年退職した父しか家にいないし、そんなことはあり得ないのに、心配で落ち着かない。

すると友達が、「また“みり”んちに泊まりに行こうかなぁ、あの家懐かしいよね〜」と言った時に、ぎょっとした。

慌てて、「うちは、まだ母さんが亡くなってから色々と片付けが大変でさぁ、ちゃんと片付け終わったら声かけるよ」と言っていた。今度同じことを言われたらどうしよう。断る理由を考えておかないと。‥私ってこんな人間じゃなかったはずなのに‥、やっぱり変だ。



その夜弟と父に、私がいる残りの間“おばあちゃんの部屋”で過ごすことを宣言した。

なんで?って弟に言われたけれど、おばあちゃんやお母さんが過ごした部屋に居てみたくなったと言い訳していた。

「ふぅん‥」と、興味なさげに「まぁ、いいんじゃない?あの部屋は姉ちゃんの部屋より少し広いし、日当たりもいいしね。」と納得したようだったので、ほっとした。

父はもとより本当に興味がないようだった。母が過ごした部屋は嫌いなのかもしれない。

部屋を移動すると言っても、元々布団は押し入れに入っているので何か荷物を持ち込む訳ではなく、主としてあの部屋で過ごすことを宣言することで、部屋に居ること自体に疑問を持たせないようにするためだった。

よし、まずは成功だ。


夜9時過ぎになってから彼と電話で話をした。彼の仕事は終わる時間がなかなか読めない。その日の進み具合と、不意に入ってくる業務の有無によるから、早めに何時に話せるかを聞いても、わからないから目処がついたらメールすると言われた。そしてようやく一時間前にメールがきたのだった。

それからきっかり一時間でかかってきたと言うことは、彼は家に帰り夕飯を終えてから直ぐにかけてきたのだろう。もっと遅くで良いのに。シャワーでも浴びてスッキリすることが出来たのだろうか。

彼と話すのはとても楽しい。とても心が躍る。そして、切なくなる。こんなに会いたいのに帰る日を延ばすなんて、私は一体何をしているのだろう。彼にも体調のせいで延ばすと話したら、とても心配してくれた。ごめん、恭ちゃん、日曜日には帰るからね。

彼は明日も仕事だから長話は辛いだろうと、私は自分の体調を理由に電話を30分程で終わりにした。本当はもっともっと声を聞いていたかったのに…。



布団を敷き、寝る準備を整えた。

日中、布団を干せればよかったけれど、出かけてたから仕方がない。自分の布団を持ってくるのも面倒だったし。この部屋のものは清潔な気がしてたし、それは事実だった。母が綺麗好きだったからだ。母が亡くなってからも、押し入れの中は全くカビ臭くない。あぁ、長押の裏は埃が多かったけれど、そこは普段掃除しない場所だから仕方がないのだろう。

障子を開けて外を見ると雲がかかり月はどこにも無かった。電気を消してしまうと闇が深く、本を見られる状態ではなかった。天井の電気を豆電球だけにしてみたけれど、字を読むには足りない光だった。明るさはニ段階選べるようになっている。そのうち少し暗い方を選んでつけてみた。

そのまま、布団の上にぺたんと座り、ぼうっとしていた。何も考えることが出来ない。そして、何故か本を読みたいと言う気分にならなかった。だから、壺から鍵も出してはいなかった。

あれほど読みたくて読みたくて、この部屋に来たというのに、この気分の波は何なのだろう。

仕方なく、電気を消して布団に潜り込んだ。暗い中で目が慣れてくると箪笥や壺を眺めていた。そして、いつしかまま眠ってしまった。



どのくらい間眠ったのだろうか。目が覚めたとき自分が何処にいるのかわからなかった。布団に入ったまま、見える天井は私の部屋のそれとは違っていた。あぁここは“おばあちゃんの部屋”だったっけ…。

!、天井の“模様”が見える? 暗い筈なのに、まだ朝陽は出てはいなかったから、これは月明かりだ!

急に目が冴えてカバッと起き上がり障子ににじり寄っていた。

“月”は?

障子を開けて見上げてみる。出ている。ハッキリと、まだ斜め上辺りに。

あんなに曇っていた筈なのに、眠っている間に雲は何処かへ行ってしまったらしい。

急にドキドキしてきた。もう自分が“それ”を期待している感じがする。

それからの行動は早かった。壺から鍵を取り出す時には流石に怖くなったが、手を入れても何も起きなかったので、慣れた手つきで鍵を出し箪笥を開け、また別の本を取り出していた。

月明かりに照らされた綺麗なカバー。手でそっと撫でて心を落ち着かせていた。

よしっ!っと何の気合いなのだろうか、顎をひき、一呼吸して、読み始めた。

読み始めると、もう周りが見えなくなっていた。本の世界に入り込み、今回もあっという間に身体が変化していった。

一気に読み終えた時には、思わず「恭ちゃん…」と声に出して求めていた。会いたい。なのにごめん。

そして、私の手は壺に伸びていた。



第7話へ続く

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