第5話
物音を立てずに二階の自分の部屋へ戻ってきた。部屋の電気を薄明かりにして、まずは本を閉じた状態で表と裏の模様を確認してみた。やはり昨日とは違うカバーの本だった。これも綺麗な模様だ。
カバーを片側だけ剥がして表紙を見てみたが特に変な所はない。ごく普通の本のように見える。
カバーを元に戻し、今度はページを捲ってみた。そして、この本を読み始めた。
昨日と同じような描写が続く、これも大人の読み物なのだ。読み進めていくうちに、昨日とは違う感覚であることに気がついた。私の身体が何も反応しないのだ。内容はとてもリアルで昨日の本と何も表現の仕方は変わっていない。けれど、特にこれといって何も感じない。不思議だった。これが本当の感覚で、昨日の私がどうかしていたのだろうか。
小1時間で読み終わってしまった。やっぱり、なんてことはない内容だった。面白くないわけではないが、それほど官能的とは感じなかった。このままこの部屋に置いておくのは弟に見られる可能性もあり、それはやっぱり恥ずかしいので、今夜のうちに戻すことにした。
さっきと同じように“おばあちゃんの部屋”に入って、同じように鍵を壺から取り出した。手を入れた時の感覚は、やはり何か物足りないような変な感覚がしたが、それが何かはもやもやとした曖昧な感じでよくわからなかった。
箪笥の鍵を開け本を戻し、ハンカチをかけて引き出しを閉めようとしたけれど、どうしてもまた本が読みたくなってしまった。私ったら何を期待しているのだろう。そして、また別の本を手に取っていた。
月明かりはこんなに明るかったのだろうか。本を片手に障子を開けて空を見上げてみた。ベランダで見た時はまだ下の方にあった月は、もうかなり頭上へ移動している。障子を開けていれば窓辺でも字がはっきりと見える。これなら読める。面倒くさいということもあり、自分の部屋へ戻らずにここで読むことにした。
またドキドキしてきた。さっき自分の部屋で読む時はしなかったのに、何故だろう。この部屋だと何でこんな風に胸をかき回されるような、期待と後悔の入り混じったような妙な気持ちになるのだろうか。
そしてページを捲り、真剣に読み始めた。
ほんの2、3ページ読んだ所でもうその描写は始まっていた。なかなか早い展開だ。のめり込んで読み進める。何となく身体が熱ってきたようだ。まるで私の他に誰かそばにいるかのように耳元に吐息がかかる感じや、唇に触れられる感じが時々していた。本の内容はかなりリアルな描写が続く、そして私の身体は完全に反応してしまった。
あぁ、何故なのだろう。さっきと何が違うのだろう。けれどそんなことはもうどうでも良かった。
読み終えた時には、いてもたってもいられなくなっていた。
『恭ちゃん‥会いたいよ…』
真夜中だから、電話で声を聞く事もできない。
落ち着かない。とにかく、早く自分の部屋に戻ろう。
でも本は戻しておいた方がいいような気がして、引き出しに雑に入れ鍵をかけた。鍵も壺へ戻そうと手を入れたその瞬間、壺が生き物のように私の手に吸い付いてきた。
私は気を失った。いや、実際は失ってなんかいないし、しっかり覚えている。けれど失っていた方が良かったのかもしれない。
その壺は私の手に吸いつきながら、ぐにゃぐにゃと柔らかくなり大きく広がりだした。肌のようになめらかに、青白くそして艶かしく、模様の赤い線は周りに浮き出て血管となり脈を打ちながら、あっという間に私を包み込んでいった。そして、私を絶頂へと誘(いざな)った。
抵抗など全く無意味なほどの強い力で、壺は私の身体の中へも入り込み、私は壺と一体となった。その後のことは、どうしようもないほどに我を見失った。
しかし、その一瞬で理解した。この壺は、私の“中”が、柔らかく膨らみ、溢れるほどに潤って、“受け入れられる状態”になることを待っていたのだ。私は今までに経験したことのないほどの脳へ突き抜けるような衝撃を感じて、そしてようやく本当に気を失った。
どれほどの時間が経ったのだろう。目が覚めて体を起こした時に、外は薄らと朝を迎える準備をしていた。壺は定位置に戻っている。本はしまったはずだから箪笥の中だろう。鍵も見当たらないから壺の中なのだろう。夢だったのだろうか。いや違う。それは私の身体がそういっていた。
身体が重い、特に下腹部あたりに鉛を入れているような感じだった。歩くのもよろけてしまう。這うように自分の部屋へ戻り、なんとか布団に潜り込んだ。もう、何も考えることができず、また気を失うように眠ってしまった。
「姉ちゃん、起きないの?ご飯は?」
弟の声で起こされた。
「朝ごはん、姉ちゃんが作ってくれる約束だったじゃん、もう間に合わないからいいけどさ、調子でも悪いの?今日までうちにいられるんだっけ?」
弟は部屋のドアを半分ほど開けて、上半身だけ斜めに覗き込むような格好で声をかけていた。
「ああ、ごめん、…なんか頭が痛くって」
「休み伸ばせられないの?無理すんなよ、じゃぁ俺仕事行ってくるから!」
「うん、わかった。今夜帰る予定だけど、考えてみる。ありがとう」
弟は、ちょっと不安げな表情をしたけれど、頷いて部屋を出ていった。
休みを伸ばす‥か、できるかな…。
まだ身体には、昨夜のことが現実にあったという感覚が微かに残っていた。
本当に今日帰る予定だった。何時に帰るかは決めていなかった。たっぷり半日悩んだ結果、職場に電話をかけていた。具合が悪いことを告げ、少し伸ばしてもらうことにした。今日は水曜日だから、あと二日あれば後は土日で帰るまで余裕ができる。今は仕事のことが考えられなくなっていた。
なんてことだろう。こんなこと初めてだ。私らしくない。けれど、どうしてもそうしなくてはいけない気持ちになっていた。
『恭ちゃん、会えなくてごめん、でもとっても会いたいよ…本当は今すぐにでも…』
夜になったら電話しよう。
第6話へ続く
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