第4話
読み進めるうちに、やはりこの本も官能小説だとわかった。リアルな性描写、まるで自分に起きていることのように感じる。私はいつしかのめり込み、落ち着かない気持ちになってきた。今すぐ恭ちゃんに会いたくてたまらなくなるほどに私の身体は正直に反応していた。
途中でやめることができないまま、一気に一冊を読み終えてしまった。どのくらい時間がかかったのだろう。思考が上手く働かず、よくわからなかった。
『恭ちゃん…』
その後は、誰もいない家で、誰もいないこの部屋で、私の指は欲望に応えていた。
どうやらそのまま寝てしまったらしく、気がついた時には少し陽の位置が動いていた。
途端に恥ずかしくなり、本を全て引き出しに戻して鍵をかけた。
鍵は持って行こうか、壺へ戻そうか悩んだけれど、一回戻すことにした。鍵を持つことがとても恥ずかしい気がしたからだ。
仕事の休みは後2日ある。すぐにでも自分の家に戻って、彼に会いたいと言えば、彼は仕事が終わった後に会ってくれるだろうか。
そう考えて見たけれど、早く会いたい反面本が気になって仕方がない。
“おばあちゃんの部屋”を出た後も、ずっと気になって何も手につかない。お昼ご飯を食べる事も忘れていた。
午後の早い時間に父は帰宅した。
私は、留守の間に怒られるようなことをしてしまった子供のような罪悪感でいっぱいになっていた。
いい大人なのだし、何もそんなふうに考える事もないのだろうが、ここが実家だからそう思うのだろうか。
買い物をして夕食の支度をすまし、少し落ち着いたところで弟も帰ってきた。
夕食を食べながら、弟は仕切りに仕事の愚痴をこぼしていた。父親の厳しい返しをかわしながらも自分の主張を曲げずに話し続けている。私は半ばうわの空で相槌を打ちながら、弟が昨日話していた母が亡くなった時から無くなったと言う本のことが気になっていた。もっと詳しい状況を知りたい。私が子供の頃見た本だったのか、そしてさっき見た引き出しに無かった本だったのか。それを聞くのには本のカバーの柄を説明しなければならないだろうが、説明のしようもなければ弟が覚えているかも怪しいところだし、そもそもここで聞くような話でもなかった。
弟の愚痴話も落ち着き、夕食を食べ終わったところで、二人に明日の予定を聞いてみた。もちろん弟は仕事で、帰りは彼女に会うから夕飯はいらないし遅くなるらしい。父は午前中は家にいるが午後から病院に行くと言った。総合病院だから予約を取っているといっても時間がかかるし、会計も薬を受け取るまでもいつもとても待たされるから、家に帰ってくるまでに半日はかかってしまうとぼやいていた。それを聞いた私はドキドキと脈が早くなり落ち着かなくなっていた。
今夜は月が出ている。二階のベランダから見える夜空は、空気が澄んでいるせいか星もたくさん見えていてとても綺麗だ。
私は彼の声が聞きたくてたまらなくなり、今さっきまで電話で話をしていた。その余韻で少し身体が熱っぽくなり、外に出て冷ますことにしたのだ。
彼の声はとても優しくて心地よい。彼が話している時は、耳と携帯の隙間からほんの少しでも彼の声が漏れてしまったら勿体無いかのように、強く耳を押しあてて、目を瞑りその声が放つ世界に浸っていた。あぁ、彼の腕の中にすっぽりと包まれたい。そんなことを想像をしながら、この三日の間にあったことをお互い話していた。もちろん、本の話はしていない。
深夜になっても寝つけなかった。昼間はなんだか気恥ずかしくなって本を箪笥に入れて鍵をかけ、鍵をツボに戻してしまったが、鍵をかけたのはともかく、ツボに戻さなくてもよかったのではと後悔してきた。明日にはもう鍵がなくなっているのではないかと不安になってきた。朝起きて直ぐに確認しにいくことは家族がまだ家にいるから難しい。できるのだろうけれど、あの部屋に出入りするところを見られたくない気持ちがしていた。
今、確認しに行こう。そう思ったらいてもたってもいられなくなり、直ぐに泥棒よろしく抜き足差し足で階段を降りていた。
音を立てないように引き戸を開けて部屋に入り、またそっと閉めた。
静まり返ったその部屋は月明かりでほんのりと明るかった。その中で、床の間の壺だけが青白く光っているように見えた。近づくと模様の赤い線は、白い肌に無数に這っている脈打つ血管のように見えた。本当は生き物なのではと錯覚するほどだ。触ったら肌のように柔らかいのかもしれないと恐る恐る触れてみる。ひんやりと冷たい陶器の感触だった。
中を覗いても暗い底だけしか見えないことはもうわかっていたから、手を窄めてそっと差し入れ、昨日と同じ方法で底をなんなく捲り、鍵がちゃんとあることを感触で確認しほっとした。
手を抜き、壺を両手で持ち逆さにして畳に鍵を落とす。昨日よりも、ことはスムーズに進む。
鍵を手に持ち箪笥に向かう。少しドキドキしてきた。
鍵穴に鍵を差し込もうとしてもまだ目が慣れていないのか上手く合わない。少し手が震えているのかもしれない。3回目でようやく差し込むことができ、ゆっくりと回す。カチッという音がことの他大きく感じて冷やっとした。耳を澄ましてみだけれど、家の中で何かが動く音も気配もしないかった。二人とも深い眠りの中なのだろう。
そっと引き出しを開けて中の本を確かめる。私が上に被せたハンカチは昨日のままのようだ。誰も触っていないと思われる。祖母と母が亡くなったあと、この存在を知るのは私だけなのかもしれない。
手探りで昨日読んだ本とは別の本と思われる一冊を手に取った。ここでは暗くて中の字は読めない。自分の部屋へ持っていって読むことにした。
そっと引き出しを戻し鍵を閉めた。その鍵を服のポケットに入れ部屋を出ようとしたその時、突如目眩ととても嫌な感じがした。どうしたというのだろう。思わずその場に崩れるようにしゃがみ込んてしまった。すると、すぐに嘘のように治まった。
どうしたというのだろう。暗い中で平衡感覚がおかしくなったのだろうか。立ち上がり、また部屋の外へ出ようとした途端にぐわっとその症状がでて、またしゃがみ込む。さっきと同じだった。
何か変だ。何が変なのだろう。暫くそのままの体勢で考え込んだ。
ふと、手に持った本を畳に置きもう一度出ようとしてみた。やはり症状がでた。今度は鍵も置いて手ぶらでやってみた。出ることができた。もしやと思い、部屋に戻り本だけを持ち鍵をそのまま置いた状態で試してみた。すると、やはり難なく出ることができたのだ。
“鍵”だったのか。鍵がこの部屋から持ち出すことができないのだ。
何故だろう。何故“鍵”なのだろう。
考えても分からない。仕方がないと、諦めて鍵は壺に戻すことにした。鍵を壺の中へ落とし、手を入れて手探りで底の元の位置へ戻した。その時に、何か物足りないような感覚になった。戻したくなかったのかもしれない。
本を持ち、今度こそ本当にこの部屋をあとにした。
第5話へ続く
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