2
高級中学に進学する頃になると、私たちの能力差は暗黙のうちに明らかになっていた。それはつまり、上級生存者になりうる人とそうでない人が傍目にもわかるようになってきたということで、優越感や劣等感といった感情から、生徒たちは手前勝手な分類の中で固まるようになっていたということでもある。
旧態依然とした学力試験などは存在しないので、明確な数値では測れない。それでも、日常場面での要領の良さとか聡明さといったものは、ぼんやりと感じられたものだった。無邪気な差別意識は個々の内にひっそりと宿って、言動にもはっきりと表れていたように思う。
私は上級生存者のグループに属している……ことになっていた。縄張り意識、仲間意識の強い子がいるのに対して、私はそういうことをどうでもいいと思っているたちだったのだが、気がつくと勝手に割り振られていた。
イェレベスでは基本的に、初級中学以降は全寮制の男女別教育となっていくので、上級一般といった分類は寮でも影響を及ぼしていた。必然、交流の範囲は曖昧に限定され、生徒の動線は定まっていく。幸いだったのは、一人につき一部屋が割り当てられていたことと、私自身が部屋にこもりがちであったことだ。そのおかげで、私は諸々の制約を他人事としていられたし、面倒ごとからも遠ざかっていて構わなかった。
そんな中、
それだけであれば──嫉妬はされたかもしれないが──別に誰も問題にはしなかった。何かにつけて主導権を握りたがる気質の子も、おとなしくしているのをわざわざ構って評価を下げるリスクを負いはしなかっただろう。しかし、そうはならなかった。瑶月は自らの優秀さに自覚的で、その優越をどこでも隠そうとしなかったからだ。
彼女は多くのものを密かに見下していた。密かに、というのは言葉にしなかったというだけで、空気や匂いとしてそれは克明に感じることができた。目を覗き込めばすぐにわかる。彼女は自分の価値を疑いもしていなかった。
結果、彼女は孤立した。とはいえ、敵対して戦うことになれば泣かされるのは自分の方だと皆がわかっていたので、その排斥は沈黙によって緩やかに進行した。進学から三月も経たない頃のことだった。
ただ、当の瑶月はそんなこと気にもとめずに、自分のやりたいことをやりたいようにやり続けた。携帯端末で脳幹府公認のメディアを読み耽り、脳幹府公認のアーティストの展示を回り、ニコニコと毎日を送っていた。
対する私は、端的に言って根暗な女生徒だった。初級中学の時点から
接点を得たのが偶然か必然かについては、どこに基準を置くかで大きく変わる。
瑶月が疎外されるようになってからしばらくが経ち、私たちにはチームで協力して達成しなければならない課題が与えられた。歴史の授業で、〈
教室の方々で塊が形成されていく中で、それぞれ離れた場所でぽつりと立つ影が三つあった。瑶月はもちろんのこと、私もその中の一人だった。
「私たち、
集まって最初に瑶月が発した言葉がそれだった。私は慣習に則って「よろしく」と言った。もう一人、普段は一般生存者のグループにいる子は、ぶっきらぼうに鼻を鳴らした。
そんな噛み合わない様子を、瑶月は微笑みを浮かべて眺めていた。そして、言葉を交わす以前からずっとそうすることを決めていたかのように、それまで考えもしなかった疑念をさらりと言い放つ。
「二人は、魂ってあると思う?」
当然、私たちは答えられない。
チーム結成から数日が経ち、一回目のミーティングが開かれることになった。私と
その日はちょうど、労働に関する授業があって、それを受けての質問だということはすぐにわかった。ただ、あの奇妙な第一声の印象が強かったこともあり、私は戸惑って、口を開きかけたまま数秒固まった。それからどうにか言うべき言葉を整理して、「僵尸研究を」と言った。
「両親が生命科学研究院の研究者で、昔見学に行った時に見た僵尸研究者の人たちの姿が心に残ってて」
上級生存者として生きる父と母の背を見て育ってきた。家にいることは少なかったが、それでもたくさんの特別な体験を与えてくれたのは事実で、私はそこに愛情を見出していた。私が自分の価値を信じていられたのは、きっと両親の影響が強い。
「へぇ、だからいつも何かしら読んでるんだ。勉強家だね」
瑶月は頬杖をついて微笑みながら、さも興味深そうに頷いた。彼女の態度の何割かは本心だったのだろうが、残りの多くは薄っぺらく、うわべだけのものに感じられた。なるほどこれは嫌われそうだ、と私は思った。
「あなたはどうなの?」
儀礼的に問いを返すと、彼女は特に悩む様子も見せず、「文筆家かな」と答えた。「ライセンスを取得して、本を出したいな」
〈
理由について彼女は語らなかったが、わざわざ掘り下げることもないと私は口を噤んだ。好きなようにすればいい。
「
ついでというように瑶月が話を振った。当の琳美は露骨に嫌そうな顔をして、「馬鹿にしてんの?」と鋭く言った。集まった瞬間から彼女は苛々していて、隣に座った私には、足を小刻みに揺らす様子が視界の端に映っていた。
「興味もないのに聞かないでよ。あたしのこと見下してんの、隠しもしないじゃん」
それは瑶月に向けられた明らかな敵意だった。彼女は笑みを絶やさなかったが、はっきり言って空気は最悪だった。「このチームで課題は終わるのだろうか?」私は自分の時間が奪われる憂鬱に天井を見上げた。
* *
遠く山嶺から昇る朝日が靄を貫き、摩天楼の群れの合間を縫って地表を淡く染めていく。
早朝の官公庁区は閑散として、公共支援型僵尸もまだ稼働していない。久方ぶりの外の世界は想像以上に心地よく、凝り固まった思考がほぐれるようだった。
「こんなこと、十年ぶりかな。……
振り返った先には、顔のない
こうして並び立つことに懐かしさを覚えるのは事実だったが、私も彼女も、「変わらない」と言い合った時からはずいぶんと変化してしまったと思う。互いに歳を取り、私は下っ端から班長になり、瑶月は物言わぬ
何はともあれ、情報収集だ。私は手始めに、イェレベスの行政機関である
人の出勤時間外には人工知能が対応してくれる。無人の広間を通り抜け受付の前に立つと「ご用件は?」と機械らしいぎこちなさを残した女性の声が指向性を持って耳に届く。私は据え置きの端末に要件を記入していく。個人情報の閲覧許可を得るまでの様々な認証は、私のIDを示せば良い。日常のたいていのことは、それだけで事足りる。
案内された先、閲覧室でコンソールを操作し、
「最新の記録は……」
瑶月の活動履歴にはおおまかなライフイベントが順に記されている。最下部までスクロールすると、死亡時の状況に行き当たった。
日付は今日からちょうど一週間前、発見された場所は、一般生存区東部にある自宅。死の二日前に購入した女性型
「
どうしてわざわざそんなものを? 詳細を見ると、
瑶月が〝一般落ち〟したのは今から約一年前、昨年のちょうど今頃のようだった。原因を確かめようとさらに遡り、不意に飛び込んできた文字列に、私は硬直する。
自殺未遂。
一冊の本の出版申請を行ってから、三ヶ月後のことだった。
「あぁ、李瑶月さんね。うん、確かにいくつか出版したよ」
イェレベスの製本出版を一手に担う
背後では白玉がカサカサと紙に記録しているが、担当者は気にする素振りも見せない。まさか、すぐそばに話題の人物の死体があるとは思わないだろうな、と考えながら、私は相槌を打つ。死者に対する無関心は、この街に漂う共通の空気だ。重要なのは生きてる間。死者はただの労働機械。誰もが知っている常識。
「生命科学研究院の人らしいけど、知り合いなんだよね? あの人、今どうしてるの?」
「死にましたよ」
私は努めてフラットに事実を伝えた。担当者は特に驚くでもなく、「あー。やっぱり?」と息を吐く。
「やっぱり、というと?」
尋ねると、身を屈め声を潜めて、「いやさ、最後に出版申請を受けてから音沙汰なくなっちゃって。どうしたのかと思ってたら自殺未遂で〝一般落ち〟したって聞いたからさ。まぁ、ろくなことになってないだろうな、と」
その反応は、自殺というものに対する典型的な反応と概ね合致するものだった。自傷行為に対する世間一般の認識はなかなかに厳しく、タブーとして扱われる風潮がある。生存法に照らし合わせると、「人的資源としての機能を損ないかねない自傷他害行為を行なった場合」には罰則が適用されることになる。罰は、上級生存者であれば生存級の即時下降であり、一般生存者であれば尸者認定点数の一点追加だ。三点溜まると、生存級を剥奪されて素体化される。仮に逃亡したところで逃げ場はない。肝魂部の治安維持部隊に追跡され、同じ結末を辿るだけだ。
私は身を起こして担当者を再び見下ろした。「本は未完?」彼は大仰に両手を上げ、首を振って降参の意を示す。「原稿がそもそも届いてない。審査にも提出されてないから、できてないんじゃないかな」
となると、瑶月の自宅にある可能性が高そうだ。まだ死から一週間しか経っていないことを考えれば、回収されているとも考えにくい。次の目的地は決まりでいいだろう。
「李さんはなんというか、攻めたのを書く人でね。読んだことある?」
私が首を振って否定すると、「ちょっと待ってね」とPCに何がしかを打ち込み、傍のタブレットの画面を確認してから手渡してきた。「これ、最初の作品。初手から検閲に引っかかりかけて冷や冷やしたよ」
受け取り、表示された表紙を見て息が詰まった。
『
それは私たちがまだ学生だった頃、瑶月が私に教えてくれた言葉だった。
* *
「
喧騒に満ちた食堂の隅で、学食をつつきながら瑶月が言う。私は向かいで箸を口に運びかけたところで、そのままの姿勢で首を横に振った。
何度かミーティングを重ねるうちに、私たちは次第に集まる頻度を増やしていった。計画を練ったり調査をしたりするだけでなく、昼食を一緒に食べることもあった。親密になった……というよりは、除け者同士で固まっているような感じ。現に、
「初めて聞いた。どういう意味?」
私たちの会話にはある程度決まった型があって、今回もその例に漏れなかった。瑶月が唐突に何かを問いかける。それに私が問いを返す。そういうキャッチボール。
「これはね、ある意味で反社会的な言葉なの。死者の扱い方、という意味でね」
「僵尸に関わること?」
瑶月は頷き、箸を置くと懐からメモ帳を取り出した。多くの人が電子機器に頼る中、紙媒体を使うのは珍しかった。瑶月は何かを書いてからテーブルの上にそれを置いた。私も食事の手を止めて、彼女の手元を覗き込む。
「こうやって書く。意味は、『死者は埋葬されることで安息を得る』明代の散曲家である
中国の歴史は授業でやった。明は元の後で、清の前。私からすれば途方もなく昔のことだ。
反社会的、という言葉の意味するところを考える。今のイェレベスは僵尸技術によって成立していて、死体が埋葬されることはまずありえない。損壊が激しくて僵尸にできない死体や、酷使されて機能しなくなった僵尸は焼却処分されるのが一般的だ。衛生面も踏まえると、死者が埋葬されることはまずありえない。
「今の社会では、死者は安息を得られない、ってこと?」
瑶月はにこりと微笑んだ。ものわかりのいい生徒を褒める教師のように、そこには「よくできました」という言葉が浮かんで見える。
「私たちは喪失を悼まず、人の死に痛むこともない。親でも兄弟姉妹でも友達でも、それ以外でも。なぜならここは、昨日死んだ人が道をよろよろ歩いているのが当たり前の世界だから。失うことを悲しみはしても、長続きしない。つまり、
大切なのは生きている間。死んでしまえばモノになるだけ。自分の死生観を振り返れば、確かにそこに死後を憂うものはない。死とはすなわち終わること、過去になること、歴史の一部、語りうる言葉になるということ。それ以上でもそれ以下でもなく、「死者を想う」という考え方は、私の根底に存在しない。
それは〈
瑶月は続けた。
「終末以降、そういった価値観の変化によって、この国では葬送儀礼や死者供養を目的とした祭祀の多くが姿を消した。
「反社会的っていうのは、現状を否定する意味を取れてしまう、ということ。検索で深掘りすれば出てくる類の、ちょっと見て欲しくない情報ってわけ」
「僵尸が否定されたら、すべてが成り立たなくなっちゃうから……」
「そう。イェレベスのインフラは僵尸の存在によって維持されている。こんな観念的なところで疑問を抱かれて妙な流れができるのはごめんなんだね」
そこまで説明すると、瑶月は紙を丸めて引っ込めた。そして何事もなかったかのように食事を再開する。私はもうそのマイペースさにも慣れてきて、話の終了を理解した。箸を取り白米の中に突っ込もうとして、一つだけ聞いておこうと思い立つ。「どうして、そんな話を?」
瑶月は顔を上げて私をじっと見つめてから、あの胡散臭い笑顔を向けた。
「だって、面白いことは友達と共有したいでしょう?」
* *
「
「あ……はい。大丈夫です」
声をかけられて我に返る。ほんの十秒程度だろうか。記憶が不意に去来して、白昼夢でも見ているようだった。私はどうしてしまったのだろう。
無理やりに気持ちを切り替え、画面をスクロールして内容を流し読んでいく。どうやら架空の国を舞台にした歴史物らしく、主人公は冠婚葬祭を取り仕切る
「僵尸の否定、ですか」
私が言うと、担当者は意外そうな表情を見せた。「いや、よくわかったね。遠回しなのにストレート、っていうかさ。今時珍しいよ、こういう話は。最近のトレンドとは外れてるから」
この小説には、瑶月のあの独特な言葉の匂いがあった。才知に溢れ自信家で、傲慢。それでいてミステリアスな空気を纏ったあの少女の匂いが。
けれど、以降の何作かにそれを感じ取ることはできなかった。私の記憶を刺激するものもない、いかにも無難な題と内容が続く。瑶月の香りは薄く、むしろそれを抑える別の臭気が色濃く漂っている。普段は気にもならないその匂いが、今はひどく邪魔に思えた。
「一気に雰囲気が変わりましたね。これは?」
指をさして問いかけると、担当者は苦々しげな顔をして、コーヒーを流し込んだ。渋面がいっそうひどくなり、皺が寄って奇怪な顔つきになる。「前作が危なっかしい内容だった上に、掃け方が芳しくなくてね。上の方から指導が入った。ここ数年その辺が厳しくて、何度もダメ出しを食らってたね。僕にはどうしようもなかったな。処女作、割と好きだったんだけど」
強制指導。それはつまり、否応なしに作風を変更させられたということだ。従わなければ確実にペナルティが入る以上、選択肢はなかっただろう。なんだかんだ自己主張の激しかった彼女のことだ。人目のないところで歯噛みして、仕方なくこの形に落ち着けたに違いない。
出版社を去る時、担当者は再び声を潜めると、こんなことを口にした。「これは個人的なお願いなんだけど、もし幻の原稿を見つけることがあったら、読ませてくれないかな」
私は一瞬迷ってから、規律上特に問題はないだろうと首肯した。「いいですよ。でも、なぜ?」
何気ない疑問だったが、彼は照れ臭そうに笑って言った。「実は結構、楽しみにしてたんだよ」
白玉が紙にその言葉をメモしていく。今更褒められても別に嬉しくないだろうな、と私は思う。
調査を兼ねた休暇の一日目は、出版社を訪ねて終わることにした。帰り際に立ち寄った書店で
往来を行き交う人々の表情は様々だが、誰の顔にも生活の奥底に染み付いた自信がわずかに滲んでいる。遥か昔から伝達される無数の性質や親の生存級とは無関係に、自分の力、価値が認められてここにいるのだという、そういう自信。現在と過去は別物で、分断されて融け合わない。連続性を拒絶し、断絶を見出し、「私は私の力でここにいる」と主張する類の妄想だ。
私はどうだろう? 手鏡もないので、手の平を頬に沿わせ、輪郭をなぞって自覚を促す。私は実際場面において、人間の在り方が過去に多大な影響を受けることを知っている。疑問の種を学生の時に植え付けられてから、研究の過程で、あるいは経験則で、自己が独立したものであるという感覚がまったくの妄想であると、朧げながらも理解した。私たちはいつの時代も、終わったものとともに生きている。例えば白玉は、今の私にとってはその代表のようなものだ。
白玉は指示をせずとも、私を滑らかに追従している。現行僵尸はプログラムされたルーティーンから行動を切り替える際に、逐一発話による命令が必要になるが、新型にはその手間がない。問題は稼働限界だが、これについては時間をかけて解決するより他にない気がする。最大四十九日では使い物にならない。
イェレベスの住居の基本単位は〝
中に入ると順繰りに光が点いていき、殺風景な全体像が露わになる。帰らないことが多いのを見越して物は最小限に抑えてある。仕事が生きがいの毎日で、ここに来るのは
白玉はしっかりと靴を脱いでから屋内に上がった。順調だ。
時間制限は三日。あまり悠長にしていられるわけでもないが、今日はもう読書に時間を割くと決めたので良しとする。常日頃から世話になっている粥状の完全食を作り、ソファに座って本を片手に口へと運ぶ。
私は白玉を、瑶月の亡骸を見る。
埋葬されることが安息を生むというのなら、彼女は今、どんな苦痛と怨讐の中にいるというのだろう。
「瑶月。あなたの地獄はどこにあったの」
あるいはそんなもの、存在しないのかもしれないけれど。
応えはなく、答えもない。静寂の中でただ一人、私だけが覚えている。かつて少女だった、ここにはいない女のことを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます