番外編 御堂くんの受難①

とある二月の平日。

 いつも通り出社すると、なにやら他部署が騒がしかった。

 なんの騒ぎかと思って聞き耳を立てていると、第一課の本田さんが職場復帰をしたらしい。

 本田さん――本田ほんだ 真琴まことの住む家が、一週間ほど前に火事になってしまったというのは社内の噂で耳にしていた。

 彼女はその日以降ずっと会社を休んでいたようだったので少し気にはなっていた。

 今回の主人公でもある小柄で素朴な青年――御堂みどう たくは真琴とは同期で、同じ部内の社員であり、真琴は第一課、御堂は第四課に配属されている。

 部内の同期ということもあり、何度か真琴とは話をする機会はあったが、友人というほど親しい間柄ではなかった。

 真琴は世間一般的に見て、美人と呼ばれるほどのルックスではないが、髪や肌は瑞々しく光るように綺麗で清潔感がある。

 また、小柄ではあるが程良い肉付きでスタイルも良い。

 一見すると〝男にモテるタイプ〟なのだが、あの強気な性格が男ウケを遠ざけていた。

 しかし、御堂は真琴の心優しい部分を知っていた。

 遡ること約二年前――御堂と真琴は、新入社員研修でのグループワークで同じ班になったことがあった。

 自分の意見をはっきり主張するのが苦手かつ要領良く作業も進められない御堂は周りより遅れを取っていた。

 そんな時、手を差し伸べてくれたのが真琴で、一緒に作業を手伝ってくれたり、アドバイスをくれることがあった。

 御堂は真琴に対し、恋心とまではいかないまでも、こういう人が上司や恋人だったらという淡い憧れを抱いていた。


「やっぱ体だけは俺の好みなんだがな、顔はガキくせぇし何よりあの色気のねぇ性格を何とかしねぇと無理だよな」


 御堂の背後から下品な悪態が飛び出した。

 聞き慣れた渋くて低い声。

 慌てて振り返ると、御堂の上司である時田ときた 了輔りょうすけが、騒いでいる第一課もとい真琴の方を見ていた。


「まぁなんだ、無事で良かったじゃねぇか。景気づけに飲み会でも開いてやるか。お前、アイツの都合良い日確認しとけ」

「え!? あ、はい!」


 時田はそのまま立ち去り、また別の社員のところへ話しこみに行った。

 御堂はそのまま真琴の方へ視線を向けるが、向こうがこちらに気づくことはなかった。


 御堂はシャイな性格のため、朝の人だかりの中で声をかける勇気はなく、始業開始して真琴が一人になっているタイミングを見計らって声をかけることにした。


「本田さん、本田さん。ちょっと今いいかな…?」

「御堂くん、久しぶり。大丈夫だけど、どうかした?」

「あの……お家のことはとても残念だったね……しばらく仕事に来てなかったから、心配してたんだ。でも、無事そうで本当に良かった……」

「うん、ありがとう。新しい家が見つかるまではバタバタしそうだけど、なんとかなりそうだし大丈夫」


 新しい家がまだないということは、実家か友人の家にでも避難しているのだろうか。

 彼氏の家の可能性……については、火事騒動の直前に、真琴と他の社員の会話で「バレンタインにチョコを渡す相手はいない」という情報をゲットしていたので除外した。

 今どうやって生活しているのかは凄く気になる所ではあったが、そこまで踏み込んだ質問をして良いものかわからなかったので胸の内にしまっておいた。


「心配してくれてありがとうね。じゃあ……」

「あ、あ! 待って! あの、時田課長が一課と四課で飲み会でも開こうって……本田さんの復帰のお祝いにって」

「時田課長がぁ? どうせあの人、そんなのは建前で自分が飲みたいだけなんだから……」


 真琴はじとりと睨むような目つきになり、断られそうな空気を察した御堂は咄嗟にフォローを出す。


「ぼ、僕も本田さんが来てくれると嬉しいな! ああいう場に同期がいると安心するから……! だから、あの、空いてるスケジュール教えてもらえるかな?」


 真琴はもともと積極的に人付き合いする方ではないが、来るもの拒まずな性質があるため、なんだかんだ飲み会には参加することになった。

 無事断られずに済んで、御堂はほっと胸を撫で下ろした。

 時田課長にもスケジュールを報告し、その飲み会の幹事に任命された。



 そして飲み会当日。

 合計十四人ほどが集まった飲み会が決行された。

 名目上は真琴復帰のお祝いの会とされていたが、そんなものは関係なく、一同が自由に話し込でいる普通の飲み会だった。

 御堂は幹事の権限を駆使して、真琴の隣の席を確保し、心の内でガッツポーズを構える。

 飲み会が始まって三十分もした頃だろうか、一同に酔いが回ってエンジンがかかってきた。

 例に漏れず、真琴も酔っていた。

 斜め向かいに座る時田課長と言い合いをしているが、これは険悪なものではなく、いつも見る漫才のようなやりとりで、周囲もそれを見てヤジを入れたり楽しんでいた。

 時田課長は悪態をつくものの、なんだかんだ真琴のことは妹のように可愛がっているように思う。

 御堂は平凡な男だが、ことお酒に関しては耐性が強く、ほぼ酔うことがなく平常通りであった。

 夜も深まり、そろそろお開きの時間ということで、会計を済まし一同はぞろぞろと店外へと出ていた。

 どうやって帰ろうかと思案していると、背後からそっと近づいてきた時田課長に話しかけられた。


「おい、御堂。本田のやつを家まで送ってやれ。タクシー代は俺が出してやるから」

「え、僕がですか!?」

「あの調子のアイツを一人で帰すのはダメだろ。それに俺はこんなガキの面倒みたくねぇ」

「は、はぁ…」

「幹事なんだから主賓の面倒はお前が見ろ。……間違っても襲うなよ。殴り殺されるぞ、アイツ獰猛だから」


 時田はニタニタと嫌らしい笑みを向け、ピンと張った一万円札を御堂に手渡す。

 御堂は耳まで真っ赤にした顔で、「そんなことしませんよ!」と早口で吐き捨てて、真琴の方へと駆け寄った。


「本田さん、大丈夫? 時田課長からタクシー代を頂いたから、これで帰ろう。途中までは僕が送るから……」

「ん〜〜……ありがとう……悪いんだけど、ちょっと気持ち悪いから肩貸して……」


 真琴は意識自体は問題ないようだが、足元がおぼつかない様子だった。声にも覇気がない。

 肩を貸してやる際にさりげなく香ったシャンプーの香りに、体が少し熱くなったのを感じたが、すぐに理性を取り戻す。

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