第四話 ここに居させて②
翌日になっても、その次の日になっても、真琴の機嫌は最悪なままだった。
ここ最近増えていた日常会話は、スタート地点よりもマイナスになってしまったように、一切言葉を交わさないようになってしまった。
奏の様子は特に変わっていなかったが、真琴のこれ見よがしな不機嫌を理解し、あえて刺激しないように生活していた。
三ヶ月も一緒に暮らしていると、ある程度生活リズムが確立しているので、言葉を交わさなくても不自由なく生活ができる。
真琴はイライラしているせいか、仕事をしていてもなかなか集中ができず、失敗を繰り返してしまっていた。
昼休み時には職場を飛び出し、気分転換がてら、職場付近を散歩していると、偶然にも前と同じ場所で一条 菜知と遭遇した。
こちらに気づくと、向こうはまた目を輝かせて近づいてくる。
「やあ真琴!」
「あ、一条さん……」
「暗い顔をしているね、仕事で失敗やらかした?」
「それもあるんですが……」
「奏と喧嘩した?」
「……はい」
しばらく沈黙したあと、消え入りそうな声で肯定をする。
「そう気を落とさないで。私で良ければ話を聞くよ。仕事終わりに一杯どう?」
いつも真琴の周りには奏の方が正しいという目で見る人間しかいなかったので、自分と奏を対等に扱ってくれる人間に話を聞いてほしくてたまらなかった。
菜知と知り合って間もないが、彼女はその辺りをフェアに判断してくれるような気がしたので、その誘いに乗ることにした。
その場でスマホを取り出し、メッセージアプリの友達登録を済ます。
メッセージの最新の履歴は奏のものになっていた。
喧嘩中とは言え、何も言わなければきっと奏は真琴の分の食事を用意するのだろう。
食材を無駄にすることは真琴の良心が許さないので、律儀に「今日の夜は外食する」とメッセージを送ると、一秒以内に既読になり、「わかった」とだけ返信があった。
* * *
定時を過ぎると、菜知からメッセージが来ていたことに気づく。
お店をすでに押さえてくれたらしく、店の地図と連絡先が添えられており、現地集合とのことだった。
送られた地図を頼りに、指定の店につくと、大人っぽく高級な雰囲気が漂う小料理屋だった。しかも、全室個室のようだ。
奥の個室に案内されると、そこにはすでに菜知が待っていた。
「お疲れ様」
「お疲れ様です……。あ、あの……この店、高いんじゃないんですか?」
「ウチの会社が取引先の人とよく此処を使ってるって聞いてね。個室だし周りを気にせず会話ができるよ。それに今日は私の奢りさ。好きな物をお食べ。まずは生で良いかい?」
「ごめんなさい。私、今日はお酒は飲まないようにします。酔うとまともに話ができなくなりそうで……。すみません」
「なぁんだ、君も下戸だったのか」
〝君も〟というのは奏の事を指しての発言だろうと感じとった。
菜知は真琴が知るよりも前に奏がお酒を飲めないことを知っていたのかと思うと、菜知と初めて出会った時のような胸の痛みが蘇る。
料理が並べられた所で、真琴は奏の家に居候をさせてもらってる経緯と、家を探さなければと思っている事、そして先日の奏の〝嫌がらせ〟が原因で喧嘩をした旨を掻い摘んで話した。
「君の自由意志を曲げようとする奏には賛同できないね」
話を一通り聞いた菜知は、奏を非難する言葉を発する。
真琴にとっては今までずっと欲しくてたまらない言葉で、ようやく対等に物事を見てもらえる理解者に出会えた気がして、大袈裟だが菜知が神々しく見えた気さえする。
「それにしても君はもう奏の恋人になるつもりはないってことだよね?」
「え!? あ、その……」
「奏のことは好きじゃない?」
「正直言うと、よくわからないんです。大嫌いだったはずなんですけど……助けてもらった恩もあるし、一緒に居るうちに、その、情が移っているような気もして」
「ほう」
「少し離れて、冷静に物事を判断したいと思いまして」
「なるほどね。それなら、しばらく私の新居に移ってみるっていうのはどうだい? 奏の邪魔も届かないし、私は『お泊まり会』という初めての体験ができて一石二鳥だ」
奏との関係について、頭を冷やして考えたいと思っていた真琴にとって、魅力的な提案だった。
「本当ですか? それなら、一週間だけ……お言葉に甘えても良いですか」
「勿論! いつからにする?」
「……今日この後からでも良いですか」
「ふふ、構わないさ」
菜知は大変満足そうな笑みを浮かべた。
一時間後、二人は食事を終えると、タクシーでひとまず奏の家に向かう。
真琴は帰るとすぐに自分の部屋に行き、一週間はなんとか過ごせる分の衣類を紙袋に詰めた。
その途中、玄関からは菜知と奏の声がした。何を話しているのかまでは聞きとれなかった。
詰め込み終わった紙袋を携え、部屋を出ると目の前に奏がいた。
目が合うと奏の悲しい視線に圧倒され、少したじろいでしまった。
「まあ一週間だけって話だから安心してくれ。新しい家が見つかればそこに移る準備をするだろうし、しばらく見つかりそうになければ、またここに戻ってくる。ひとまずそれで良いよね? 真琴」
「はい」
「そう……。寂しいよ」
奏はまた眉を八の字に下げ、捨て猫のような目で真琴を見つめる。
心苦しい気持ちを押し殺し、真琴は菜知の元へ行く。
自分で選んだことなのに、ひどいことをしているような気まずさに耐えきれず、終始奏の目をきちんと見ることができなかった。
菜知のマンションに着くと、こちらもまた家賃の高そうな綺麗なマンションだった。
菜知とは短期間しか関わっていないが、奏と感覚が良く似た人ということは感じ取っていた。
側から見ると二人とも容姿端麗で、人を遠ざけてしまう独特の空気感を持っている。
大学ではお互いしか友達が居なかったと菜知が言っていたが、その光景は何となく想像がつく。
「私は家に呼ぶような友達なんかいなかったから客間も布団もないんだ。だから一緒のベッドになるけど良いかい?」
「はい、大丈夫です!」
菜知のベッドはセミダブルサイズで、女性二人が寝るのは問題がないサイズだった。
二人寝転んだベッドで菜知は心底嬉しそうに声を弾ませ、寝るまでの間ずっと会話を楽しんでいた。
* * *
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