第三話 この気持ちの名前②


 夕食時、今日見たことを奏に問いただそうと思ったが、よくよく考えれば自分は彼女でも何でもない。

 しかし奏は日頃から真琴を好きだと公言しているわけで、別の女にも良い顔をしているのであればそれは問題であり、許せない。

 鉛のような重い気持ちが胸の奥に沈んで、今日一日何をやっていてもそれが引っかかっていた。


「真琴、元気ないね。どうかした?」

「え? いや、ちょっと仕事のことで考え事してただけ……大丈夫」

「そう? 無理しないようにね」

「うん……」


 奏はいつでも自分を見てくれている。

 だから、小さな感情の機微でも気が付いてくれたことに嬉しく思った。


「あ、明日の休みはちょっと出掛けるから」


 ふいに奏が話を切り出したかと思うと、珍しく外出の宣言をした。

 女の勘か、嫌な予感が走る。


「ひとりで?」

「会社の人だよ」

「ふーん……」


 今まで奏から会社の人の話など聞いたことがない。

 それに、あの奏がわざわざ休日に会社の人と会うなんてことは考えられなかった。

 きっとそれは嘘で、あの女性と会うんだろうと真琴の直感が結びつく。

 さっきまでの少し嬉しかった気持ちはひっくり返り、妙に憎らしく感じたので、さっさと夕食は切り上げて無言で片付けをする。

 その後は自室にこもり、今日は秘密のルーティーンも行われなかった。




 翌日の土曜日になり、奏は宣言どおり外出していった。

 身だしなみだって何だか綺麗にしているように見えた。……いや、奏はいつも綺麗にしているからそれは考えすぎか、と思い直す。

 真琴は一日中何もせず自堕落に過ごした。

 いつも二人で過ごしていたので、一人の時間というのはこんなにも退屈なのかと感じていた。

 夕食時には奏が帰宅するも、今日のことは何も話してこない。

 向こうから話さないならこちらから聞くわけにもいかないので、当たり障りのない会話だけでその日を終える。

 日曜日はいつも通り二人一緒にいたものの、出掛けるわけでもなく、平凡な休日を享受した。

 心の奥底の鉛は時間が経てばマシになるどころか、日に日に重さを増しているような気がする。




「ん…はぁ、んっ……」


 数日ぶりのキスだった。

 ここ数日の分を取り戻すかのように、奏はなかなか唇を離してくれず、いつもよりも長く激しいキスだった。

 激しく求められると何も考えられなくなってしまう。

 でも、どんなに求められてもなんだか切なさが積もるような気がした。



*  *  *


 週が変わり、また月曜日が始まる。

 出社すると先輩が話を聞いて欲しそうに近づいてきた。


「ねえねえ聞いて~! 休みの日に買い物行ってたら、あのランチ会の時に見かけたイケメンに遭遇したの! でもまたあの彼女さんと一緒でさぁ~。 その日は二人とも私服だったんだけどやっぱモデルみたいなカップルで、超目立ってた!」

「へえ……」


 真琴は予想が的中してたことを知り、朝から気を落とした。

 確かにあの二人ならお似合いだ。

 自分と比べて月とスッポンのような容姿の差がある。

 あの二人の間に自信を持って割り込める人間など早々いないと思うほど、二人の容姿は整っている。

 いつもと比べて覇気のない様子の真琴を見て、心配した御堂が声をかけてきた。


「本田さん? なにか悩み事?」


 極々平凡な男がそこに立っていたので、咄嗟に本音が漏れてしまう。


「御堂くん見てるとなんか安心する……」

「え!?」


 御堂は言葉の意味がわからず、慌てふためいた。

 何かを勘違いしたのか、赤面までしている。

 その様子がなんだかおもしろくって、真琴の顔には自然と笑顔が戻っていた。




「お先に失礼します。お疲れ様です」


 定時を迎え、真琴は会社を出てすぐに溜息をひとつ吐いた。

 いつもの軽快さはなくとぼとぼと駅に向かっていると、向かい側から〝例の女性〟と遭遇した。

 思わず相手の顔をじっと見てしまう。その人は今まで見たことがないくらいの美人で、同性の真琴でも思わず見惚れてしまうほどだ。

 向こうはこちらの視線に気付いたのか、バッタリと目が合ってしまった。

 そして、相手はこちらの顔を見た途端に目を見開き、驚いたような表情をしていた。

 女はハイヒールをカツカツと鳴らしながら一直線でこちらに向かってくる。

 真琴は焦った。咄嗟のことだったので逃げることができず、相手はもう目の前まで来ていた。

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