第三話 この気持ちの名前①
時が過ぎるのは早い。
年度末の三月は繁忙期のため、新しい家を探す暇などなく、一気に駆け抜けていった。
真琴はまだ奏の家に居候を継続していた。
三月の終わりに内示が発表され、真琴は第一課から第四課へと異動になった。といっても、同じ部内だし働くフロアも変わらない。第四課には知り合いも複数いるので、不安に思うようなことは何もなかった。
内示を聞いたと思われる第四課の時田課長が第一課まで足を運び、真琴に声をかけにきた。
「お前みたいなじゃじゃ馬をウチで引き取らねーといけないとは……」
渋い声で気だるそうに話す。
時田は口が悪い割に面倒見がよく人情派なので、意外なことに多くの部下に慕われている。
仕事面に関しても、三十代で課長の席を獲得だけあって優秀な人物だった。
他部署の真琴とも顔馴染みで、悪態をつきながらも妹のように可愛がってくれていた。
「もうちょっと歓迎らしい言葉は言えないんですか!」
「お前を歓迎もクソもあるか」
それだけを伝えると、時田はそのまま立ち去った。
一体何しに声をかけてきたのかと呆れた様子で時田の背中を眺めていたら、今度は別の人物から声をかけられる。少し高めの素朴な声だった。
「本田さん、これからよろしく」
そこに居たのは同期の御堂 拓だった。彼は真面目で大人しく、あまり目立たないが、何でも一生懸命にやる好青年だと認識している。
「御堂くん、これからよろしくね」
「本田さんが来てくれて嬉しいな……あ、ほら、テキパキ仕事をこなしているし!」
「ありがと。時田課長は御堂くんを見習ってほしいわね」
「?」
そんな会話をしつつ、新しいチームでの仕事を想像して期待が膨らむ。
そして季節は春めき、四月を迎えた。
* * *
「明日は新しいチームの人たちとランチ会だから、お弁当は作らないからね」
「そう、わかった。」
真琴と奏の生活は相変わらずだった。
お互い三月は忙しかったこともあり、家にいる時間が減り、一緒に過ごす時間は少なかった。
四月に入り、ようやく元の落ち着きを戻そうとしていたところだった。
「本田さん、ランチいきましょ♪ 近くで美味しい店用意してるから♪」
「わぁ、ありがとうございます! 楽しみです!」
昼の十二時を回った頃、真琴は職場の新チームの人たちとランチに出かけた。
第四課では自分をパシリに使う先輩は今のところいない。優しい人が多く、意地が悪いのは時田課長くらいだ。
好物のパスタを食べながら、グループで会話をしていると、向かい合っていた先輩が声のボリュームを絞って、小声で話し出す。
「見て、あそこの人、超イケメンじゃない?」
真琴たちは店の奥側の席にいたが、先輩は入口近くの少し離れた席をじっと見ている。
真琴は入り口に対し背を向けていたので、先輩の言う方へ振り返ってみる、と同時に表情が凍り付いた。
何となく嫌な予感はしていたけど、先輩が指すイケメンとは随分見慣れたあの顔だった。
(何で奏がこの店にいるのよ! いい加減にしてよ!)
真琴はまた〝いつもの付き纏い〟だと思い、眉を吊り上げて奏を睨むが、向こうはこちらの視線には気づいていない様子だった。
そのまま見ていると、奏の向かいの空いた席に一人の女性が座った。
その女性はセミロングの艶のある髪で、タイトなスーツをセクシーに着こなしている。そして女優のように美しい人だった。
「あー、彼女持ちかぁ。残念。」
「それにしても彼女さんも超美人じゃない!?」
「ね、お似合いカップルだぁ。あの空間、眩しい~」
先輩たちが好き好きに話し出す。
奏と女性はコーヒーを飲んで談笑しあっていた。
その美しさは映画のワンシーンのような光景で、こちら一般人の視線など一切お構い無しといった様子だった。
奏が自分を追ってここに来たと考えていた真琴は、その見当違いを恥じると同時に、小さな胸の痛みを感じた気がした。
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