第三話 この気持ちの名前③

「君、もしかして〝真琴〟?」


 女は開口一番、真琴の名前を口にする。

 何故か自分を認知していることにも驚いたが、一体どんな事を言われるのかと怯えながら真琴は応える。


「そ、そうですけど……」

「ようやく会えた! 君に会える日をとても楽しみにしていたよ!」

「へ……?」


 女はどこか男口調のような独特な喋り方をする。


「こんなところで偶然会えるなんて! あ、時間は大丈夫? 良かったらお茶でもしていかないか?」


 クールビューティーな外見にそぐわず、不思議な空気感があって、気さくな微笑みを浮かべている。

 女のイメージが思っていたものとあまりにも違うので、呆然としつつ、真琴も尋ねたいことがあったので彼女について行くことにした。




 駅近くのカフェに入り、二人は外から見えない奥の方の席を選ぶ。

 女は真琴にコーヒーが飲めるか確認した後、二人分のコーヒーを注文し、会計も先に済ませていた。

 コーヒーが出されて、真琴の方から話を切り出す。


「あの……奏とはどういった御関係で……?」

「気になるかい?」

「まぁ……」

「君は奏の恋人?」

「え!? いや、違います! 全然そんなんじゃないです!」

「そうなんだ。だったら私が貰ってもいいかな? 狙ってるんだ、彼のこと」

「え……」


 女は試すような不敵な笑みを浮かべる。

 どんな表情でも様になる、その美しい顔に圧倒されて言葉が出ず、真琴の視線は小刻みに泳いだ。

 何も言葉を出せないでいた。


「なんて、冗談! 私に奏をどうこうしようという気は全くないよ。でも君を見てるとつい……。からかってごめんね」

「はい?」


 空気が強張ったのも束の間、女はすぐにあっけらかんとした態度に戻り、話し始めた。


「私は一条いちじょう 菜知なち。奏とは大学時代の同期でもあり、今は会社の同期でもある。私は元々横浜に配属されていたんだけど、この春にこっちに異動になってね。知り合いが奏しかいなかったから、いろいろ頼らせてもらってたんだ」

「だ、大学からのお知り合い……?」

「うん。話せば長くなるけど……大学ではお互い〝唯一の友達〟だったからね」


 その女――菜知は饒舌に話し出したと思いきや、不意にこちらに顔を近づけ、じっと真琴の目を見据えた。


「さっき君、私に対して嫉妬していたよね?」

「は!? し、嫉妬なんてしてません!!」

「奏が聞いたらどれほど喜ぶだろうね」

「アイツに変なこと吹き込まないでください! 絶対やめてください!」


 真琴は店内に響くような大声で拒否する。

 周りの視線が集まったので、我に帰り、顔を赤らめながら小声に戻す。


「私と奏はそういう関係ではありませんので! 絶対にそんな話しないでください! 迷惑です!」

「ふーん……OK、わかったよ」


 そう言いながらも、菜知は意地悪な含み笑いを携えながら真琴を見つめる。

 真琴は、奏とやりとりをしている時のような扱いづらさを菜知にも感じた。


「そうだ。君、奏のスマホの待ち受け見たことある?」

「? 待ち受け?」

「先日見てびっくりしたよ。なんせ大学時代から全く変わってなかったんだ! でもあの〝おまじない〟も満更でもないってとこかな。興味があるなら見てみると良い」

「? はぁ……」


 長い付き合いだし、今では一緒に暮らしているのだから、当然奏がスマホを触っているところは目撃しているが、そういえば画面は見たことがなかった。

 今までそんな事気にも留めなかったし、興味もなかったからだ。

 菜知曰く、大学時代から今も変わらず同じ画像を使用しているらしい。

 第三者による奏の知らない姿を聞くのはちょっと興味が沸いたのと同時に、やっぱり少し胸が痛んだ。


「そろそろ私は会社に戻るよ。最後に……真琴、奏が他の人と親しくしているのを見て、胸が痛んだり気分が暗くなるのであれば、その気持ちの名前は『恋』と呼ぶんだよ。ふふ、じゃあね」


 菜知は横に置いていたバッグを肩にかけ、ハイヒールを鳴らしながら颯爽と店を出て行った。

 真琴は、少し残ったコーヒーを一口で最後まで飲み干す。


「恋って……」



*  *  *


 夜も深まり、普段ならお互い寝静まった時間帯に真琴はこっそり奏の寝室に忍び込んでいた。

 菜知の言っていたスマホの待ち受けを一目見てやろうという計画だ。

 他人のスマホを見るというのは卑劣な行為であるとわかっているが、何も中身を見るわけではない。

 待ち受けを見るだけ。それは菜知にだって見せているものなんだから真琴が見たって構わないものだろう。

 一体そこに何が隠されているのか……真琴はこれを解明しなければ気が済まなかった。

 寝室はすべての明かりが落とされ、真っ暗闇で、奏がしっかり眠っているのを確認した。

 枕元にスマホが置かれているはず。半分手探りだが、そうっと音を立てず枕元に手を伸ばす。固くて冷たいそれらしきものを見つけた。

 そのスマホを手繰り寄せ、指で画面をタッチすると、液晶が光り出す――が、当然ながらスマホはパスワードのロック解除を求める画面で、その待ち受け画像は何の変哲もない初期設定の背景画像だった。

 菜知が言ってたものは、ロック画面の待ち受けの方ではないことを悟るとがっかりした。

 さすがにロックの番号を当てる作業は骨が折れる。

 それに、そんなことをしている姿が見つかってしまえば自分の信頼がガタ落ちする。

 今日のところは退散しようとスマホを元の位置に戻した時、布団の中から伸びたものに手首を掴まれる。

 部屋が真っ暗だったこともあり、ホラーのような展開に真琴は小さく悲鳴を上げた。

布団がもぞもぞと動き、布の擦れる音がしている。

 真琴の手首はその布団の方へとひっぱられ、ベッドへ倒れ込んで、そのまま布団の中へと引き摺り込まれた。

 真っ暗で目が効かない。どうなっているのか何も見えず、慌てふためいていると、すぐそばから甘く優しい声がした。

 今まで眠っていたからか、奏は少し掠れた声で囁く。


「何してるの?」

「あ……」


 少し暗闇に目が慣れると、眼前に奏の顔があった。暖かいものが唇の上に一度だけ重なる。


「ダメだよ、悪いことしちゃ……」

「ご、ごめんなさい……」

「罰として、今日はこのままね」

「えっ!?」


 奏はそう言うと、腕を伸ばして真琴の体を抱き枕のようにホールドする。そしてそのまま動きもしないし、何も話さなくなり、二度寝に突入しようとしていた。

 真琴は緊張で眠気どころではなかった。自分の体の全てを相手に委ねている状態で、いつどこを触られてもおかしくない距離なのである。鼓動は激しく脈打っていた。

 しかし、しばらくすると奏はそのままの体制で本当に眠ってしまっていた。

 この状況下で寝られてしまうというのは自分の女としての魅力度が低いのかと複雑な気持ちになる。

 相手がそのまま動かないものだから、段々と慣れてきて気持ちも少し落ち着いてきた。

 自然と頭の中に浮かび上がってきたのは、最近の自分の感情やら今日の菜知の言葉だった。

 素直な感情を汲み取ると、今こうして奏に必要とされていることは安心を覚えるし、どこか嬉しさもある。

 背後から包まれるような温かさはとても心地が良いものだった。

 ――私が奏に恋をしている?

 今はまだ結論は出ないが、抱き締める奏の腕、微かな奏のにおい、奏が温めた布団の温もりの全てを今は受け入れたいと思ったのだった。


【第三話 終わり】

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