第二話 君は勝手ばかり①
夜十一時を回った頃、二人には秘密のルーティーンが成立していた。
夜食やお風呂など、その日のうちにするべきことを済ませた後、奏はいつもリビングのソファで寛いでいる。
それが二人にとっての〝合図〟だった。
これから寝る支度に取り掛かろうかというタイミングで、真琴も無言でリビングにやってくる。
ソファで読書をしていた奏は、何もかも承知した様子で、そっと本を畳んでテーブルに置く。
奏の両手が空いたのを見計らい、真琴は奏の横に座ると、お互い顔を向い合わせ、そのまま互いの距離を近づける。
唇が触れ合い、最初は優しく、徐々にお互いの口内の境界がわからないほど溶け合うようなキスをする。
「ん、ぁ…はぁっ、んん…っ」
どちらのものともわからない吐息とリップ音だけが部屋に響く。
五分ほど経った頃、満足したのか二人の唇はゆっくり離れて行く。
二人は荒く息が弾んでいたが、徐々に落ち着きを取り戻す。
終始無言のまま目を合わせていたが、真琴のほうが先に言葉を切りだす。
「じゃ……おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
真琴は逃げ去るようにリビングを出て、自室に戻ると、ご丁寧にガチャリと鍵が閉まる音が響いた。
奏は真琴が自室に戻ったのを見届けると、テーブルに置いた本に手を伸ばし、読書を再開した。
この一連の行動は、最近では毎夜のように繰り返されていた。
一緒に暮らし始めて数日が経ったが、依然として二人は恋人関係ではない。
にも関わらず、一般的にいう「タバコを吸う」「コーヒーを飲む」行為と同じくらい、日常的な〝ストレス発散〟としてキスを繰り返していた。
真琴にとっては、これは良くない関係であると頭では理解しつつも、あの快楽と興奮を体が勝手に求めてしまい、摂取せずにはいられなかった。
* * *
夜は明けて朝がくる。
真琴は職場復帰後、節約のためにお弁当を自炊するようになっていた。
お弁当生活を開始すると決めた際、奏は自分にも作って欲しいとねだってきた。
一人分のお弁当というのは量が難しく、二人分作る方が楽だったことと、部屋を貸してもらっている恩がある手前、真琴は渋々了承した。
朝の短い時間でお弁当の準備を終え、朝食中に真琴はふと奏に質問した。
「そういえば、食べ物の好き嫌いってあるの?」
「好き嫌いはないよ。小さい頃からそう躾られたしね」
「ふぅん。そういえば、奏の家族って――」
突然、テーブルの端に置いていた真琴のスマホが、バイブ音と共に喧しく鳴り響いた。
まだ朝方だというのに誰からだと不審に思いながらスマホに手を伸ばすと、真琴の母からの着信だった。
何かあったのかと思い、慌ててそのまま応答ボタンを押す。
「お母さ、」
スマホの向こうからは第一声も遮るほど高く興奮した声が耳をつんざく。
「ちょっとアンタ! 聞いたわよ! 奏くんのところにお邪魔させてもらってるんだって!? それならそうと最初から言いなさいよもう!」
「は、待って、誰からそれ聞いたの」
「奏くん本人よ! ご丁寧にお手紙と差し入れを送ってくれて、連絡してくれたのよ! ほんっとうに気が利いて素敵な人よね……お母さん、ああいうお婿さんが欲しいわ♪」
「待って待って……確かに奏のとこにはお邪魔させてもらってるけど、私たち別にそういうのじゃないから!」
「あらそうなのぉ? でも奏くん独身なんでしょ? 見た目もカッコいいし、昔から優秀な子だしさぁ、アンタ狙っちゃいなさいよ!」
頭が痛くなる。勘違いを訂正するのも面倒な程〝奏に対する意見〟が違いすぎる。
ひとまずその話題は隅に置き、近況を簡単に説明し、今日もこれから仕事で長話はできないと伝えて話を終わらせる。
真琴は最後にもう一度、「奏とはそういうのじゃないから」と念を押し、電話を切る。そしてすかさず奏を睨み付けた。
「ねえ! 何で勝手にウチに物送り付けてんの!」
「ご実家の電話番号は知らなかったから。やっぱり嫁入り前の大事な娘さんを家に連れ込んでる以上、親御さんは心配するでしょ? これくらい当然の礼儀だと思うけど」
「私はアンタのとこにいるなんて伝える気なかったの!」
真琴はずっと奏のことを睨み続けるも、奏はノーダメージのようで平常運転だった。
恐れていた通り、この男は外堀を埋めて周囲の信頼を勝ち得ることに関しては天才的で、真琴が反発すればするほど周囲からは白い目で見られる。
憤慨しながらも家を出る時間が近づいていたので、乱雑に準備を整えて、奏よりも先に家を出る。
真琴と奏の職場は最寄駅が一緒のエリアだが、いつも別々に出発し、一緒に通勤することはなかった。
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