第2話 中編

 次の日の晩。


「あれ? 残業?」

 通話に出ると、雲雀一士ひばりいっしは、画面越しに小鳩士長こばとしちょうの服装を見て、可愛らしく首を傾げた。

 つなぎの作業服を着ていたからだ。


「残業。タイヤ交換まで行かなかった」


 つい、ぶっきらぼうな声が出てしまう。

 とある隊が演習地で破壊した車輛の部品交換を願い出ていて、そっちにかかりきりになったら、今日中に依頼されていた大型車両のタイヤ交換作業が押して行ったのだ。


「そっかー、お疲れ」


 うんうん、と同情してくれた彼女は、昨日と同じ部屋だ。

 昨日は気づかなかったが、背後には二段ベッドが見える。兄がいる、と雲雀一士は言っていた。お兄ちゃんと同じ部屋なのかもしれない。


「私、今日は昼まで寝てたよー」

 雲雀一士は、昨日と同じくイヤホンをつけて、会話している。


「だろうな、と思った」


 小鳩士長は苦笑いした。

 昼休みに一度、LINEを送ったんだけど、既読がつかなかったからだ。


「ゆっくりできて……」

 よかったな、と言おうとした矢先。


 画面右横から、ひょこひょこと、お父さんが出たり入ったりする。ついでに、ぶぉん、ぶぉん、と空を切りながら木刀の先端が見えた。

 非常に美しい上下素振りだ。


「……お父さん、剣道何段?」

「六段。あ、もう、気にしないで。言っても聞かないの」

「父親を無視するとはなにごとかっ!」

「なんか、家の中で一番天井が高いのがここなのよ。それで、出て行って、って言ってるのに、もう」


 うんざりした顔の雲雀一士は、意地でも背後を振り返らなかった。お父さんは、ずっと、「無視するな」とか「聞け」と言っているが、取り合わない。強い。お父さん、強い。我が家でも、妹にあの態度を貫けば、妹は話をするのだろうか、と思ってしまった。


「素振りしたら、寝るって言うから、ちょっと我慢して」


 雲雀一士が真面目な顔で言う。

 ぶぉん、とひと際大きな素振り音が鳴ったかと思うと、雲雀一士の背後に、お父さんが仁王立ちした。


「お。なんだ、その格好は」


 いや、お父さんの恰好こそ、どうですか、と小鳩士長は突っ込みたかった。

 なんとなく、『ダイハード』の、ジョン・マクレーン警部を思い出す。ただ、ズボンがよれよれのジャージなのだが。


「現在、残業中で」

 小鳩士長はとりあえず、会釈をした。


 だが、雲雀一士がイヤホンをつけているからだろう。「聞こえん!」とまた、大声で喚かれ、小鳩士長は、雲雀一士に、「イヤホン、イヤホン!」と、伝える。


「もー!」

 牛並みに大声を上げ、雲雀一士は、イヤホンを引き抜いた。


「現在、残業中でした」

 小鳩士長が再度言うと、ふん、と鼻を鳴らされた。


「課業が時間内に終わらんとは……。まだまだだな」

「はあ、すいません」

 とりあえず、頭を下げておく。


「君は、大型の免許は持っているのか」

 お父さんに尋ねられ、小鳩士長は首を横に振った。


「いいえ、まだです。というか、普通自動車免許を持っていません」

「なんだとっ」

 お父さんは目を剝いた。


「自衛隊でとれるし」


 小鳩士長の画面からは、雲雀一士の横顔しか見えないが、むう、と膨れているのがわかる。


 合格が決まった時、自衛隊地方広報本部ちほんから、「免許はうちでとれるから、教習所行かなくていいよ」と言われたこともあり、小鳩士長は普通自動車免許を持っていない。

 免許については、営内で講習があり、路上実習があり、合格すれば免許の取得ができるのだが、それも業務に必須な隊員が優先だ。


 小鳩士長は車両の修理が専門であり、運転は専門ではない。

 したがって、どんどん講習が後に回されている。

 まあ、取得したとしても、休日に車が運転できるか、というと、これまた申請を出さねば乗れず、面倒くさいので、免許を保持したところで使わない気もする。


「わたしは、大型二種を持っている。君はなんの資格もないのか」

 ふふん、とお父さんが胸を張る。


「危険物乙種なら、全類持っていますが……」

 正直に答えると、お父さんは言葉に詰まった。


「……全類か……」

「ボイラーと。あと数カ月で甲種も受験予定ではあります」

「な、ならば、調理師免許はどうだっ」

「いや、持ってないですね」


 お父さんは、息を吹き返し、「まだまだだな」と勝ち誇った。

 調理師免許を持っているというお父さんの職業が、どんどん謎に満ちて来る。


「お父さん、素振り終わったんなら、寝てよっ」

 雲雀一士が手を振って追い払う。もはや、野良犬の扱いだった。


「ふん。お前も、さっさと電話切れよ。お父さんは寝るんだからな」


 ぶつぶつ言いながら、お父さんは画面から出ていき、次いで、ドアの開閉音がした。

 ようやく、退室したらしい。


「ごめんね、小鳩士長……」

 耳にイヤホンをさし、しょぼんと肩を下げる雲雀一士に、小鳩士長は頬を掻く。


「いや、あの……。あれかな。お付き合いする時、ちゃんと挨拶してなかったから、あれなのかな……」


 小鳩士長は、世の恋愛事情に疎い自覚がある。

 世間一般男性とは、こんなに交際女性のお父さんに絡まれるもなのか。憎々し気に言葉を吐かれるのだろうか。その辺がわからない。悩みポイントでもあった。

 もし、妹に彼氏ができたなら。

 きっと小鳩士長は、その勇気と果敢なる挑戦に敬意を表しても、憎しみは抱かない気がする。


 ならば、この嫌われる原因はなんなのか。


 振り返り考えてみれば、ご挨拶が抜けたのではないか、と思ったのだ。

 自分だって、妹に恋人が出来たら、ちょっと紹介してほしい。あるいは、挨拶に来てほしいと思う。

 もちろん、小鳩士長とて、一度は考えたことがある。

 それは、雲雀一士と‶ねずみの国〟に行った時だ。日帰りは無理なので、一泊が前提だ。

 その前に、ご挨拶を、とおもったのだが、雲雀一士に、「やめて、恥ずかしい」と言われてうやむやになっていたのだ。


「関係ない。うちのお父さんが変なの」

 きっぱりと言い切り、雲雀一士はため息をついた。机に肘をつき、両手で顔を覆ってしまう。


「こんなに早く、営内に戻りたいって思ったことないよ」

「実家なんだし、ゆっくりすれば」

「できないでしょ、この状況で!」

「ごめん」

 反射で謝ると、雲雀一士が慌てて覆っていた手を下ろす。


「こっちこそ、ごめん。八つ当たりで……」


 はあ、と深くため息をついた時、ぎい、と扉が開く音がした。

 その音は限りなく小さく、また、雲雀一士のため息にかぶさっていたため、どうやら彼女は気づいていないらしい。


「休暇、明日までだっけ。明後日?」


 軋み音だろうか、と思いながら小鳩士長が尋ねると、「明後日」と、ぶっきらぼうに雲雀一士が答える。

 その背後を、すたすたとお父さんが横切る。

 やっぱり、ドアが開閉したらしい。

 お父さんは、そのまま、二段ベッドに上り始めた。


「どうしようかなぁ、この後。今日、お昼まで寝るんじゃなかったよ。まだ買い物とかしたかったんだけどなぁ。申請をし直して、そっち戻ろうかなぁ」


 ぶつぶつと予定を言う雲雀一士。

 その背後に映る二段ベッドの上部に、お父さんは寝転がり、ぎゅいん、と顔だけこちらに向けた。


 雲雀一士の背後から、画面を睨みつける双眸。

 ぎらぎらしている。

 野営の時に見た、草むらから見える敵チームの眼光のようだ。


「雲雀一士」

「ん? なに」

「二段ベッド、お父さんと使ってるのか?」

「はあああああ!?」

 振り返り、雲雀一士は、「さいてー!」と、怒鳴った。


「そこ、お兄ちゃんのベッドでしょう!?」


 あ、やっぱり、お兄さんと同室なのか、と小鳩士長は驚いた。

 まあ、小鳩士長の同級生でも、きょうだいで同室の人間は数人いた。

 同性ではあるが。


「あいつは今日、勤務らしいから、わたしがここで寝る」

「もう、さいあく! そんなんだから、お母さんに出ていかれるのよ!」

「出て行ったわけじゃない! 買い物に行ってるんだっ」

「半年も!? ばかじゃないの!」


 半年は長い。買い物ではなく、海外へ買い付けに行っているレベルだ。


「お父さんは寝るんだから、早く電話を切れ」

「お父さんが出て行って!」

「うるさいっ」


 言うなり、照明がいきなり消えた。

 お父さんがリモコンで照明を切ったらしい。


 そのあと、暗闇で親子の罵詈雑言が響き、小鳩士長は、静かに電話を切った。さあ、残業を片付けよう。そのあとゆっくり、お父さん対策を考えよう、と思いながら。

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