【短編】小鳩士長の憂鬱

武州青嵐(さくら青嵐)

第1話 前編

 小鳩士長こばとしちょうは、悩んでいた。

 業務内容のことではない。


 仕事、という点において、小鳩士長は順調だった。


 陸上自衛隊一般曹候補試験に合格。

 工業高校を卒業すると同時に、とある駐屯地の普通科直接支援中隊に所属し、車輛整備係に配属された。


 ちなみに、彼が整備するのは、装輪車だ。タイヤがついている車なので、「もしガンダムが正式に配備されても、お前は整備しないんだなぁ」と、高校時代の友人に残念そうに言われた。


 彼は入隊時、高校在学中に取得した資格を活かせれば、と漠然と考えていた。

 というのも、小鳩士長は、高校在学時、工業化学科に在籍していたのである。


 もちろん、彼が取得した資格について、自衛隊内部でも十分に考慮された。

 危険物乙種全類保持の彼は、隊に配属後、すぐに油脂庫の管理者として教育され、受験年齢が達していないため未保持の甲種についても、「条件が整い次第、努力せよ」と促された。


 小鳩士長が所属する小隊は、彼を大事にしてくれる。

 理由は、小鳩士長が来るまでの前任が、いけ好かない防衛大卒の男だったからだ。


 ちなみに、前任者は当初、小鳩士長を侮っていた。

 高卒の、資格だけある男。

 そう思っていた。


 ところが、小鳩士長は、そんじょそこらの高卒ではなかった。

 彼は、化学オタクだったのだ。


 そして、彼の工業高校の恩師 島津しまづは、生徒の主体性を尊重する教員だった。


 こんな実験をしたい、こんな化学薬品を作りたい、と言えば、人死にさえでなければ、なんでも許した。たとえ、生徒が火傷しようが、髪が燃えようが、大理石の机をへこませようが、笑って許した。自分に被害がないからである。

 そのおかげなのか、小鳩士長が所属したチームは化学オリンピックで有名私立校を破るほど、化学に特化した知識を持ち、かつ、さまざまな経験を獲得した。


 そんなことを知らない前任者は、小鳩士長を侮り、自分の知識をひけらかし、大恥をかいた。

 以降、ことあるごとに小鳩士長に化学知識で戦いを挑み、小鳩士長はそれを撃退してきた。

 現在でも、前任者は、小鳩士長に戦いを挑んでいる。それはもはや重箱の隅をつつく勢いで、「油脂庫管理」という大局を見ていない。

 その点においても、小物だと、小隊では噂されている前任者だ。


 そんな小鳩士長は、悩んでいた。

 仕事ではない。


 恋愛に、である。


 小鳩士長には、雲雀一士ひばりいっしという恋人がいる。


 彼女は、自衛官候補生の試験を合格し、任期制で入隊した。小鳩士長の後輩である。

 仕事の休憩時間に、雲雀一士の恋愛相談を真面目に聞いていたら、あろうことか、小鳩士長に惚れてしまったのだ。雲雀一士は、当時付き合っていて、厄介ごとしか言わない恋人をあっさり捨てた。


 その後、幾度となく繰り出される「大好きです」「付き合ってください」「彼女にしてください」を、小鳩士長は丁重に、だが完全に拒否してきた。そうなると、雲雀一士は、外堀を埋めはじめ、小鳩士長の上司や同期を攻略し、「あんなに一途な子をどうして」と、なぜだか、小鳩士長が非難されはじめたのだ。


 愕然としたが、もう、遅い。

 罠にはまった、というか、雲雀一士の情熱に折れた、というか、拒否することに疲れた、というか、もう、なにがなんだかよくわからなくなったのである。


 小鳩士長は、楽になりたかった。


 出会って一年後。ふたりは、交際する運びとなったのである。

 雲雀一士の、粘り勝ちであった。


 そうして、茫然としたまま始まった交際であったが、小鳩士長にとっては、生まれて初めての恋人である。二十歳の恋であった。

 当初、親友に雲雀一士のことを話すと「あんまり化学オタクの話をするなよ」と、注意された。


 だが、隠せるものなら、オタクではない。


 気づけば、彼はべらべらと化学について語っていた。

 なんなら、「化学検定を受けるから、しばらく勉強のため会えない」とまで伝えた。

 周囲は心配したが、雲雀一士は「だったら、私も勉強する」と、同じ参考書を買い、一緒に学び始めたのである。


 これには、他でもない、小鳩士長が感動した。


 出会った当初、装輪整備に興味はなく、任期が終われば、もらうものだけもらってさっさと辞めようと思っていたであろう彼女が。

 先輩として、小鳩陸士が雲雀一士に数値計算の説明をするとき、「a×a×aは?」と尋ねると、「3a」と、はっきりと答えた彼女が。

 問題が分からないとスマホで検索し、積極的に学び出した姿に、涙すらした。


 こうして。

 小鳩士長は、雲雀一士に惚れたのである。



 さて。

 順調に、そして社会人同士のお付き合いなのに、非常に清らかな関係から始まったふたりの交際であるが。


 小鳩士長は悩んでいた。

 恋愛のことで、である。


 だが、恋人の雲雀一士のことではない。


 目下のところ、悩みの種は、雲雀一士のお父さんである。


 小鳩士長が、お父さんと対面を果たしたのは、雲雀一士が、遅い連休をとった時だった。

 ちょうど小隊の隊員に欠員が出て、勤務予定の組みなおしを繰り返していたら、雲雀一士の連休が、平日になってしまったのだ。

 営内に残っていようかな、と雲雀一士は言い、そうして少しでも小鳩士長と過ごそうとしたのだが、お父さんの強い要望により、実家に戻されたと聞く。


 そんな彼女から、夜半に電話があった。

 小鳩士長が営内のコンビニでじゃがりこを買って店を出たところのことである。


「もしもし。今、大丈夫?」


 いつものくせで、ビデオ通話にすると、すっぴんの雲雀一士が見慣れない部屋から話しかけてきていた。実家なのだろう。

 耳にイヤホンを挿して、片手を振っている。

 素直に可愛いと思った。なんだか、頬が緩む。


「大丈夫。いま、PXを……」


 出たところ、と言いかけて、口を閉じる。

 雲雀一士の背後で、木刀を素振りしている男性がいるのだ。


「えー……、っと、雲雀一士」

「なに? 小鳩士長」

「それ、背後霊じゃないよね」


 一瞬、亡霊が見えているのか、と小鳩士長はわが目を疑った。

 それぐらい、なんというか、部屋と雲雀一士に、素振り男性はそぐわなかった。


「ん? なんのこと」

「その、素振りをしている方は……」


 おずおずと尋ねると、雲雀一士はきょとんとした顔を見せた後、眉根を寄せ、耳からイヤホンを引っ張る。


「お父さんっ! なにしてんのっ」

「うるさいっ。お父さんがお父さんの家でなにをしていようが勝手だろう!」


 やはり、霊的ななにかではなかった。


 自らお父さん、と名乗ったということは、この男性は、雲雀一士のお父さんなのだろう。

 素振り用の、ひと際大きく、太く、長い木刀を、びゅおんびゅおん、いわせて振りぬいている。

 天井の高い家なんだなぁ、と小鳩陸士はちょっと感心した。


「お前こそ、誰と話してるんだっ。あれか! 男だろう! お前、最近休暇で家に帰りたたがらないと思ったら……っ」

「別にいいでしょう!」

「いいことあるかっ! お前まだ、19歳で、未成年なんだぞ!」

「残念でしたー。もう18歳から一部成年なんですー」

「相手の男は誰だっ! 青少年健全育成条例に抵触するんじゃないのかっ!」


 怒鳴り合う親子を見て、小鳩士長は、仲がいいなぁ、と思った。


 小鳩士長にも、ふたつ年下の妹がいる。

 雲雀一士のひとつ下、現在高校生だ。

 昔は可愛かったのに、最近は、久しぶりに会っても交わす言葉が無い。

 帰省したら、「邪魔」と言われ、話しかけたら、「うるさい」と返されて自室にひきこもってしまう。

 なにもそれは自分だけではないらしく、父など、お言葉かけさえないらしい。

 母は、そんな妹を「孤高の人」と呼んでいた。


 ちなみに、妹は部屋でなにをしているのか、というと、勉強をしているらしい。両親が言うには、成績は学校でトップクラスなのだそうだ。

 あんなに勉強したら、将来ばかになるんじゃないだろうか、と両親は心配している。


「なんだそれは! 電話していたのかっ」


 突如、お父さんの手がスマホに伸びた。

 どうやら、雲雀一士は、スマホのカバーについたスタンドを使って、机に立たせていたらしい。

 がしり、と画面いっぱいにお父さんの掌が映り、なんとなく、小鳩士長は目をつむった。アイアンクロウされたのかと思ったのである。


 恐る恐る目を開けて画面を見ると、真っ暗だ。

 だが、しきりにお父さんは、「もしもし」とこちらに呼びかけていた。

 たぶん、ビデオ通話がわかっていないらしい。

 お父さんの耳であろう所に、仕方なく小鳩士長は話しかけた。


「あの、初めまして」

 そっと呼びかけると、「声が小さいっ」と、怒鳴られ、反射的に小鳩士長は背筋を伸ばした。


「初めまして! 雲雀一士と交際しております、小鳩士長であります!」

「なにぃ! お前、自衛官かっ!」


 憎々し気にお父さんは怒鳴り、画面の真っ暗が、怒気交じりの闇を抱える。

 なんとなくだが、お父さんは、警察官か消防隊員のような気がした。ひょっとしたら、海上保安庁にお勤めかもしれない。


「お父さんっ、さいってー! スマホをそんなに、ぎゅって、顔押し付けないでよっ!」

「顔ではないっ! 耳だっ」

「一緒よ! ぎとぎとになるじゃん! ったな!」

「なにが汚いか! お父さんだぞ!」

「お父さんが汚いのよ!」

小癪こしゃくな! その汚いもとから生まれたくせに!」

「生んだのはお母さんだもん! お父さん関係ないもん!」

「関係あるわ、ばかもん!」


 いったい、自分は何を聞かされているのであろうか、と戸惑った瞬間、通話が切れた。

 想像だが、お父さんがへんなところを握りしめ、通話が切れたのだ。


 こうして。

 小鳩陸士は、初めて、お父さんとの対面を果たしたのであった。

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