怪異の向かう場所


*****


 一年の計は元旦にあり、とは爺ちゃんの口癖のひとつだった。

 元日の過ごし方がそのまま一年の過ごし方となるのだ、というのをよく口にしており、思えば寝て過ごす正月を許してなどくれなかった。

 そうすると、元日から神居村じみたドサ回りをする俺は村へ戻ってもずっとこの調子で一年過ごす事になるのか――――という考えが降って湧いてしまう。


「そういえば――――行ってない」


 一月二日の夕方、すでに日の落ちた住宅街をうろつきながら思う。

 本来なら昨日の内に行くべきだろう場所へ行ってない事を。

 行ってないのは、二年前からだ。

 爺ちゃんが倒れて病院から帰ってこれなくなってからというもの、どうしても足を運ぶ気になどなれずにいたから、だと思う。

 その事を願いに行けばよかったのかもしれないが、とてもではないがめでたい雰囲気で満たされ、縁起物でいっぱいのあの場所へなど行く気になれなかったあたり、俺はわりかしウェットな人間だったような気がしなくもない。


 新春、賀正、そうした雰囲気を楽しめないのは二年越しで――――来春はそれこそ、それどころじゃない問題に頭を悩ませなければならなくなる。

 色々考えてごちゃごちゃした頭が、やがてひとつの結論に達して。


りょう、どうしてるかな……」


 ふと――――そんな言葉が口から漏れた事で我に返る。

 あたりに誰か歩いて聞かれてやしないかと、ひゅっ、と背筋が寒くなり心臓が縮まる。

 きょろきょろと辺りを見回すが、暗くなった街路には人影ひとつとしてない。

 冷え込みのきつくなった時間、それでも中々帰る気にもなれないまま、俺は最後に目撃された付近をうろつき回っていた。

 最後に“耳切りナース”が出現したのはあの廃病院の周辺だと、天峯は言っていた。


 こんな、ヤマカンもいいところの二日続けての張り込みだが他に手は無い。

 そもそもあの噂は会いに行けるものでもなければ、呼ぶ手段も無い。

 出そうな場所に張る以外にない――――何とも不親切で運任せの物語なのだ。

 わざわざ探すのも物好きな怪談マニアか、でなきゃ神居村の人間ぐらいなもので……こんな真冬にそうするのも御免被るが、今は恐怖より途方に暮れる感覚の方が強い。


 深い紫色の、しかし電線と電柱の隙間なく移り込む空を見上げれば――――その光景もまた俺の心情を示すようだ。

 空は続くのに、ごちゃごちゃした線がいくつもあるせいでスッキリしない光景が広がる――――否、せばめられている。

 雪がちらついては止んでを繰り返し、遠い車の音も聴こえない。

 雪は音を吸い込む、と知ってはいたのに何も聴こえないまま、時間だけがいたずらに流れていくような感覚の中でいよいよ頬の感覚が薄れてきた。

 三が日も明けない夕方から夜にかけての住宅街で人の往来などそうあるはずもなく、待ちぼうけを食らったまま――――誰から電話がかかってくる事も無い、繋がらないスマホを握り締めて待つ事さらに十数分。


 ふと――――不揃いの足音を聴いた。


耳をそばだてて待つと、降り続く雪の中でくっきりと浮かびあがるような足音を感じる。

それはさく、さく、……ざくっ、と不揃いなもので、リズム感のある一定の歩幅で刻まれる人間の通常なす自然な足音ではない。

 よろけているのか足取りを確かめているのか、右手側の交差点からやがて姿を現すだろうそれを待つ。

 姿はまだ見えない。

 見えないが、まもなく……曲がり角を通って、それは現れるはずだ。


 ほんの少し――――覚悟しているとはいえ、恐怖は忘れない。

 神居村で慣れているとはいえ、一人でそのテのものに出くわすのはやはりいい気持ちのするものではないからだ。慣れて驚かなくなっただけに過ぎない。


「――――やっと帰れる」


 なのに、それでも……出てくる言葉がそれなのは、我ながら呆れるばかりだが、緊張感をほんの少しでも緩めたい気持ちがあるのは否定できないが、気が早いかもしれない。

 何せ、今から姿を見せるそれが本当に“そう”なのかまだ分からない。

 それでも俺は気を抜かず、ポケットの中でスマホを“柄”へと持ち替えてそちらへ耳と目を傾けていた。


 呻き声のひとつでもすればいい。

 滴る血の音でも、不釣り合いなヒールの高らかな音でもすればいい。

 そう、念じて全身の神経を張り詰めらせながら待っていると――――曲がり角の向こうで。


「お゛、ぇっ……ッ! えふっ……」


 薄汚くえずくような、耳を塞ぎたくなるような声がする。

 ぴしゃっ、ぴしゃっ、と断続的に聴こえる不快な重い水音も。

 て、これ――――まさか、この音って――――。


 頭の中に綺麗に思い浮かんだ“汚い姿”をそれに当てはめながら、しかしポケットから手を抜かないまま、思いきって脚を前に出す事にした。

 曲がり角の先から姿を現すはずだった“それ”に向けて――――こちらから、だ。

 もうすっかりと予想はついてしまったが、しかし最低限の緊張だけは保ったまま曲がると、そこには――――。


「おぅ、げっ……! ちくしょ……」

「……大丈夫ですか?」


 何とも素晴らしく、正月早々見るには何ともおあつらえ・・・・・な――――神居村でも珍しく無いような光景が、今ここにもあった。

 塀に手を突き、ぶちまけている――――ニット帽とダウンジャケット、ゴム長姿のじいさんが一人。

 哀しくなってしまうようなどこにでもある光景だ。

 もう、その行動を見る事も説明する事も考える事もしたくない、どこに出しても恥ずかしくない見事な“酔漢”がいた。


 正月早々どこで飲み歩いたのか――――つい、しげしげと刺すように視線を向けてしまっていると、ひとしきりやらかして落ち着いたのか、その酔っ払いが体勢を立て直しこちらへ赤ら顔を向けた。


「あぁ……? 誰だ、おめぇ……」

「いえ、通りすがりで……大丈夫ですか、帰れます?」

「バカにすんじゃねぇよ……。ったく……ビックリしたじゃねぇか……っ」

「すいません」


 我ながら、謝る理由なんかない気がしてやまないが――――こういう酔っ払いの機嫌を損ねると非常に面倒くさい事になると分かっていたから、とりあえず下手に出る。

歳はだいたい六十になるかならないか、ぐらいか――――ビッとしていた爺ちゃんと違い、背筋の丸まったいかにもな風貌でぷんぷんと漂わす、近寄るだけで酔いそうな酒の匂いについ胸が詰まるようだ。

 何だか、もう……色々と面倒くさく、どうでもよくなってしまった。

 身構えていた自分の滑稽さを直視してしまい、つい色々と考えてしまう。

 そして、こういうタイプの人に合わせて当たり障りなくする妙なスキルも身についてしまった事もまた虚しさに繋がり、溜め息が出そうだ。


「……おい、兄ちゃん。こんなトコで何やってた? まさか、おめぇか?」

「…………“も”?」


 さっさと切り上げて一旦帰ろう、と思った矢先に今度はそんな言葉だ。

 含むところをしばし考え込むが、心当たりは何もない、いや――――あるといえばある事を思い出して、さりげなく廃病院の方角からは目を背けた。


「あの……俺も、ってどういう事ですか? 何かあったんですか?」

「知らないのか? このヘンに住んでんじゃないのかよ、そんなカッコしてうろうろして。ほれ、兄ちゃん。そこに、古い病院あんだろ?」

「……ええ、ありますね」


 どきっ、としたがその事をおくびにも出さぬよう注意を払いながら合わせると――――酔っ払いのじいさんが更に続ける。


「そこの噂になってんだろ、耳だか鼻だか切って取ってく、ってヤツ。あれな……捕まったんだよ」

「え!?」


 ――――捕まった。

 その意外な言葉に、俺はアホみたいな表情を多分浮かべて――――目を泳がせ、幾度もその言葉を咀嚼し、飲み込もうとする。

 だがその事実、とうてい飲み込めるはずもなく――――。


「え、え……? 捕まった、って……何です、それ!?」

「この辺に住んでる、いいトシこいて働きも学校もいかずしてるヤツがいてなぁ。有名だったんだわ。あるトキから、その耳だか鼻だか持ってく、ってヤツのマネしてウロついて、俺の甥っ子になるチビもそいつに驚かされたんだわ」

「……それ、いつ頃の話です? それとそいつ……ナイフとか、持ってましたか?」

「確か、先月だわな。この辺でとうとう捕まった時には何も持ってなかったってよ。家にはあんのかもしんねぇけどよ……」


 ぽりぽり、と赤くなった鼻を掻く老体は先ほどぶちまけたせいでだいぶ酔いが醒めたか、受け答えもハッキリしてきて帰る事も問題なさそうだ。

 だが今は、それよりも――――気にすべき点が出来てしまった。


 先月の初めごろ、すでにそいつは捕まっていたし悪事の詳細も明らかになっていたという。

 ならばもうその噂は信憑性が落ち、立ち消えていても然るべきなのに――――俺はあの廃病院で引き出しいっぱいに詰まった“戦利品”の幻像を見た。

 つまり、その捕まった“模倣犯”とは別に――――今さら驚きはしないが、やはり、いるんだ。

 しかし疑問がどうしても残る。つまり、“奴”は……どこに出る?


 天峯に聞いた時点では、目撃例はおよそ十回。

 その内、九回、十回目ではまたこの廃病院周辺まで戻ってきていたはずだ。

 段々とズレていき、北北東へと出現例を積み重ねていたのに。

いきなりここへ大胆なUターンを決めて――――――。


「え…………?」


 北北東へ、出現地点が、移動して――――――?

 その方角は……もしかして。


「神居、村…………へ……向かってる、のか……?」


 天峯に見せられた地図をもらったのを思い出し、スマホの画面の中に呼び出したその地図の出現地点を線で結ぶ。

 すると直線が一本、きれいに出来上がってしまった。

 更に縮尺を広げて、その線をまっすぐ、北北東へ向かって書き足すと――――確かに行き先は同じ。

 “廃病院の耳切りナース”はもう、この街にいない。


 悪質な模倣犯が検挙されてしまったから、誰も信じなくなった。

 そうして、現実味の薄れた“怪談”の登場人物達は行き場を失い、やがて神居村へと流れ着き――――何度かの出没の後、撃退され続け、自分自身を葬り去るようにしてやがて忘れられ、今度こそ本当に消える。

 恐らく、今回最初の“耳切りナース”を演じたのも、そのやからのはずだ。

 それこそ天峯が言っていたように、社会への苛立ちからか、面白半分からか、昔聞いていた噂をなぞる馬鹿げた事を始めるうちに――――噂の立った当時を知る人達が煽り広げていったのだ。


 その結果、本当に生まれた。

 “廃病院の耳切りナース”が――――誕生してしまった。


「そう、か。そういう事か。なら――――見張るべきは最初から、ここ、じゃ――――」


 ようやく、合点がいった。

 腑に落ちた。

 神居村へ向けて北上しているのなら、そして天峯がつけたこの記録さえあれば――――大まかにでも出現地点を割り出せるはずだ。

 後は。


 ――――今回出没を重ねている“怪異”を切り伏せられれば、次に神居村にあらためて出現する事はあっても、その途上にある街々で目撃される事はないはずだ。






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