対峙


*****


 浮谷さんに何と言った事か考えながらも俺はまた、知りもしない街を歩く。

 とっくに日が落ちるどころか、一般的な夕飯の時間さえ越えている。

 速ければ寝る前の歯磨きでもしているような時間に俺は知らない街をうろつき回り――――どちらか不審人物なのか分かりもしない。


「天峯――――俺、言ったよな。何のつもりでこんな時間、こんなトコにいるんだ」

「近所だし、帰るところだもの。私の台詞よ、七支杏矢。あなたこそ何のつもりでここへ?」

「……たまたま」

「職務質問されてる時みたいな答えね。通じる事を祈ってるわ」


 ――――こいつにさえ出くわさなければ。


「……もう帰れよ。いったいどこだ、お前ん家」

「あなたこそどこまでついてくるの。同じ角ばかり曲がらないで」

「Uターンしてもついてきただろお前!」

「偶然道を間違えたのよ。偶然、偶然」


 ここまで遠征して駅に降りた瞬間――――本当にその瞬間、改札を出た直後に天峯と偶然出くわした。

 聞けば、バイトの帰りだとかで……流石に何かの意図を疑ったが、その可能性は割とすぐに消えた。

 というのもここは天峯の進学した高校の近くなので、そこにこいつが帰ってきても別に不自然ではない。

 鉢合わせた時には俺も驚いたが、それ以上に天峯の方が珍しく驚いたようで、挨拶を交わした時には珍しくんでいた。


 そして、結局こうして歩く事になり、流石に途中で分かれるだろうと思ったがどこを曲がっても、どこを通っても、天峯と俺のルートが重なり――――試しにUターンしてみたり、わざとブロックを一周するように歩いてみても天峯は離れない。

 その間も特に意味ある言葉を交わすでもなく、沈黙の方が長いと言ってもいい。


 そして、今は――――歩き疲れたので、近くに見つけた公園に入り一休みしていたところ、そこまでも天峯はついてきて、同じベンチにまで座ってひと心地ついていた。


「……これも偶然か?」

「そんな訳ないでしょう、そろそろ疑いなさい七支」

「疑ってた。疑ってた、最初から」

「あらそう、気付かなかったわ」


 何とかして天峯を帰らせようと何度も試みたのに……結局、こうして飄々と構えたこいつを説得する手段がないまま、こうなる。

 雪もまだまだ降り続き、しんと静まり返った空気の中で天峯は白い息を吐いて、マフラーの中で籠もる吐息に眼鏡を曇らされながら、どこへか視線をやっていた。

 もとより、言ったところで素直にしてくれる奴じゃないのも分かっていた。

 頑固というよりは掴みどころがなく、打っても響かず受け流される。

 この件は忘れろ、と言っても結局聞き分けの良い答えが返ってきたのは“病院に近づくな”というだけの部分だけだがその意味ももうない。

 廃病院近くで目撃された最新の事件ふたつは模倣犯のイタズラで、それ以前の目撃・発生は全て北北東へ移動しながら行われているものだった、そう伝えようか今は迷っている。

 神居村に引き寄せられる奴の予測進路がこの辺りをもう通りすぎてしまってくれればいいのに、同様の事件がこの辺りで起こったかを訊ねれば必ず天峯は感づくだろう。

 しかし伏せていられる訳もないまま、またも天峯を安心させられないようになる情報を伝えてしまっていいのか――――悩む。


「――――あなたは何を探してるの?」

「んっ……!? いや、別に何も……!」

「何も? ……それは寂しいわ。何か探しなさい、若いでしょう」

「待った……何の話?」

「何、って……色々あるでしょう。大仰おおぎょうな言葉を使いたくないから訊き返さないで。恥ずかしい」


 驚いて跳ね上げた視線は、そのまま天峯のこちらを向く横目とぶつかりあって――――しばし後、天峯の方が視線を切った。

 口まで覆うマフラーを下げたせいか、眼鏡の曇りが取れていても――――暗くて、その表情までは見えない。

 質問の意味を理解はできても……やっぱり、俺には今は答えられない。


「……そういうお前はどうなんだよ。お前こそ何探してんだ、天峯。いや……見つかったのか、何か」

「ええ。……そうね、せっかくだから教えてあげる。私、今――――民俗学を学んでいるの。大学に入ったらもっと本格的にやりたいわ」


 その言葉は一息に言い放たれた。

 淀みなくすっぱりと、自分自身からも沸き上がる照れを押し隠すような快刀乱麻の一声だった。


「みん、ぞく――――」

「と言っても……指す範囲が広い言葉よね。私が学びたいのは日本各地方の民話、伝承――――そういった類のものよ。だから……あなたの今いる村にも大いに興味があるわ」

「……神居村に?」

「そうよ。あなたが聞かせてくれた事も面白いし、それに……名前、が……」

「名前?」

「ええ。神居村……って、こう書くのよね?」


 言って、天峯は靴のヒールを器用に使い、ぐりぐりと削り込むように足もとの雪に村の号を書いた。

 すなわち、“神居”――――と。

 書き終えた後で天峯は前傾し、顎に手を当てたまま押し黙って考え込み、やがて。


「……名前が引っかかるわ。この綴りなら他にも読み方がある」

「他の読み方? どんな」

「――――“カムイ”」

「カムイ――――って、確か北海道の言葉だよな。アイヌの……」

「ええ。神居古潭かむいこたん、という旧名の村もある。……謂れの気になる村よね」

「…………言っておく、俺も未だによく分かってないよ、あの村」

「因習でもあるの?」

「どっちかというと自然災害だな」

「ふぅん……? あなたも随分秘密主義になったのね。ともかく、私は興味が湧いたわ。あなたのいる、神居村。レポートの題材にしたいぐらい」

「オススメしないぞ、やめといた方がいい」

「どうして?」

「携帯が使えない。フロのない家庭が多い。虫が多いし田んぼしかない。校舎は木造で古いし寒い、夏は暑い」


 言って、俺はそれでもツール代わりに持ち歩いていたスマホのホーム画面を見せてやる。

 雪化粧した神居高校の木造校舎、枯れて禿げ上がった裏山を背負う、黒ずんだ木造と雪のコントラストが生む――――写真の心得など無い俺が撮ってなおも見惚れるような出来栄えに撮れた一枚だ。

 季節ごとに変わりゆく今の学び舎は、あと一年しか通えない事が惜しまれるような表情を日々見せてくれる……誰にとっても懐かしいような場所なんだと思う。

 それは、食い入るように見つめる天峯の眼差しからも分かる。

 あの天峯でさえ眼を離せないような……そんな光景が、そこにはあるのだ。


「――――七支。誤魔化されそうになったけれど……何をしに来たの、こんな何も無い場所へ。帰ってきた、という割にあまり実家にいないみたいじゃないの」

「ああ、まぁ……うん……でも、帰省してもあまりする事ないだろ。ダラダラするのも悪くないんだけど」

「同感ね。……まぁ私の場合、……いや、寒くなってきたわね。ちょうどいいわ、あそこに自販機がある。何か買ってくる。奢るわ。もう少し、その村の話も聞きたいの」


 ぶるっ、と身震いするような寒さは、段々と日が落ちて厳しくなってきた。

 ちらちらと降る雪でまた街の音がかき消され、閉じ込められるような静寂が囲い込んでくる気がする。

 粛々とただ冬を進めるために降るような粉雪の中、おもむろに天峯が立ち上がって公園の一角、雪に霞んでかすかに見える自販機まで歩いて行く。

 浅い雪をブーツの踵で突くように背筋を正して歩き、財布をポケットから取り出す天峯を見ると――――その芯の強さが、眩しくも見えた。


 碧さんも天峯もまさか示し合わせているワケでもないだろうに、それともこの時期だけの空気が必然、そうさせるのか……“そういう事”を考えざるを得ない。

 別にずっとのんべんだらりとしていたい訳じゃなくとも、どう生きていたいかを具体的に考えるのがどうしても慣れない。


 少し経ち――――自販機に向かった天峯がそろそろ戻るかという頃合い、より雪が強くなる。

 屋根も無い吹き曝しのベンチにいる事そのものが間違いに思えるような、小粒とはいえ止まない雪は、体温に留まらず視程までも奪う。


「……遅いな、天峯。自販機……って、そんな遠くも……」


 うすぼんやりとでも見えていた自販機の光は、雪の粒で拡散してもう見当たらない。

 見えずとも、天峯がそこまで歩いて行ったのは間違いないのに――――。

 時計を見ていた訳ではないが、そろそろ、戻ってくるにはいい時間なのに。


 その時――――注視していた方角からではなく、左手側。

 公園の奥、遊具へ続いていた方角に高く響く足音を聴いて、浅く腰かけたままそちらへ視線を移す。

 雪景色から、ヒールの音が夜の雪に吸い込まれずに届く。


「遅かったな。いったい、どこまで――――――」


 見えたのは――――素足に引っかけるように履いた白いパンプス。

 青黒く鬱血した肌色の脚に血のこぶを散りばめたような――――それは一目見れば、生きている人間のそれでない事が分かる。

 どきん、と跳ねる心臓の感覚は脚線美に見惚れてのものでは決して無い。

 そいつが、とうとう――――現れた事への、高揚と、堪えきる事はできない恐ろしさ。


「ミ……ミィ゛ィィ…………ッ」


 恐ろしくくぐもった、ひどく痰を絡めて咳き込むような低い叫びが俺の耳に突き刺さる。

 こいつが――――そう、か。

 ふと、顔を上げようとした次の瞬間――――白いパンプスは、俺のすぐ傍の左手側に一瞬で移動してきていた。


「――――っ!!」


 とっさに身が翻り――――奴の反対側へベンチから離れつつ倒れ込み、雪の積もった地面を転がるように距離を取った。

 一瞬遅く、耳もとすぐそばをびゅっ、と風を切る音が通りすぎて。

 溶けかけた雪がその一瞬で上着に沁みて、まさしく背筋を凍らせるように冷たく背中を濡らす。

 片膝を突きながら向き直り、無意識の内に俺の手は左耳へ添えられた。


 ――――よかった。

 ――――まだ、ついてる。


 そんな言葉が浮かび――――改めて、俺はそいつを正面に捉えた。


 今は見なくなった、爺ちゃんのいた病院でさえ一度も見なかった時代遅れの旧式ナース服はあちこちがほつれ、破け、赤黒いおぞましい色の液体があちこちにこびりつく。

 はだけた胸元から見えるそこも、何もそそる事なく――――ただただ、死体のような白蝋色の肌には怖気おぞけしかない。


 だらりと垂れ下げた右手には、逆手に握り締めたおよそ最も有名な“外科道具”がある。

 そして、ついに顔を見るが――――その形相は、更に凄まじいものがあった。


 生気を感じぬほど青白く眼球は白濁して光を失い、裂傷まみれの唇は半開きのまま、呂律の回らず意味も通らない怨嗟の声を紡いだ。

 もつれた髪に縋りつくような、落ちていないのが不思議なほどのナースキャップもまた不気味な痛々しさを醸し出す。

 そして最後のダメ押し。

 彼女の怪談を飾る最期を物語る。


 両耳に深々と突き刺さり、頭蓋の中で刃先をすれ違わせているのではないかと思えるほど深々と刺さる――――“メス”。

 持ち手を伝い落ちた血が、ナース服の肩をべっとりと濡らして今も乾かない。


「……ようやく会えたな、おい」


 そう、こいつこそ――――俺、そして天峯の追っていた――――碧さんもまた存在を感知していた“存在しないもの”。

 この世界に存在するはずはなく、存在していてはいけないのに、それでも“存在”させられてしまった想念の塊。


「廃病院の耳切りナース。……聞いてた通りの見た目だ」





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