謎解きは除夜の鐘のあとで



 年越しそば、除夜の鐘、年越し直後にまだ飲む碧さん――――そんな、ひとつ余計な年末だった。

 冬休み期間はもう少しだけある。

 とりあえず、一月四日には村へ戻る予定でいる。

 だが、そうできるだけの悠長な余裕があるかといえば、答えは否だ。


 何もなければ良かったのに――――あの廃病院で、俺は目撃してしまった。

 引き出しの奥いっぱいに詰まった、切り取られた耳の幻像。

 それもまた、あの病院の語り草となってしまった都市伝説、怪談のひとつであり……俺は、確かにそれを体験してしまったのだ。


 信じられる事で、都市伝説達は実体化する。

 信じなくなり、陳腐化すればいずれは消えて、神居村に出没するありきたりの“それ”として薄まり、やがては村にさえも出なくなる。

 だが、今――――“耳切りナース”は現役のものだ。

 その先触れとして現れたのが、俺の院長室での体験だったと思う。

 どうにかして、今回の噂を収束させてしまうか――――あるいは俺が遭遇して物理的に退治してしまえば少なくともこの近辺には出なくなる、というのが碧さんの予測だ。

 結局は村でケツを持つ事にはなるけど、警戒心の薄い、というかそもそも怪談の登場人物など信じて生活しない村外の人間に犠牲者が出る事はなくなる。


 とんだ“出張除霊”を引き受けた事になるが……無論、イヤな訳はない。

 実際に被害者が出てしまい、そして、天峯から……初めて、相談を持ちかけられた。

 黙ってなんかいられず――――結局、やなぎに知られたらまた茶化されそうな話になってきた。

 帰ってきた日からずっと続く緊張の日々のせいで気など休まる事もなく、結局本日、元日の朝から雑煮をすすり、浮谷さんとついでに碧さんに新年の挨拶もそこそこ、すぐに情報収集に出掛ける事になってしまった。

 アテはない。ただ、少し――――天峯あまねの様子が、気掛かりだった。



*****


 とかく天峯は最も記憶に古いころからずっと冷めたタチだった。

 ふつう、小学生ともなれば男子女子でベクトルはあれども社交性はあり、テンションも高いだろうにそれがない。

 こちらへ転校してきた時の俺は塞ぎ込んでいたが、そうした背景があるでもなく天峯の冷たく見透かすような眼は昔から変わっていない。

 思えば、小学三年生ごろからもう天峯は眼鏡をかけていた。

 プール学習か体育の時でさえヒモを掛けた眼鏡を外していなかったぐらいで、当然目立つ。

 いつか訊いたが――――天峯は、本当に視力が低い。

 良い方の眼でさえも〇.○四という筋金入りで、特に夜など歩く事は不可能だ、二十センチ先の本も読めない、視力検査の輪っかは一番上でもうギブアップだ、とも。

 眼鏡を作ってからは多少目つきが穏やかになった気もするが、それでさえ比較的、とアタマに付く。

 そして見た目通り理知的で頭の回転も良く、現実主義。

 それが子供の時からずっとだから、子供の輪に入れないのも頷けた。


 問題は、そんな天峯が何故今回、この噂に限ってこんなに熱を上げているのか――――疑問に感じた。

 “知り合いが、廃病院の耳切りナースに襲われた”。

 そう天峯が語った事自体が俺には、あまりに腑に落ちない。

 知り合いがどういう間柄の人間であれ、天峯はそんな事を聞かされればこう答えるに違いない確信がある。


 ――――“バカな事を言わないで。そんな事があるわけないでしょう”。

 ――――“そんなモノが本当にいるはずない。だいたいあれはただの噂”。


 天峯ならば間違いなくそう答えて話題を打ち切り、とにかく現実的に切り捨てるはずだからだ。

 真に受けるわけは絶対にない、絶対にありえないとさえ言い切れる。


 しかし、天峯は信じていた。

 その、“耳切りナースに襲われた”という知り合いを信じて、あの噂の舞台になった病院を突き止め、そして何か手掛かりでも無いかと不法侵入までした。

 探索自体を持ちかけたのは俺だが、恐らくあの調べようから言って俺が切り出さなくても天峯から切り出してきただろう事は想像できる。


 結局、天峯が何か得たものと言えば、あそこの元院長の感傷の一品程度。

 代わりに俺が見たのは、みっしり詰まった耳の幻像。

 ここまで考えてようやく、答えが見えかけた気がして――――気付けば、初売りのモールへ一人やってきてしまっていた。



*****


「元日からやってなくてもいいだろうに、なぁ……」


 一月一日の午前だというのに、モールは随分と賑わっていた。

 怜と一緒にツリーを見に来た時に負けず劣らずの人の入りの中を、掻き分け、立ち止まり、分け入るようにして俺は歩く。

 あちらこちらに紅白の幕がかかり、店の入り口には立派な門松かどまつが勿論鎮座している。

 福袋を買う人達があちこちのテナントで列を成しており、祖父母と連れだって歩くお年玉で懐の温かくなった子供も少なくない。

 何も元日から営業しなくてもいいだろうし、元日から買い物になんて出なくていいだろう、と強く想っては、思うように進まない人混みにほんの少しだけ身勝手な苛立ちを募らせてしまう。

 いや、元日からこんな所に来なくても、というのは我が身にも降りかかる言葉だから――――もう、やめよう。


 ともかく俺は今、ある一角を目指していた。

 そこは昨年のクリスマス商戦時期に怜と歩き、そして、天峯と再会を遂げた場所。

 あいつがアルバイトをしていた小さなアクセサリーショップだ。

 元日から入っているかは微妙だが、電話で呼び出すのもなんだし――――何よりも、こちらへ戻るなりの廃墟探索に加えて、昨晩唐突に碧さんから振られた話題と続いたものだから、どうせなら活気のある場所で気晴らしがしたかったのもある。

 一朝一夕に答えを出せない問題、一朝一夕ではなく考え抜いて答えねばならない、誰しも必ずある岐路が頭を悩ませる。

 現に、あまり眠れず……こういう時は家でゴロゴロしているより、外の空気を吸いながら歩く方がいいというのも理解していたからだ。


 そうして、新春の朝の空気を胸いっぱいに取り込みながら歩き、活気と熱気であふれるようなエントランスを抜けて、怜と遊びに来た時の足取りそのままで店に向かうも――――天峯の姿はなかった。

 小さな店内には小学生ぐらいの女の子が二人、お婆ちゃんらしき人とディスプレイに目を奪われているのがまず見え、奥のレジには妙齢の女性が立っていた。

 とりあえず……訊いてみるしかない。


「あの、すいません……」

「はい、何でしょうか? プレゼントをお探しでしょうか」

「いえ……天、じゃなくて……羽切はきりさんは、今日は?」

「本日は午後からの出勤でして……何かご用件ですか?」

「ええ、ちょっと……。すみません、それでは後で出直してきます」


 時刻はまだ、昼飯を食うのにも早い時間だ。

 とりあえず、天峯がまだ来ないというのなら待つ以外に行動が取れない。

 あいつが携帯を持っていたとしても俺はないし、この館内から公衆電話を探す手もなくはないが――――そこまではしたくない。

 こんな事ならば、家を出る前に電話をかけてアポを取っておくべきだったと思うが後の祭りだ。

 ひとまずはそうするしかなく、時間つぶし、それと当初のもう一つの目的――――気分転換、の為に店を後にした。



*****


 こんな時だから、と館内をぐるり一回りしてやはり――――あまり見どころが無い場所だな、と失礼にも正月早々思ってしまった。

 今はクリスマスツリーの飾ってあった吹き抜けには、てっきり巨大な鏡餅のオブジェでもあるかと思ったが何も置いていない。

 それでも活気はあるのだが、イマイチここへ遊びに来ている人達の動機が分からない、というのが正直なところだ。


 人混みから逃れる内に、吹き抜けの最上階、アトリウムを一望できる三階の回廊へ辿りつくと、ぼんやりと人の往来を見下ろしながらようやく一息をつく。

 高くなった陽射しがガラス張りの天井から燦々と注いで、雲間から覗く青空もまた爽快に澄んでいて――――これ以上ないほどのいい空、いい午前のひと時なのにそれでも反対に俺は気分が晴れない。

 この三階まで来ると、流石にゼロではないものの人の行き来も少なくなり、人酔いもだいぶ落ち着いてきた。

 そのまま、手すりにもたれかかって正面にある大時計を見ると、十一時半をまわった事を示している。

 意外と時間が経っていた事にまず俺は驚きつつも、あらためて頭の中を整理する。


 天峯がああまで信じ込んでいた理由に、仮説は立てられた。

 しかしそこから先、どう切り出したものかがまだ見つからない。

 訊き方によっては天峯を怒らせてしまうだろうし、そうなればもう話は広がらないだろう。

 そうして、更に時計の長針が数字ふたつ移動した頃――――気配を感じ、振り返る。


「うわっ……出た」

「ちょっと。……出た、とは何よ。人を何だと思っているの」


 そこには、もう少しだけ時間をくれると嬉しかった当人が、呆れるようにして立っていた。

 廃病院の探索行の時と違って小奇麗な服装に身を包み、コートの下はフェミニンな印象を受ける品の良い群青ぐんじょうのワンピースを着て、すらっと長い脚はつた模様をあしらったデザインタイツに包む、隙の無い着こなしがこいつの性格を物語る。


「天峯……なんでこんなトコにいるんだ」

「なんで、ってバイトしているからよ。言ったはずじゃない。……それとももう一つの意味なら。普段、私は少し館内を回ってから出勤するのだけど、たまたまここで黄昏たそがれてる貴方が下から見えたの。後ろから蹴り落としてやろうかと思って」

「別に黄昏てたわけじゃ……。……いや、そうだよ。お前の事で悩んでた」

「え……」


 もう、――――あれこれ考えるのも面倒になってきた。

 どうせ確認したい事実はひとつっきりなんだから、伝え方だの相手の受け取り方だのは今はどうでもよくなった。

 もういい、もう、――――訊いてやる。怒られたら謝ればいい。


「言ってたよな、天峯。知り合いが耳切りナースと出くわして耳を切られかけたって。…………それ、本当に知り合いの話か?」


 天峯から返答はない。

 ただ泡を食ったように天峯の口もとは震えてかすかに開き、まっすぐ揃った白い歯がわずかに覗けて、眼鏡の奥でこいつの瞳孔が一瞬広がったのも確かに見えた。

 そして、更にもう一言。


「…………“知り合い”なんていないんだろう。お前だったんだろ、それ」


 どこかに、ずっと違和感があった。

 知り合いの話を語っている間、ずっと探り探り、頭の中で反芻しながら確認とともに。

 例えるならば予定表をなぞるように話している気がしてやまなかった。


「……いたわよ」

「何?」

「……認めるわ、七支。どうあれ、そこまで辿りつけた貴方の眼力には敬服する。でも、違うのよ。……私は、嘘はついてない。ただ少しだけ……話をズラしはしたけれど」

「それ、どういう……」


「ええ、その通り。知り合いじゃない。そこ以外は全て事実。例の耳切りナースに襲われて逃げた、それは……確かに、私よ」





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