大晦日の朝、飲んだくれと孝行孫
――――――結局、今年最後の二日間はまるで気の休まる事がない。
天峯と別れた後は浮谷さんに付き合って年末の買い物へ行き、大掃除をやってパタパタと動いたのもあるが、それは覚悟していたことだし予定だったからいい。
そして暇を見つけては、居間の一角にある共用のパソコンを開いて調べに向き合う事になる。
とっくに契約を切ったスマホは役に立たず、立派な傷害事件とはいえ時間が経ち過ぎてしまったから例の事件についてニュースでやる事はない。
図書館へ行って調べるか、と考えはしたがこの年末に開いているはずもない。
なので必然として、というか今の時代当然ではあるが――――この文明の利器が、調べ物をするには一番なのだ。
余談ではあるけど爺ちゃんも別にパソコンに弱い訳では無く、むしろ使いこなしていたと言っていい。
旅行の際の申し込み、バスや電車のチケット予約等でかなり愛用しており、葬式の後はそれらのサイト退会が割と大変だったぐらいだ。
ともかく処分しなくてよかったし、今もあってくれたパソコンのおかげで調べ物は捗る。
耳を実際に削がれてしまった事件には、詳細までは分からずとも行きつく事ができた。
被害者は例の病院で見せてもらった地図の、色分けされたピンの場所とばっちり重なる場所――――病院からは北北東へ離れた路上、住宅街の一角で襲われた女性がいた。
時刻は夜八時頃の事で、重傷を負って搬送されたが命に別状はなし、との事。
警察による捜査中の事件だから、ここまでしか行きつけない。
ここから先は驚くほどニュースが少なく、検索結果の一覧にはしだいに“耳切りナース”の文言が混じるSNS投稿が増えてきた。
その内容はどれも荒唐無稽で無責任、ただ面白がって囃し立てるだけのものに見えたが――――今の俺はもう、笑えない。
*****
「それで……首尾はどうとな? 杏矢よ」
大晦日の朝、仏間の掃除に入っていた俺へわざとらしく声をかけてきた碧さんは、恐ろしい事に――――既にほろ酔いの加減だ。
振り返ってちらりと見れば前日の酒が残っているのではなく、今しがた飲んだばかり、という具合で紅潮して口からは酒気が漂い、締まりのなくなった唇から覗く歯列までも緩く開いており、目もどこかとろんとして危ない様子。
「……朝から飲んでる人に言う事なんてありませんよ」
やがて俺は溜め息とともに視線を戻すと、仏壇を拭き上げていた手を休める事無く、すぐそばにあった座布団へ腰を下ろした気配だけを感じ取りながらぞんざいに応対した。
今はともかく爺ちゃんの位牌の収まる仏壇を掃除してやりたくて構ってられないし、それでなくても例の一件が頭からまるで離れやしない。
「何じゃ、酔うてなどおらんぞ?」
「酔ってる人が必ず言うヤツでしょう、それ。……碧さんも手伝ってくださいよ。浮谷さんが台所にいますから」
「つれないの。……物事は考えすぎても好転せぬぞ。お主はまだ未熟ゆえ、酒でも飲んでほぐせ、とは言えんが……少しは気を抜け、真面目くさりおって。そういうところは爺殿に似ておるわ」
「そりゃどうも。だから何か手伝ってと言ってるでしょ!?」
「うむ。……それもまた、少し酔いを覚ましてからじゃの。それとも、今の私に包丁を握って炊事をしろと? かように血を欲するか、よかろう」
「何かの人斬りみたいな事言わないでください」
からからと笑い、仏壇を拭いて磨く俺をまるで化かすように碧さんはべったりと腰を下ろして座り込む。
初めて会った日、この仏間へ入ってきた奥ゆかしい緑さんはもうどこへやら――――ここにいるのは、大晦日の朝から酔っ払い、大掃除に精を出す俺をわざわざ笑う変な人だ。
「……皆、先立ってしまうのだものなぁ」
ぽつり――――と碧さんが呟いた一言は、確かに耳の奥まで届いた。
少しだけ注意深く視線を振り向ければ、碧さんがべっとりと溶けるようにして座卓へ伏せながら顔をこちらへ向けていた。
「神居村に住まう者達は皆、私を村へ迎え入れてくれた旧知の者達の子孫よ。誰も彼もが、よく知る面影ばかりでな。……まぁ似てくるのじゃ。幼少の姿、青年期の姿、大人の姿、中年、老年、そして……
「ええ。……色々と衝撃でしたけど、正直今はそう驚いてもいない感じです」
「ふっ……肝の据わりも、爺殿に似ておるの。あの時な、お主は私の身の上を知ってなお、気遣う言葉を掛けてくれたろう。私が百数十年若ければ惚れておったろうな」
「文字通り冗談じゃないからやめてくださいってば」
そう、本当にこの人、いやヒトなのかは定かでないが――――百数十年、碧さんは姿を変えていないのだ。
たかだか十数年程度ならば老けづらい、見た目が若いで済ませられるのに――――百年を越えて見た目が変わらない、そもそも生きているというのはもはや生物のくくりではない。
碧さん自身にも分からないらしく、追求もできないから胸に仕舞うしかなかったが……ともかく、碧さんは、“人間ではない”のだ。
「……神居村って、昔から不思議な事の起こる土地だったんですか?」
そんな碧さんの最も古い記憶は、神居村の山中に裸で佇んでいた事だったという。
今はもちろん、都市伝説だの二軍落ちした怪談話の何やかやが村内、村外問わず出没する場所になってしまっていて毎日が賑やかだ。
古く遡る神居村の由緒もまた、何とも興味深いロマンに溢れたものでもある。
では、一昔前は――――神居村では、何が起きていたのか?
ようやく仏壇の拭き掃除に区切りをつけ、碧さんへ向き直りながら問いかけてみた。
「まぁ、なぁ。村では何が起こっても不思議ではない。本当かは定かでないが、数百年前には“百鬼夜行”を見た者までいたそうじゃな。庭に落ちてきた“
つまり、昔から――――その手の怪奇が起きるたびに暴力で解決していた村なのか。
ならば村の皆のあまりの肝の据わり方にも頷ける。
昔からそうだから、そういう住民ばかりがいたから今でも何が起きても基本的に誰も物怖じしないのだ。
「ふふっ……懐かしいのう。ところで、杏矢よ。お主…………」
「はい?」
「お主――――どうするつもりじゃ?」
「何がですか」
「とぼけるな。お主、神居高校を出た後は何とする? また、ここ……お主の家へと戻るか?」
それまでの雑談から一転、胸を貫くような問いかけが、俺に向けられる。
十七歳、高校二年の冬ともなれば決して逃れられない――――向き合うべきその問題だった。
俺も、考えないようにしていた訳じゃない。
だけど、それを考えるたびにいつも、秤にかけなければならないから――――結局自分でもウヤムヤのまま、先延ばしにしていた問題でもある。
“進路”。
“これからを生きる場所”。
この間、怜に向かって訊ねはしたのに自分では答えを出せないままでいた問題だった。
神居村に大学なんてものは当然、ない。
そもそも、この爺ちゃんの家でさえどうしたものか、ずっと碧さんに留守番、後見人として住んでいてもらう――――という訳にも当然いかない。
もしも俺が元々、ずっと今まで神居村に住んでいたのなら迷わなかったろう。
外の大学へ進学し、卒業すればそのまま就職するかして、いざとなれば村へ出戻りするという手もある。
しかし今の俺の場合は――――村に戻って一人暮らし中、こちらの爺ちゃん家はまだ宙に浮かせたままの状態に近い。
どちらも俺の家で、どちらに住んでいくのかをまず答えを出さねばならない。
その上で、どうするのか――――これ以上ないまでの明白な答えを、来年の冬には出す必要がある。
村へ、帰るのか。
こちらの家に、帰ってくるのか。
とても……今スグに答えが出せる問いじゃあない。
「……すまん、今訊ねるような事ではなかったかもしれぬな。だが……いずれは答えを出さねばならんぞ、杏矢。お主も色々と……」
「爺ちゃんは」
「ふむ……?」
「爺ちゃんは……どうして、村を出たんですか?」
「……さてなぁ。私が教えておった頃から、何を考えておるか掴みどころというか、取りつく島もないと申すか……。ただ、村に嫌気が差したのではないのは違いあるまい。訊ねた事はあるが教えてはくれんかった」
それきり、中途半端に終わりかけてしまった話題の気まずさに耐えかね、何気なく窓の外へ視線を向ける。
曇り空から剥がれ落ちるように雪が舞い降り、半ばほど開けた障子戸に雪の影が映り、滑っていく。
慰めのような雪は今もまだ、降り続く。
もう少しだけ眠らせておきたい、その問題を――――さながら覆い隠してくれるかのように。
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