初めてと久しぶりのファーストフード
*****
車両連結、乗り継ぎ、と繰り返して――――少しずつ、少しずつ、神居村から離れた駅につくごとに人が増えていった。
スーツを着た人を見るのも久しぶりだった。
というのも、神居村役場に勤めている人達はノーネクタイ、ジャケットなしだからだ。
たいていはゆるく着こなすカッターシャツの上に作業着を着たり、ぼさぼさのセーターを着ていたりで――――あの村とはいえ、まがりなりにもお役所マンとは思えないほどリラックスしたような人達ばかりだ。
乗り換えのたびに怜を揺り起こして人酔いを起こしかけながら次のホームを目指して、少し心細そうにしている彼女を引っ張っていくと――――最後の乗り換えの前に、少し離れて悠々と歩いていた柳が唐突に耳打ちをしてきたせいで、低い声がすぐ傍で囁かれてつい驚いてしまった。
「それじゃ、俺はここから分かれる。別行動だ。明日の始発でな」
「んあっ……! 何だ、いきなり!」
「いきなりでもないだろが。それとも俺もついていっていいのか?」
振り向けば、見慣れた作業着姿でない柳の今の服装のせいで一瞬、人違いでもしたかと思って違和感しかない。
柳は、それでもそこだけは見慣れた仏頂面のまま連絡通路に立ち尽くし――――すぐ後ろから人波が押し寄せてくるのを感じ、どちらともなく三人で通路の端に移動した。
「柳。何か予定でもあるのか?」
「まァ。……またオヤジから頼まれたものもあるし、近所のジジィどもからも頼まれ事が色々とな」
「またお遣いなのかい……。たまには羽根を伸ばしなよ。ボクが言えた事でもないんだけど」
「それなら心配ねェさ。今回は買い物は全部配送を頼むからな。まぁ、
結局、今回もこいつはお遣い要員として色々頼まれて、付き添いでやってきたようだ。
ちょうど、俺達の話し込む後ろを人波が流れていき――――通路端で俺達三人はそれをやり過ごしていく。
いつまで経ってもとぎれない、服装も年齢も様々の人達がざかざかと歩いて行く様は久しぶりだ。
もしかすると、この数分だけで神居村の人口の何割かが通っているんじゃないか、とすら思えたほどだ。
三人で壁を背にして、過ぎ去るのを待つと――――やはりというか、通りすぎていく女達の視線が柳に集められているのが分かる。
学生、OL、いや、もはや男子学生までもが柳の顔を見ては過ぎていく。
いつもは作業ツナギ姿でかったるく田舎の村を流しているこの男が普通の私服を着るだけで、そして若年層がきちんといる場へ出てくるだけでこの様子と言ったら――――。
「……おい、柳。お前めちゃくちゃ見られてるぞ?」
「そうか? ……人が多すぎてワカんねぇよ。見てるだけで窒息しそうだぜ、相変わらず。……そろそろツッコもうかと思ってたけどよ。お前らどうして制服なんだよ」
じろり、と柳が俺と怜を横目に見て言う。
俺の格好は制服ブレザーにマフラー、コート。怜もまたいつもどおりの冬の制服姿に白ダウンにご丁寧にもスクールバッグ。
しかし逆に柳だけはいつもと違う私服姿だ。
「俺が訊きたい。怜、どうして……」
「どうしてでもいいだろ? それより柳こそどうしていつものツナギじゃないんだい。ていうか……そんな服持ってたの? キミさ」
車内でたっぷり寝て、もうだいぶ疲れも取れたらしい怜が俺を挟んで反対側の柳にそう詰問する。
「俺にだって私服ぐれェあるよ。まさか寝る時もアレ着てると思ったのか? いくら俺でもそれはない」
「柳ならやりかねないと思ってたけど……っと、人もひけたね。柳は買い物の後どうするの?」
「好きにする。以上だ。お前らは?」
「あー……考えたけどさ、一晩だけだけど帰省しようかと。正月に先駆けてな」
「それがいい。ナナ、お前の家なら
「お前も来ないか?」
「ヒトん
「お前、俺の家でいつ気を遣ってた……?」
「さぁ。……それよりもういいだろ。解散だ。俺はついていく気はねぇし、お前らも俺の買い物先になんか興味ねェだろ。終わりだ終わり、じゃあな」
そう言って、すっかり乗り換えの人波のひけた連絡通路を柳はさっさと別方向へ向かい、改札口を目指して勝手知ったるようにスタスタと歩いて消えていった。
歩いて離れていけばいくほど、めかし込んでいるせいか段々と柳に見えなくなっていく。
そして気付けば、ホームへ向かう連絡通路に寂しく残されたのは俺と怜ただ二人で――――。
「二人きりになっちゃったね? キョーヤ」
「……まだ明るいうちに言う台詞じゃないと思う」
「そうかい? じゃ、暗くなってからまた言おうかな?」
くす、と笑う怜はまた――――立ち去った柳とは違い、村にいた時と全く同じ格好で、同じ声で、同じ表情で笑っていた。
「とりあえず――――お腹空かない? 何か食べようよ」
*****
そんな、こんなで向かったのは――――とりあえず駅から出て、手近に会った馴染み深かったはずの看板の店だ。
俺も、よく立ち寄っていたチェーン店で――――半年以上も開きがあるせいか、その看板のロゴも、店内の様子も、厨房から漂ってくる安っぽい油の弾ける匂いも、肉の焼ける香ばしさも何もかも懐かしくて、少しだけ胸が高鳴った。
カウンター上のメニューに立ち並ぶ、見ただけで十キロカロリーは摂れるような写真はどれも村には無かったものだ。
凶悪な炭水化物と動物性脂肪と過剰な塩分と揚げ油、必ずそのどれかの要素が最低二つは入るような健康志向の無さはどれも圧巻でむしろ清々しいほど。
ドンピシャの昼の時間で列は少し長かったけれど、持ち帰りの客のほうが多くて、思いのほか席は空いていた。
怜に先に席を取っておいてくれるよう頼もうとしたけど、怜はまだ決まっていなかったというか――――そもそも、“初めて”の店内なので、その言葉は引っ込めた。
店員の無料のスマイルが少し薄れてくるまで迷いに迷って選んだセットメニューは、まるでその時間にあてつけるように即座に選ばれ、プラスチックトレーに積まれて差し出された。
そして改めて二階の窓際席へ座り、ひと心地ようやくつくと――――またしても、不思議な気持ちにさせられた。
「え、とっ……それじゃ、いただきます……!」
人から見れば、ありきたりの姿なんだろうと、思う。
土曜の昼、制服姿の女の子がファーストフード店の席に座り、バーガーの包み紙をいそいそと剥がして口へ運ぶ。
どこから、どう見ても――――それ以上の説明なんていらない、どこにだって、どれだけでもある光景なんだろう。
だけど、その女の子の目はきらきら輝いて――――それはどんな味がするものなんだろう、と期待して、ほっそりと長い指で抱えたチーズバーガーを一口齧る。
バンズに挟まれたパテとチーズに辿りつけたかどうかも怪しいほど小さな一口は、それでも怜には初めての味なんだろうか。
続いて伸ばした、からりと揚げられたフライドポテトをさくさくと齧って、その塩気の濃さに少し驚いた様子で目を白黒させ――――慌てて、紙コップ入りのメロンソーダを一口飲み、口の中を洗い流す。
その仕草を見ていると、俺はそんな反応をしてしまうようなモノを当たり前に平然と食っていたのだと思い知らされ、まだ手付かずのポテトと照り焼きバーガーを見下ろして少しだけ恐ろしくなってしまった。
しかし、怜は“最初の一歩”を終えると、からからと笑い始めた。
「あはははっ……そっか、こんな感じなのかぁ……。でも、美味しいね」
「大丈夫か? 味、濃かったら……」
「平気だってば。ただちょっと……フライドポテト、ボクには多いかな。手伝ってくれる?」
「いいよ。ほら、ナゲットも……」
「うん。いただきます」
成形した鶏肉を一口サイズに整えて揚げたそれを、ソースに浸して口へ運ぶ怜は、どこか不思議と感じるのはきっと――――店内には、俺一人なんだ。
そんな事を、九ヶ月ぶりに食べる照り焼きバーガーを齧りながら、ふと考えた。
油っぽい包み紙の中から、チープなパンに挟まれた甘い味付けのパテと、こぼれ落ちそうに不揃いに刻まれたレタスを口の中へ受け止め“再会”すると――――逆に俺こそ、脳天を叩かれたような衝撃に襲われた。
こう味の濃いものを食べるのもつくづく久しぶりだけどそれもほんの数秒の事で、すぐにそれは懐かしさへと化けた。
しょっぱすぎるポテトも、氷を入れ過ぎて早くも薄まりかけたストロー越しのコーラも、作り置きしたナゲットの歯ごたえも、どうしようもなく懐かしくて――――怜以上に、俺も
「キミこそ大丈夫? なんかビックリした顔してない?」
すぐに怜に見透かされたか、そんな心配そうな言葉が飛んでくる。
「久しぶりに食うからかな……。何だか懐かしくて」
「そっか」
「怜、今さらなんだけど……本当に、ここで良かったのか?」
「うん。夢だったのさ。……制服着たまんま、こういう所に入るの。なんかさ、すごく“青春!”って感じ、しないかな?」
「する、といえばするけど……そうだ、だから何で制服着てこいなんて言った? 今日、土曜日なのに」
「へ? でも、結構いるよね……ほら、制服着てる子たち、あそこにも」
言って、怜は店内、続いて窓の外を歩く集団を次々に目で示す。
確かに、いる。
三~四人で集まってはドリンクだけで居座る遠慮のない女子高生集団、今の俺達みたいに土曜日だってのに制服姿で身を寄せ合って歩く男女。
補修か補講か、それとも部活――――のワケは、こんな時間にここにいるようなら、ないか。
ともかく珍しくはないから、今の俺と怜もその中にうまく紛れ込めているようだ。
「――――待て、今お前、煙に巻こうとしただろ」
「さて、何の事だろう? まぁ、言ってしまえば単純なんだけど。……これもまたボクの夢また夢。――――――“制服でデート”さ」
どくんっ――――と、あらためて今の状況を表す言葉が紡がれ、気付いた。
端的に言えば、制服姿で昼間から二人で歩いて昼食を摂っていればそう、確かにそうなる。
それもまた、人口過疎の神居村の感覚を引きずっていたせいで今の今まで気付けなかった事実で四人しかいない高校生なのだから、男女の組み合わせになるのも珍しくないから。
この一日、到着してから一時間もしないうちに次々と立ち塞がるギャップの最後の関門にぶち当たってしまい――――かっ、と顔が熱くなるのを感じた。
必死に何か冷めたコメントでもしようと、飲み物を一口含むといささか頭が冷えたが……再び怜に視線を戻すと、食べかけのチーズバーガーをトレーの上に下ろして、頬杖をついて窓の外へそっぽを向いて、横顔も見せぬように半身のまま顔を手で覆っていた。
「怜、おい。怜、こっち向いてみろ」
「……やだよ。絶対にやだ。キョーヤがあっち向きなよ」
顔を覆う指と、横顔にかかる髪の隙間から紅潮したような肌が見え――――つい窓に映る顔を見てやろうとして、思い留まる。
というのも、どうせ、きっと――――俺の顔も、怜の事を言えないような色に染まってるはずだから。
どうしようもなくなった空気の中、ひとまず外へ視線を移す。
そこには神居村にはない光景が映し出されていた。
みっしりと集まって建つコンクリートの箱と、その中を走る灰色のアスファルト。
街路樹程度の緑がせいぜいで、田んぼも畑も、ただ水平に見るだけで飛びこんで来る山々の尾根も見えはしない。
その中をさかさかと歩いて行くのは、スーツと制服、それと流行りものの服を着た人達がほとんどで。
野良着のおじさん達もいなければ、
そして、そこには口裂け女も人面犬も、出没する事は無い。
俺がずっと暮らしていた、都心の風景そのものがあった。
どちらが良いとか、どちらが好きとか、そういう事ではなくて。
ただ、とても。
とても――――懐かしかったのだ。
そして、きっと。
俺は、今日が終わって神居村に帰りつくと、きっと――――同じ事を、どっちつかずにもまた思うのだろう。
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