恐怖!一日二本しか電車の来ない秘境駅!
*****
村から離れていく電車に乗るのは、これで二回目。
いや――――正しくは、“三回目”だと思う。最初の一回は、俺一人きりでこの村から離れていくために。
だけど、夏の“二回目”と、今の“三回目”は違う。一人じゃない。
十年前、俺はこの村で父さんと母さんを
その時の記憶はおぼろげで、不思議と車窓から差す陽も眩しくも熱くも感じていなかった事だけは少し思い出せた。
がらりとした車内、俺一人しか乗っていない一両編成の電車。小学一年生の俺には座席があまりに大きく、背もたれによりかかっても落ち着かなかったような気がする。
ベンチシートの対面にも、隣にも、誰も座ってない。
いるのは俺一人、運転室の扉を隔てて一人だけの貸し切りの車内はがらんとして広く、そして夏の盛りにも関わらず――――どうしようもなく寒くて、寂しくて、落ち着かなかった。
妙な言い回しになってしまうけど、村から出るトンネルに入る直前、一度だけ振り返り見た覚えも、
もう俺の居場所ではなくなったのだと子供心に感じた、あの最後の夏の日の神居村はそれでもきれいだったけど――――アクリル板の中に見るジオラマのように感じたきれいさだった。
これから先の自分とは断絶されていて、二度とここには戻ってこられないし、ここにはもう自分の思い出は作られていかないのだとも感じてあの日、リュックサックをぎゅっと抱きしめた事も思い出した。
でも、もう、今は。
今はこの寒々しく侘びしい一両編成の、年代物の車内を広いとはもう感じなくなった。
トンネルに入る直前の神居村の雪景色を見ても、もう別れの言葉すら胸に浮かばない。
ただ、ちょっとだけ――――ちょっとだけ離れるよ、とだけ心の中で呟いただけ。
かたん、ことん――――かたん、ことん。
電車の揺れる振動は、もう今となってはだいぶ懐かしくなった。
この村に入るか、村から出るか、でしか使えない手段を毎日使っていたのもすっかり昔の事で、逆に新鮮にさえ感じた。
流石に東京の本場仕込みのそれとまでは行かなくても、そこそこに混む電車のすし詰めの圧迫感も懐かしいものだけど――――また味わうのは絶対にイヤだ。
密集する汗くささも、密度に加えて各駅でドアを開くせいで効いていかない空調も、この小さな車内には関係ないことだ。
車内吊りの広告も見当たらず、入り口ドアの上部にかけられた色
ひんやりと冷えた窓の外の雪景色が飛ぶように去っていき、出発してようやく暖まり始めた車内は――――それでも今日は、
というのも。
「……凄いね。神居村って……何もなくて、真っ白だ。あんな風に見えるんだね」
隣から聴こえる声は、少しだけ眠そうで、どこかうわ言にも聴こえた。
今日は夏のように二人掛けのボックス席ではなくベンチシートに隣り合わせて座りたい、と怜が言うので――――そうしたまま、神居村の風景を対面の窓ごしに見られるよう、左側の席へ並んで座った。
ふかふかの座面と脚に当たる暖気が眠りを誘い――――この早朝の寒さも薄らぎ始め、まだトンネルも越えていないのに怜はもう眠くなりかけているようだった。
「怜。眠いんなら……」
「ん……。でも、もう少しガマンしたいな。せっかく、キミ……と…………」
隣の怜へ視線を向けると、うつらうつらと
口ではそう言いながらも眠気と車内の暖かさに抗えないのか、
どうしてか怜は、この第二土曜日、休みの朝の出掛けの電車にも関わらず制服姿だった。
そして、俺もまた。
俺も――――制服で来て欲しい、と頼まれてしまったのだ。
理由を訊いても教えてなどくれず、いつもの軽妙に悪戯っぽい笑顔を向けて“着いたら教えてあげるよ。でも、あまり追求もしないでほしいんだ”とだけ、若干の恥じらいを混ぜて答えられただけ。
困惑こそしたが正直、渡りに船でもある。
というのも、余所行きの服などあまり持ち合わせていないワードローブの乏しさのせいで、むしろ何を着れば良いのか分からなかったからだ。
何も考えなくていいから制服はラクでいい――――というのも偽らざる本音のひとつだ。
いや――――思えば俺は向こうにいた時も、ろくに私服を着て行動する事もなかった。
部屋着と制服、運動着。それしか着ていなかったんじゃないか、という疑惑さえ浮かんできてしまったが……考え始めると怖いので、もうやめにした。
「まさか……本当に見に行けるなんて、思わなかった……なぁ……」
「……着いたら起こしてやるから、少し寝とけよ、怜」
「うん。……ありがと…………」
そう、呂律の回り切っていない口調で言い終えると怜は俺の反対側、手すりに頭を預けるようにして、こてん、と寝入ってしまった。
少しだけ何かが残念なような気がしながらも、朝の始発に良くある光景を見て思わず苦笑が漏れそうになった。
それにしても、本当に――――怜はこんなにすぐ眠る風だったとは思えない。
確かに年末の神事の準備が押しているとはいえ、ここまで眠気に支配されるタチだった気はしないのに。
人前で
横を見て、座席端の手すりに頭を預けて寝息を立てる、怜の寝顔に目をやる。
いつもぱっちりと開いて爛々と澄んで輝く眼は瞼の中にしまいこまれて、見れば見るほど長い睫毛に守られ、絹豆腐みたいに白くて肌理細かく柔らかそうな肌にはほんの少しだけ薄化粧のように赤みが差していた。
連日、眠そうな様子を見せる事が多いのに……別に顔色は悪くもないのがことさらに不思議だ。
膝の上にいつものスクールバッグを載せているが、その中身は分からない。まさか教科書が入っているわけもないだろうが開けて中を見せろ、なんて言えるはずもない。
やがて、一両編成の電車がトンネルをくぐる。
雲が降りてきたように真っ白く化粧した神居村の風景はもう見えなくなり――――また、長い、長いトンネルに入っていった。
時刻はまだ朝の七時前。それでもお目当ての場所へ着くのは昼を越えてからになる。
着いたらまずは怜を起こし、昼を食べて、それから――――ツリーの点灯までどこで時間を潰すか、相談しよう。
それと。
ちらっ、と身体を前に倒し、少し離れた席に一人悠々と座る“随行者”の姿を探す。
こちらに背を向けたまま、車両前方右側の二人掛けボックス席で脚を伸ばしてくつろいでいる――――
制服姿の俺達とは違い、今日のあいつは作業ツナギですらなく……長い脚でデニムを履きこなし、モッズコートに黒シャツ姿、何だか洒落た遊び人のような風体だった。
また腹が立つことに、もともと鷹のように鋭い目で端正なつくりの顔、イヤミなほど美形なあいつだからそれが妙に似合う。
もしあいつが街を歩いたら確実に通りすがった女は何度も振り返るだろうと予想できるぐらいだ。
背も高く、細身だが筋肉もついていて……性格はどこか独特だけど義理堅く実直で口も固い、世話好きでお人よしだがフランクな冗談も好んで年相応にゲスい面もなくはない――――なんて、羅列するとつくづくとんでもないモテ要素の塊のような奴だ。
何故、柳もこの電車に乗っているのか――――それは至極簡単だ。
何故なら。
柳が……自ら買って出て、今回の俺と怜のちょっとした遠出の、お目付を務める事になったのだ。
*****
「……イヤ、そりゃ難しいだろな」
俺が決心した日、唯一の“男の級友”から向けられた言葉はそんなものだった。
放課後、俺が帰ってきて間もなくコイツ――――居間のちゃぶ台の対面にどっかりと腰を下ろして、まるでカンフー映画か何かの老師みたいに重々しい仕草で湯呑み茶碗を傾けて煎茶を啜る、前髪の片方だけが“枝垂れ柳”みたいにぞろりと下がって顔半分を覆い隠す男は姿を見せた。
村の御用聞きか何かで巡回している最中のようで、年中着ている作業ツナギの上に厚手のジャンパーを着込み、パンパンに膨れたリュックサックを背負って現れ……“茶を一杯くれ”と要求してきたのだ。
どうあっても高校生らしい服を着たくないとしか思えない、ここまで来ると無頓着というより、わざとやってるとしか思えない作業員ファッションにもはやツッコミを入れる気も起きず――――ともかく、部屋に通して茶を淹れてやった。
「見ての通り。――――これが、この村の時刻表」
柳が取り出したのは、くしゃくしゃに汚れた二枚の紙。
一枚はこの村唯一の駅――――“神居村駅”からの発車時刻表。
つくづく、存在意義を感じなくてやまない……泣けてくるほど村の今の光景とダブって見えるように真っ白くて紙資源のムダとしか思えないような、ポツン、と一日二本しか出ない電車の時刻を記してあるものだ。
朝、昼過ぎ、その二回だけ。
むしろその二回ですら多いという人も村には少なくない。
「話からするとだ、お前はあくまでクリスマスツリーの“点灯”を見たいんだな?」
「ああ……いや、待て、これって……もしかして……!」
「感づいたか?」
当たり前だが――――ツリーのイルミネーションは暗くならなきゃ点灯しない。
つまり必然的に、見に行くのは日が沈んでからになるだろう。だがしかし――――日が沈んでしまえば、もう、ない。
この村へ帰ってこられる手段がもう――――ないのだ。
「そういう事だ。夏にお前らが行った時は、昼だからまだ帰ってこられた。だがこの冬ダイヤで日没後はもう、神居村行きの電車はない。帰ってくるのは不可能だぜ」
「う、ぐっ……!」
考えてみれば当たり前の事だ。
確かに見に行く事、それ自体は至極簡単な事だったけど――――移動時間でほとんどが潰れてしまったからだ。
加えればまだ夏だから日が沈むまでが遅かったおかげもある。
日帰りの電車旅なんてこの村ではまず不可能と言ってもいい。
「そもそもが……この村の奴は外に出ても、まず日帰りなんてしない。二、三日くらい使って色々まとめて用を済ますんだ。俺が原付取った時もそうだったぜ。免許自体はすぐ取れた」
「で……残った時間は何してたんだ。買い物? 観光か?」
「買い出しだよ。ウォッシャー液だの洗浄剤色々だの、タイヤレンチにインパクトだの何だのと……くそ重たい液と工具ばかりオヤジに言いつけられてよ……挙句に送料もあんまり持たせてくんねぇし……」
「コタツから出る奴は使え……ってやつか? でも断らないあたりがお前だな」
「バカめ。流石に大型発電機二台をもののついでで頼まれた時はイヤだって言ってもうケンカよ。掴み合いさ」
「それは断っていいな」
「だろ? 俺は悪くねェな」
そう言って満足げに一息つき、茶碗からまだ湯気の上がるそれをひとすすりして――――なおも、柳は続けた。
「……お前に遭った、トイレの花子のあの一件。その解決、そして秋のまた一件。リョウの親父さんはお前に対して引け目も恩も感じているだろうが……流石に外泊となるとな。そこだけはもう、親としてのアレがあるだろ」
「分かってる。でも、何とかしてやれないか?」
「簡単に言いやがる……」
「ただ、叶えてやりたいだけだよ」
「リョウの願い、だからか?」
「俺の、でもある。……多分だけど、怜がわがままというか……自分のしたい事を口にするようになったのって、最近なんだろ」
「……どうして?」
「何となく……としか、言えない。誰かに何かをねだる事に慣れてない感じだ」
口にしておいて、何となく――――その理由はおぼろげに分かる。
幼少期のリョウ
そして、その好奇心と行動力が事件を招いて――――俺の両親が村外から持ってきたくだらないホラー本をめくり、この村で一度も聞いた事の無い“トイレの花子さん”の話を見て、試してしまった。
そして、俺がこの村にいる事ができなくなって――――帰ってきた時には、すっかりおしとやかで涼しげな“咲耶怜”になっていた。
何がしたいともどこに行きたいとも言わず、あったとしてもその世界は村の中で、それも期限付きで全て完結していた。
彼女が駄菓子屋に寄りたいと言う時も、ユキさんの純喫茶に行きたいと言う時も、神宮の夏祭りに行きたいと言う時も、いつも何かを堪えて、代用する願いをおずおずと口にする、我慢を覚えた子供のように少しだけ瞳は揺らいでいた。
本当にしたい事を、口にすると――――怒られるような気がしていたのか。
あれ以来、ぽつぽつと外への憧憬を口にする事も増えてきた。
村外の学校屋上の一幕への、ありふれた一時代前のイメージを熱弁する時もそうだった。
だけど今一つ押しが弱いというか……今回だって、あまりはっきりとねだっては来なかった。
それはきっと、あの時の一件から今までが長すぎるからしみついてしまった。
そしてもうひとつ、今柳が言ったように――――この村から外へ出て帰ってくる事の単純な困難さを人づてに知っているからだ。
二つが組み合わさった結果――――怜は今も、どこか遠慮したままなのだ。
「……なるほど、なるほど。もう俺からは何も言う事はないな。……行くのなら、手はひとつだ」
「つまり?」
「簡単だが難しい。……始発で村を出て、目的を果たす。その後はどこかで夜を明かして、翌日の始発で村へ戻ってくる。単純だろ」
「……だから、それをどうやって……」
「俺がなんとかする」
言って柳はお茶の最後の一口を、ずっ、と啜り込んだ。
「俺に任せろ、この一件。……それに、飲んじまったしなァ。せめて、口をつける前に言ってほしかったけどよ……。ま、今さらイモ引く気もねェ」
そして柳は余韻も残さずさっさと立ち上がり、お茶の礼を言うと即座に玄関へ向かい――――靴をつっかけて玄関に立てていたいつもの軍用スコップを担ぐと、出ていってしまった。
「……あいつ……どうする、つもりだ……?」
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