聖樹の約束


*****


「ゴメンよ……キョーヤ。ボク、すっかり寝ちゃってた……暖かくて、ついさ。……ね、どうかしたの? もしかして怒ってる……?」

「いや……」


 結局あれから二十分ほど怜は起きず、ストーブの前でずっと幸せそうに寝息を立てて朝のひと時を過ごした。

 目覚めた時の慌てぶりよりも、俺はまず彼女の“それ”を見てしまった事に対する意識と、光景が頭から離れてくれない事で――――アワを食って飛び起きる怜に対して何も口に出せずにいた。

 起きてから改めてホットミルクを出してやって、ようやく落ち着いたものの、今に至るまで怜の目がどうしても見られない。

 あれから更に少し時間を置いて、ストーブを消して家を出ても、まだ――――だ。


「でも――――あんな風に寝落ちするなんて珍しいよな。疲れてたのか?」

「あ、あぁ……うん。もう言い逃れできない、よね……うん。確かに最近、あまり休めてなかったから……ちょっと疲れが溜まってるみたいなんだ」


 さく、さくっ、ぎゅ、ぎゅ、と雪を踏み固めるように田園の通学路を遠く彼方に見える校舎へ向けて歩きながらいつものように朝の世間話を交わす。

 いつもは近々ある行事の事だとか、出た“怪”の事についてだとか。

 そういうとりとめのない事だけど――――今日は、朝の怜の様子についてのものになった。

 ふだん、怜は居眠りをしたり疲れている様子を見せる事がまずない。

 朝は早くに起きて実家でもある神居神宮の境内を清掃し、家族の朝食の支度をして自分の弁当も詰め、そのまま学校に来ては一日を溌剌はつらつと過ごして帰る。

 いつも生命力に溢れている怜が疲れて眠りこける姿なんて、俺は初めて見たことになる。


「帰ってからも、けっこうやる事多くてさ。……年末の奉納の神楽をさらった・・・・り、そこでお供えする御神饌しんせんの準備とかさ。うん……ちょっと眠れてなくてね」

「大丈夫……なのか?」

「心配してくれてありがとう。でもボクは大丈夫。それに、こればっかりは誰にも代わってもらえないからねぇ。でも……そうだ、キョーヤ。ボクの代わりに舞ってみるかい? バレないかもしれないよ、うまくやればさ」

「ンな訳ねーだろ、だろ」

「ふふ、やってみなきゃ分からないじゃないか?」


 そんな意地悪な、いじり口調を受け流しながら深く息をつくと――――吐いた息が白く曇ってたちのぼり、前方に広がる、すっかり雪の毛布をかぶった田んぼの風景を霧がからせた。

 波打ち、まるで羊雲ひつじぐものように広がる田んぼの光景はどこか不思議だ。

 右を見ても左を見ても、羊雲のようにまばらの雪を積もらせていたり、分厚い雨雲のように雪を放り捨てられていたりで――――雲の上にいて、雲の道を歩いているような気さえしてくるほどだ。

 どこまでも広がる、石を蹴れば田んぼに落ちるような田園の風景が今となってはまるで雲海うんかいで……空を見れば雪気ゆきげが漂い、一旦は止んでもまた次がいつ降りだすか分からない。


「ふふ、じゃない。……そういえば奉納の神楽って……大晦日にやるんじゃないのか?」

「いや、大晦日じゃないよ、昔から」

「どうしてだ?」

「そりゃ、だって……大晦日なんて、ただでさえやる事多いのにその上神楽なんてやってる暇が」

「身もフタもない話するなよ、生々しい……」

「いや、それがそう生々しくもないのさ。だって、これ……神居神宮で舞う神楽のもととなった伝承。つまりは発端なんだから」


 それは――――初耳だ。

 つい、ぽかんと口を開けて黙ってしまった俺を一瞥して怜は、冷たくなりかけている唇を震わせ、マフラーを口もとまで掛け直し、暖めながら少し籠もった言葉を続ける。


「……いつの時代だってさ、年末は忙しい。一年の厄を払い、新たな一年に向けて準備する。それはかつて神居村が拓かれ、この地で様々な、はぐれた神様達やなんかが暮らしていた神代近い時にだって例外じゃなかった。ざっくり言うと、そんな神様達が人間に気を遣ったのか、早めに色々と済ませて、人間達に年末からお正月までをのんびり過ごさせてあげよう、ってなったのがもともとの始まりなんだよ」

「へぇ。……何だか優しい話だな、それ」

「ん……まぁ、そうだねぇ。詳しく話すと結構長いんだ、これ。……でもなぁ」

「どーした?」

「いやさ。…………まだ十二月の中にもなってないのに、もう来年の話か、って。気が早いよなぁ……って思っただけだよ」


 ああ、そういえば――――確かにそりゃそうだ。

 だって、まだ大晦日どころか。

 二十四日、“クリスマス”だって迎えていないのにな。

 ふと、気になって――――訊いてみる。


「なぁ、怜」

「うん?」

「この村、クリスマスとか……何か、しないのか?」

「それが、何もイベントみたいなのは無いんだよ。お祝いする家は少なく無いんだけど、村ぐるみで何か、って事はないねぇ」

「何だ、寂しいな。何かあるかと思ったのに……」

「まぁ、そうだね。寄り合い所を使って小中学生の子らがクリスマス会をやる事ならあるけど、村会が主導してるワケじゃないからさ。それに……あってもボク達にはあまり縁が無いと思うね」

「そりゃ、どうし……あぁ、もしかして……家の方のいろいろ、と重なるから……」

「うん。察しの通り。ボクは年末まで色々と立て込むし、やなぎ沢子さわこも、家業が忙しい時期になっちゃうんだよ……。それでも子供達のクリスマス会には出られていたけど、中学三年からはもう何も……ははっ。ツリーだってしばらく見てないや」


 けらけらと笑う怜の、マフラーに隠れて見えない口もとは多分自嘲的なものが浮かんでいるのだと思う。

 きっとまた、何かを諦めていたような――――そんな様子が、またも伝わってくるような物悲しさが俺の胸を刺した。


「……ツリー?」

「ん……小さいヤツだけどね、電飾もつかない。寄り合い所には一週間ぐらいのあいだ飾られるんだ。あと、役場のロビーにも。言っとくけど、本当に小さいヤツだよ? ……そういえば、キョーヤのとこにはあったのかい? 大きいツリーって」

「ああ。……あったけど……待て、大きいってどのくらいのをイメージしてる?」


 春から怜と関わりはじめて気付いた事が、ひとつある。

 それは、怜が何かこの神居村の外について何か憧れを口にするたび――――それは、だいたい大げさなイメージで捉えられているという事。

 俺が暮らしていた爺ちゃんの家の話、“お手伝いさんがいてくれた”という話をすればまるで古めかしい華族みたいな、手を二度叩けば部屋の外にいる女中さんがすぐ入って用を聞いてくれると思っていたらしい。

 学校の屋上はどこでも開放されていて、生徒はそこに自由に出入りできると思ってもいたらしく、しっかり者で世話好き、どんな時も涼やかな微笑みを忘れず子供達からも人気なのに……どこかで古めかしいというか、認識がズレている事が往々にしてある。

 当初はてっきり、この村に暮らす人はそういうズレた面が多かれ少なかれあるのだと思ったが、それも違う。

 柳も八塩やしおさんも、そういう部分には年相応に現実的で適応性のある面もあり――――俺と会った日、初めてスマホの実物を見たという柳もすぐさま使いこなしてみせていた。

 まぁ確かに、いくらこの村には無いといってもテレビやなんかでは情報番組もやっているのだから、無理な事ではない。


 逸れたがともかく、怜は果たして“クリスマスツリー”とはどんなものをイメージしているのか、歩きながら答えを待つ。


「うん……? うーん……とりあえず……十メートルぐらいの木があって……」

「いきなりか……」

「ん? ……それでさ、電飾とかいっぱい飾って、クリスマスソングの音楽に合わせて光ってね。で、もちろんてっぺんにはでっかい“星”がついてるんだ」

「先に言っとくが、俺ん家にはそんなもんねーぞ。十メートルのモミの木なんかあるか。まつならあったけど」

「まさか。いくらなんでも個人で持つものじゃないのは分かってるって。……キミに訊きたいのはさ。そういうでっかいツリー、どこかで見る事があったのかって事さ」

「…………ある」


 確かに――――ある。

 そんな大仰で誰が見ても分かる、でかいツリーを見た事ならある。

 あれは確か、俺が向こうに住んでいた時の事だ。

 近所でこそないが、二駅ほど離れた場所にある大型のショッピングモール、その吹き抜けのアトリウム部分に十一月中旬からクリスマスまで飾られていた、まさしく今、怜が言った通りのド派手で分かりやすいそれだ。

 確か点灯式には抽選で選ばれた子供が五人ぐらい選ばれていたような気がする。

 ポチッ、とスイッチを押せばクリスマスツリーが初点灯して、アトリウムの照明が落とされて――――何気なく向こうのツレと見に行った時は、むさい面子だったのにも関わらず感動してしまったな。

 俺のそんな答えを訊いて、怜はようやくいつものようにパッと顔を輝かせてこちらを向いた。


「やっぱり? やっぱり見た事あるんだ!? いいなぁ、ボクも……一度、見てみたいな」


 そう言って、羨ましそうに俺を見る怜の表情はいつにも増して子供のように輝いている。

 十メートルを超えるクリスマスツリーの見ごたえを想像しているのか、恍惚として。

 年の瀬に向けた忙しさで疲れを滲ませた表情が、この瞬間ばかりはきらきらと子供のようで――――。


「……なら、行こう」

「え……?」


 俺自身が思っていたよりも、すぅっ、とその言葉は出てきた。

 逡巡、躊躇い、考え込む、そんなのは一切抜きで、自分でもびっくりするほど、息をつくようにその言葉は生まれてきた。

 怜が言葉の意味を理解しきれていないのか、目を丸くして俺を向いたままそれでも脚はおもちゃの兵隊のように前に進んでいく。


 そして、数泊遅れて――――俺の頭の中に、自分が今なぜそんな事を言ったのかの答えが明かされ、思い描かれていく。

 俺のしたいこと。

 俺が、怜に見せたいもの、その理由が。

 もう一度だけ、寒空に向かって長く息を吹き込んで――――深く、深く、冷たい空気を吸い込んで胸の高鳴りを落ち着かせてから口に出そう。


「怜、次の土曜――――空くか? 見に行こう、一緒に」



 俺は、もう怜に振り回され連れ回されるのはやめた。

 だから、次は。


 俺が――――引っ張ってやる番だ。





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