第10話

 未開の山野が続く北の辺境地。明治になってから、新政府による開拓事業が本格的に始められた。道路の開削工事や鉄道の敷設事業など急務となり、安価な労働力はあってもあっても多すぎることはなく、工事現場には短期間に大量の人員を集中しなければならなかった。集治監獄の囚人であれば、官の権力により否応なしに駆り立てられたが、民間の業者では独特の雇用形態となった。


 現場はほとんど機械化されておらず、人海戦術による原始的な作業は、工事期間やそのコスト面からみても、相当の無理をしなければならなかった。また、工事を行ったのは多くが小規模の請負業者であり、古臭くやっつけ的な気風が充満し、やさぐれた渡世人が跋扈するそれらの土建屋に、人権意識など求めるべくもなかった。


 その帰結として犠牲になったのが、最下層の労働者の肉体と精神だった。そこでは、不可侵であるべきはずの霊魂までもが無残に蹂躙された。人間性の基本的な部分を踏みにじまなければ、広大な未開地に文明の灯をつけることができなかった。そして暴力支配を背景とした過酷な拘禁、強制労働であるタコ部屋制度が、ここに発達することとなったのだ。


 タコと呼ばれる土工夫たちが、拘禁されることのない契約労働者である信用人夫と明確に区別された。タコという蔑称は、飢えてしまえば己の足でも食いつくすタコの習性からつけたとされる。自らの命を削りながらも、牛馬みたいにしゃにむに働かされる姿から、憐れと侮蔑をこめてそう呼ばれていたのだ。


 タコたちが寝泊まりしたのが、タコ部屋と呼ばれる飯場だ。飯場は彼らの生活の基本であるが、タコ部屋は利便性や快適さなどを無視して造られていた。断崖の近くや密林の中といった、危険であり湿気や害虫も多く宿所の設営に適さなくても、いやだからこそ脱走者が容易に出られないような地形を選んで建てられた。一か所しかない出入口には鍵をかけられ、便所には窓もなく、つねに監視が目を光らせて脱走を阻止しようとしていた。  


 一枚の布団に二人の男が寝るのが一般的で、その粗末な布団も当然のように汚れて虱などがわいていた。枕は各自の衣類をまるめたものや、壁際に一本丸太を置いただけのところもあった。起床時に、端を掛矢で叩くと皆が一斉に起きる仕組みだ。


 建物の造りは粗雑で不衛生であり、一種独特の臭気が漂う。そこに一歩足を踏み入れるだけで、とんでもない所に来てしまったと、泣きだしたくなるほどの陰鬱な雰囲気が充満していた。食事は一日四、五回だが、おかずは切り干し大根やタクアンがおもで、重労働なわりに内容は粗末なもので、土工夫たちの栄養状態は良くなかった。タコ部屋は、そのあまりの過酷さから監獄部屋ともいわれた。


 タコの多くは、斡旋屋と呼ばれる労働者紹介業者によって連れてこられた。斡旋屋が土工夫を集める場所は、労働人口があぶれている都市部や工事が行われている地域、漁村農村など多岐にわたった。斡旋屋は俗にポン引きとも呼ばれ、工事請負業者以上にその行為は悪質であった。男たちに甘言を弄し、時には酒や女で凋落させてタコ部屋へと送り込み、相当の仲介料を受け取る。男たちの一回の飲み食いが高額な前借金となり、過酷な労働の担保となった。それが不道理であると訴えても無駄であった。たいていの業者は、管轄する官憲とつるんでいたからだ。


 タコ部屋へ連れてこられた労働者は工期が終わるまで賃金が支払われず、それも様々な理由をつけては差し引かれ、彼らの手元にはほとんど渡らなかった。自力のあるものは耐え抜き、プロの土工夫として稼業にするものもいた。しかし、タコ部屋へ誘拐された労働者の多くは激しい肉体労働には不向きな素人であり、なかには大卒や書生、経理係など一見しただけでも耐えられないとわかるものもいた。


 だが、一人いくらの紹介料を稼ぐ斡旋屋にとっては、頭数さえそろえば彼らの適性など、どうでもよかった。とにかく、うまい話で男たちをポン引きし、途中で逃げ出さぬようドスをもったヤクザ者の監視をつけて海峡を越えさせたのだった。


 タコ部屋では、重労働のできない者や刃向う者への暴力が繰り返された。

 現場では作業を怠らせないよう殴る蹴るは当たり前で、棒頭と呼ばれた幹部は、その呼び名があらわす通り、固い木や鉄の棒で土工夫たちを鞭打ちながら作業させた。

とくに悲惨だったのは、脱走を企てた者や、タコ部屋の秩序を乱した者に加えられた容赦のない私刑だ。全裸にひん剥いてから荒縄で大木にくくり付けて、蚊や蚋にたからせたりした。男の全身を小さな綿毛が覆い、時おり虫たちの翅が一斉になびく様はまさに地獄絵図で、長時間苦しみ悶えながら絶命したという。あるいは執拗なまでの殴打の果てに、ツルハシを振り下ろして頭部を貫通させたり、肛門から腸がはみ出るまで踏みつけたりした。罰というよりも見せしめに重点がおかれていたため、それらの仕打ちには手を下す人間の残虐な性向が凝った趣向となって発現し、様々な悲鳴を搾りださせた。タコたちにとっては監獄部屋に残ることも、現場から逃走することも命懸けだったのだ。


 現場に出れば朝日が昇ってから星がでるまで、まさに血と泥にまみれながらたっぷりと働かされた。身体を壊したり病気になったりしても、その者たちは現場にムシロを敷いて座らされ、寝かされることはなかった。身体にたかった虻をはらうことも許されなかった。なぜなら、虫をはらうために手足を動かせば、働けるとみなされ現場に引き立てられるからだ。衰弱しきって動けなくなった者は、生きたまま埋められることもあった。なかには、工事祈願の人柱として生き埋めにされた者もいたという。

土工夫たちは逃げることもできず、蟻地獄に落ちた己の境遇をいやというほど思い知らされた。北方の未開地で、奴隷たちは憐れの地平をさ迷った。生き地獄に絶望し、自殺する者も少なからずいた。


 暗い穴の中や害虫だらけの山野に無残に散っていった魂は、この隔絶された地にへばり付いたままその怨念を腐らせている。ここには無慈悲な棒に責め立てられた男たちの血しぶきが浸透し、悲鳴がいつまでも響いている。命を削ったあるいは失った代償は、故郷にさえ帰ることのできぬ雀の涙ほどの銭。


 この深山には、どうやっても逃れられない諦念がいつまでもいつまでも漂い、やがて異形な姿に変容したそれは、いまここで執拗なまでに過去の清算を求めているのだ。

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