蒼が眠り、白が泣き、藤が咲く。



「…………はぁッ、はぁ、…………はぅっぐぁっ、ぅう」


 地上時間では丁度、深夜零時の事だった。


「……ゆぅっ、……じゃなくて、フラムちゃん?」


「おねーちゃん……?」


 銀級アタックの予行演習だと言って交代の睡眠を提案した私の娘、蒼乃フラム。本名は浅田優子。


「ぐぅっ……、ぁあぁあぁあッ………」


 場所は九層の終点。十層の入口である階段前。


 此処で、我が家の騎士様ナイトが不寝番を務め、その間に全員が交代で眠る事になったこの時間。


 私と真緒……、ダンジョン内部やメディア露出では白乃ニクスと名乗る事になった末の娘と一緒に、我が家の最大戦力である優子が、蒼乃フラムが寝ている間の番をする。


 不寝番はナイトであるし、私達は正直オマケでしかない。けど、銀級に行くまでには立派な戦力として数えられるのだから、今からこうやって役割を熟す訓練を積むのは間違ってない。


 だからこそこうして、フラムから離れられるギリギリの距離で周囲警戒してるナイトと一緒に、形ばかりの当番をしている。


 そんなおり、タープテントで折畳み式多目的ベッドキャンプコットにマットを敷いて寝てたフラムが、突然魘され始めた。


「…………ごめっ、…………さぃ」


 まるで犬の様にハッ、ハッ、ハッ、ハッと繰り返される呼吸はいやに浅く、酸素が充分に取り込めてるのか不安になる。


 謝罪と恨み言を繰り返し、うわ言が次々と零れる。


「……フラムちゃん、大丈夫よ。…………大丈夫だから」


「おねーちゃん、だいすきだよっ……」


 姉の惨状を見たニクスも不安そうに、涙を堪えながら、眠るフラムの手を握る。


 しかし、これも何時もの事だ。


 あの日から、私達家族の形を壊された迷宮事変のあの日から、私達はずっと悪夢を見続けてる。


 DMダンジョンムービーなんて名前の不可思議なサイトに、娘の三ヶ月を見せ続けられた。見なければ良かったかと言うと、そんな事も無い。当たり前だ。娘が命懸けで生き延びてる様を、「辛いから」なんて理由で目を背けていいはずが無いのだから。


 フラムには内緒だが、私達三人は全員、カウンセリングを受けてる。私など気が付くと自傷に走ったり、自殺を考えてた時もあった程だ。


 見てただけ。そう、見てただけですら、そんな惨状なのだ。


 実際に地獄に居たこの子は、いったいどれだけ傷付いたのだろう?


 帰って来てくれて、ナイトのお陰で娘が無事、地上に帰って来てくれて…………、そして九ヶ月の昏睡。


 その間も、この子は魘されてた。涙を流して謝ってた。


 今もそうだ。この子は誰よりも傷付いてる。そして私達が今も傷付けてる。


 見てるだけ。見てただけであの様だった私達。でも、私達は「どうにもならない」からまだマシだろう。


 今のフラムは、この子は、「手を出せるのに出さない」時間を自分に課してる。


 私達は愛し合ってる。私は娘や夫の為なら地獄に堕ちたって良いし、ニクスも、夫もきっと同じ気持ちだろう。もちろんナイトも。


 この子もそうだ。それが本当に家族の為ならば、いくらでも心を殺せる。


 必要とあらば、自分の精神に向かって躊躇いなくその大戦斧を振り降ろし、自分の心を粉々にだって出来る。


 だから、今もその最中なんだ。


 私達が銀級ダンジョンにまで着いていくと無茶を言うから、この子は自分の心を殺しながら私達のレベリングをしてる。


 少し蒼炎を吹けば助けられる私達を、あえて助けず、ボロボロになって血を流す私達を見てるだけ。手が届く場所に居て、自らそれを戒める。


 それは、いったいどれ程の苦行だろうか。


 私達は「助けられなかった」。だから、どんなに嘆いても……、いや嘆く事が出来るだけマシだったのかも知れない。


 この子は、フラムは、自分の意思で私達をボロボロにしてる。嘆くことすら許されない立場で、私達が死なない為に、自分の心を殺してる。


「……甘え、過ぎてるのよね」


「………………おねーちゃ、……ごめんなさっ」


 姉の姿に耐えられなくなったニクスが、とうとう涙を零した。


 私も、多分似た様な顔をしてると思う。


「でも、ごめんねフラムちゃん。もう少しだけ、もう少しだけ……」


 ここ・・まで・・理解・・して・・、まだ尚ダンジョンへ着いていくと言い張る私は、きっと母親失格だろう。


 けど、ダメなのだ。怖いのだ。


 家族の為ならば、愛する夫や娘の為ならば、私が地獄に堕ちるのは構わない。何回だって堕とされよう。


 けど、娘が地獄に行くのを黙って見ている事だけは無理だった。もう、画面の向こうで娘が傷付く様を見るのは、無理だ。今度こそ私達の心が壊れる。


「ごめんねフラムちゃん。きっと、きっとこの先……」


「にくすっ、つよくなぅからぁっ……! おねーぢゃん、まもぅがらぁっ……!」


 そう、事は全部、何もかも全部丸っと全て、娘が最強なのが原因なのだ。


 だから、私達が娘を超えれば良い。矢面に立てるほど強くなって、最強のダンジョンアタッカーであれば良い。


 そうすれば、今後はフラムに、優子に行くだろう依頼を私に回せる。もう二度と、大人の都合でこんなに小さな子供を地獄に送らなくて済む。


 そのために、今だけは…………。


 未来の優子を守るために、今の優子を傷付けさせて………………。


「愛してるわ、優ちゃん……」


 魘され、涙を流す娘の手を握る。


 優子の手は、ダンジョンが現れる前と変わらず暖かいのに--


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