知らない天井。



 そこは清潔感を意識した白の領域。


 心電図がピッ……ピッ……と電子音を刻み、人の身に繋がれた管が薬剤を送り込み命を整える場所。


 すなわち病院の一室であった。


「…………ここ、は」


 知らない天井。軽く香る薬品の匂いに顔を顰めた優子は、清潔なベッドに横たわったまま辺りを見る。


「……びょう、ぃん?」


 目に映るのはちょっとした高級ホテルの一室とも見紛う程に整った広い室内。


 それでもここが病室だと理解出来たのは、自分に繋がれた点滴と、今も電子音を響かせる心電図の存在があったからに他ならない。


 優子は薄ぼんやりとした意識を振り払い、なぜ自分が病院なんかで寝ているのかを思い出そうとする。


 しかし上手くいかず、ぼんやりとした意識は二度寝に誘うような心地よい微睡みを優子に与えていた。


「なん………、で?」


 何か、とてつもなく凄惨で長い夢を見ていた気がする。


 優子は一分、二分と微睡むうちに少しずつ意識がハッキリとしてきて、取り敢えず悩むより誰かに聞く方が早いだろうとナースコールを探し、枕元に転がっていたコードに繋がったボタンを押した。


 そしてまた一分、二分と待ち続け、病室の外からドタバタと騒がしい足音が複数聞こえる。


 優子は「病院は、走っちゃだめだょ……?」なんて、場違いな感想を抱きながらも到着を待つ。


 少しの間を挟み、程よく静かに、されど勢いよく病室のドアがスライドした。


 そうして入って来たのは、タブレット端末を持って白衣に身を包んだ、四十代も半ばに見えるナイスミドル。彼は優子と目が合うと驚愕に目を見開いた。


「お、お目覚めですか?」


「えと……、はい。おはょぅ、ございます?」


 見ての通りだ。優子は思った。


 四十代のナイスミドルは、そんな優子見ると安心したように、そして嬉しそうに顔を綻ばせた。


「ご自身の事は分かりますか? ご家族の名前は思い出せますか?」


「ぇっと……? わ、私は浅田優子で、お父さんが次郎じろう、お母さんがあや、妹が真緒まおです……」


 口にした家族の名前に、一つ、欠けが有る気がする。


 でも頭がモヤモヤして、何を忘れてるのか分からない。


「では、この指は何本に見えますか?」


「三本、ですよね?」


 矢継ぎ早に様々な確認をされ、優子はその全てに戸惑いながらもしっかりと答えた。


 聞かれるのは、どれもこれも当たり前の事。


 なんでそんな事を聞かれるのか。しかし聞かれたからには答えるべきだと優子は応じる。


 そしてある程度の確認を終えると、次は自分の番だとばかりに質問をする。


 ナイスミドルな医者は優子の質問に一つ一つ丁寧に答えた。


「君は、迷宮事変でダンジョンに落ちて、そのまま三ヶ月をダンジョンで過ごし、銅級ダンジョンを攻略したあと九ヶ月も昏睡していたんだ」


 ナイスミドルの話しを聞いてジワジワと蘇る記憶。


 最初は迷宮事変なんて言葉も、銅級ダンジョンなる物も優子は知らなかった。だがその都度聞けば答えて貰えた。


 少しずつ、思い出して行く。


 公園でナイトの散歩中に、突如として足元が崩れ気を失った事。


 目を覚ますとナイトが凄惨な死を遂げていた事。


 そう、欠けてたのはナイトの名前。大事な大事な、家族の名前。


 その亡骸を見て悲しみ、敵を怨み、憎悪が形を得て自身から溢れた事。


 蒼き炎と化した憎悪がどんなモノなのかを瞬時に理解出来た事。


 そして、その力を持って限りの無い怨みを撒き散らしながら過ごした三ヶ月。


 いや、優子には三ヶ月もそうだった意識なんて無かった。医者にそう言われたからそうなのだと理解しただけで、どれだけの時間を復讐に費やしたのか、自覚は無かった。


「…………ぇと、九ヶ月?」


 暴力と野生のみが価値を有するあの地獄を生きて、全てを薙ぎ払い、総てを殺し、何もかもを磨り潰して先をめざし、地上へ帰った。


 仄暗い場所で抱き続けたナイトへの愛と、敵への憎悪と、家族の元へ絶対に帰ると誓った覚悟。


 それらを思い出しながら、それが確かに自分の記憶なのだと咀嚼していく。


「…………そっか」


 全部、思い出した。


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