第12話 ことりの心

 謹慎三日目。


 ことりはノートを閉じた。

 ため息とともに視線をあげると、写真立てが目にとまる。


『進学式』の大きな看板。その前に立つのは中等部一年生になったばかりのことり。両隣は両親だ。


 ことりは、写る自分のひきつった頬を撫でる。


 普通の子にとっては、幸せな瞬間。ことりにとっては、緊張の瞬間。

 普通の子にとっては、思い出の写真。ことりにとっては、孤独の象徴。



 それがだと思ったから飾った写真。

 けれどそれは、ことりの幸せが栄翔にないことを残酷なまでに突きつける。



 ことりが卒業を目指す本当の理由は、ここにあった。





 六年生の夏休み、実家で両親と映画を見た。子ども向けの映画で、もうこんなものを観る歳じゃないのに、と感じたことを覚えている。家族愛を謳った映画だった。母親の危機に泣き叫ぶ主人公。それを見たとき、ふと思った。


 自分は、母が死ぬときに泣けるのだろうか。


 思わず母親を見上げた。お母さん、と呼ぶことに、少しだけ抵抗があった。


 不安が、小さな胸を満たした。


 自分が愛されていることはわかっていた。けれど、その愛情を感じたことはなかった。






 呼吸が荒くなる。

 ことりはたまらずスマホに手を伸ばした。しかし、その動きはすぐに止まる。


(普通は、こういうときにお母さんに連絡するのかな)


 ことりに現実を突きつける疑問は、なぜか冷静さを取り戻させた。

 スマホを置いたとき、扉が叩かれた。



(誰……?)



 警戒しながら扉を開けると、そこには意外な顔があった。


「先輩……?」


 よ、と右手をかかげるポニーテールの少女。ことりの先輩、みなみがそこにいた。


「だ、だめですよ! 今私のところに来たら――」

「わかってる。これを渡しに来ただけ」


 そう言って差し出されたのは、一枚の紙。

 受け取って見ると、一番上に『栄翔学園システム変更のための署名活動』の印字。少し下には、みなみの署名があった。


「先輩、これ……」


 言葉を失うことりの前で、みなみが口を開く。


「あんたさ、もしほんとに卒業できたら、希崎のぞみさきに行きなよ」


「え……?」


 突然のことに、ことりは呆然とした。

 希崎といえば、バドミントンの強豪校だ。みなみも、最後の試合は希崎に敗北した。


「あんたうまいんだから。希崎でなら全国だっていけるよ」


 以前から可愛がってくれた人だが、今日はなんだか様子がおかしい。どことなく寂しく、切なそうに見える。

 そこまで考えて、ことりははっとした。


(もしかして……)


 バドミントン部のエースだったみなみ。しかし大学受験を重視する栄翔では、高等部の二年で部活を引退する。彼女も既に引退していた。


 無言で先輩を見上げる。

 勘づいたと察したのだろう。みなみは儚げに笑う。


「ね、ことり。行ってよ。私たちが行けなかったところまで」


 みなみの気持ちが、痛いほどに伝わった。

 胸が、熱くなる。

 自分たちや、今の生徒のためだけじゃない。これは、これまでのすべての子どもたちのための戦いなのだ。



 ことりにその夢を託し、みなみは静かに帰っていった。


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