第6話 訪問者

 その日の夜。

 ぼくたちは、まだ、出発していなかったのだ。


 日中、ネクトーさんはぼくを連れて、町の商店をめぐり、いろいろなものを仕入れていた。

 基本は旅の準備で。

 でも、そのなかには、今からどうしてそんなものが必要になるのか、ぼくにはさっぱり見当もつかないものもあった。

 まあ、それをいうなら、そもそも、これからぼくたちがどこに向かうのかさえ、ぼくには分からないのだけれど。

 ネクトーさんは、あちこちで買い集めたものを、背負った革の袋にどんどん入れていく。

 ぼくは、そのうちに、ようやく気がついた。

 ——あの袋はおかしい。

 ネクトーさんが、いくら品物をいれていっても、小さな袋がいっぱいにならない。

 いっぱいにならないどころか、膨れさえしないのだ。

 ぺたんとしたままである。


「よし、これも手に入ったな……」


 そういいながら、ネクトーさんが、輪になったロープと、長い鉄の棒を袋につめはじめたのをみて、ぼくは、とうとう


「あの……ネクトーさん」


 聞かずにはいられなかった。


「ん……? レブ、どうかしたか」

「あの、その袋、なにか、おかしくないですか」

「ああ、これ」

「それって、まさか収納魔法を付与した袋では……」


 収納魔法。

 たいへん高度な技術を必要とする、希少な魔法で、この魔法を付与した入れ物には、本来の容積よりもたくさんのものを入れることができる。

 商人にとって、垂涎の魔法である。

 容積が二倍、三倍になるだけでも貴重である。

 しかし、ネクトーさんのこの袋には、おどろくべき強大な魔法がかけてあるとしかおもえない。

 へたをすると、この袋だけで、山積みの金銀財宝より価値があるかも知れない。


「いや……」


 ネクトーさんは、首を横に振った。


「魔法ではないよ、これは」

「でも……そんなの、魔法でしかありえないのでは」


 ネクトーさんは、事もなげに言った。


「魔法より、大きな力なんだよ」

「魔法より大きな力……?」

わざだね」


 あいつ——その名を口にするのもはばかられる邪神ハーオスだ。

 このいっけん何の変哲もない革袋には、邪神の力がこめられているというのだ。

 ぼくはなんだか、恐ろしくなってしまった。


 そうやって、町をまわり、必要な物品を仕入れているうちに、思いのほか時間がかかって、日が傾き始めたのだ。


「こりゃあ、出発は明日かな……」


 エルガン山の向こうに、陽が落ちていく。

 急峻な山の中腹にある、領主様の館に、早くも明かりがまたたきだす。

 そんな様子を眺めながら、ネクトーさんが言った。


「今日のところは、また、レブの家に泊まらせてもらおうか、頼むよレブ」


 そしてぼくたちは、また家にいったんもどったのだ。


 がらんとした家に、火を起こす。

 ネクトーさんの無限に物が入りそうな革袋から、また、食材がとりだされ、それで夕ご飯を食べる。

 一息つくと、


「なあ、レブ」

「はい、なんですか」

「悪いけど、アマジャ茶をまた淹れてくれるか。レブの淹れてくれたアマジャ茶は、うまいからな」


 ネクトーさんは、笑いながらいった。

 あんなアマジャ茶のどこが気に入ったのかわからないが。


「かまいませんが……ええと、アマジャの葉が、まだ、たしかあそこに」


 ぼくは、台所まで行くと、床板をもちあげ、地下にしつらえてある収納から、アマジャ茶の葉をとりだす。

 地下室というほどりっぱな空間ではなく、たんなる物置にすぎない。

 わずかな食材や、道具などいろんなものが雑多に放りこまれている。


「ちょっと待ってて下さいね、ネクトーさん、今淹れますから」


 ぼくが支度を始めたとき


 ダンダンダン!


 扉が乱暴に叩かれた。

 ぎょっとして言葉を失っていると


「おい、中の者、さっさと戸を開けろ! さもないと……!」


 横柄な声が怒鳴った。


「ど、どちらさまでしょうか?」


 慌てて、返事をする。


「我々はシドス騎士団だ。お館様の命により、この家に住むレブなるものを捕縛するために来た」

「えええっ?!」


 どうしてそんなことに?


 ぼくは固まってしまった。


「早くここを開けろ! 開けないなら打ち破る」


 外からは言いつのる声が。

 あいつらか?

 あの声に、聞き覚えがある。

 ジェーニャが攫われたとき、ぼくをおいかけまわした騎士たちだ!

 ああ、どうしたらいいんだ。

 うろたえるぼくの肩に、ネクトーさんの手が置かれた。


「ネクトーさん?」

「心配するな、レブ。ここは、おれがなんとかするから、お前はちょっと隠れているんだ」

「でも……それでは、ネクトーさんは」

「おれのことは、心配はいらないから」


 ネクトーさんは、ふわりと笑うと、


「そうだな……レブ、さっきの、地下の物置な、あそこに隠れて、じっとしているんだ」

「えっ?」

「おれが良いというまで、出てくるんじゃないぞ。さっ、行け、レブ、急げ」


 ネクトーさんにうながされ、ぼくは震える足で台所に行き、床下の物置に潜りこむと、床板を閉めて、暗闇の中、小さくなった。


 すぐに、ドカン! という大きな音が聞こえた。

 薄い家の扉が、強引に破られる音だ。

 どかどかと家の中に踏みこんでくる、何人もの靴音も聞こえる。


「ん?! お前、何者だっ!」


 誰何すいかする胴間声。


「あ? おれか? おれはネクトーというものだが……」


 いつもとかわらない、ネクトーさんの声には、こんな場面だというのに、緊張の色はない。


「ネクトー? 知らんな。お前、この町の者ではないな」

「ああ、おれはさすらい者だ。昨日までランカの町にいたよ」

「ランカ? でたらめを言うな! そんなはずがあるか!」

「待て」


 別の声が


「それより、レブだ。我々はレブを探している。レブはどこだ? ここにいるはずだ」

「さあねえ、どこにいるのやら……いまごろ、をさがして、町を走り回ってるんじゃないのかねえ……」


 とたんに、声が激高する。


「おいっ、きさま! 何を見たっ!」

「ふん……おれは何も見てないが、なんだかのような……」

「こっ、こいつは!」

「騎士団を舐めてるのかっ!」

「……どうやら、お前も片づける必要があるようだな」


 ひどく冷静に、騎士の一人がいい、


 ザグリ!

「ぐうっ!」


 ものが断ち切られるような音と、ネクトーさんのうめき声。

 ドサリと倒れる音。


「ふん、口ほどにもない」

「バカなやつだ」


 吐き捨てる声。


 ネクトーさんが、やられた!

 ああ、ぼくのせいで、ネクトーさんが!


 だが、そのとき


 


 とつぜん、その声が、空気を揺るがし、響き渡った。

 おそろしいほどの威圧!

 それは、ネクトーさんの声なんかじゃない。

 もちろん騎士たちのものであるはずがない。

 この世界の根源を震わせ、ぼくたち人間の存在自体を一吹きで吹き消してしまいそうな、畏怖を呼び覚ますその、圧倒的な声。


「なっ、なんだ?」

「うわっ、うわっ、うわっ!」


騎士団の悲鳴。


 ゴオオオオオッ!


獣のような雄叫び。


「ギャアアアアアアア!」


人間がこんな恐怖の叫びをあげられるのかと驚かされるほどの、絶叫。

床板の隙間を通して、小さくなっているぼくのところに、なんども稲妻のような光がもれてきた。

そして、ふっつりと、何の物音もしなくなってしまった。

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