第5話 炎
「心配するな、レブ、おれがなんとかしてやるから」
ぼくの話をきいたネクトーさんは、そんなことを言った。
「そのために、おれはここに送られてきたようだ」
とも。
でも、この人が何を言っているのか、さっぱりわからない。
だいたい、なんとかしてやる、と言われても、正直、ネクトーさんは、ぜんぜん強そうにみえない。
持ち物と言えば、肩に担いでいた革の袋ひとつだけで。
武器一つもっていない、ひょろひょろしたこの人に、あのとんでもない化け物から、ジェーニャを助けるなんてことができるんだろうか。
優しそうな人だけど。
ぼくを慰めようとして、できもしないことを言ってるだけなんじゃないのか、とまで思ってしまった。
でも、ぼくはすぐに頭を振った。
ごめんなさい、ネクトーさん。
そんなこと考えて。
例え嘘でも、ぼくの力になるといってくれるのは、ネクトーさんしかいなんだから。
「ん……、レブ、お前さん疑ってるな?」
そんなぼくの気持ちを見透かしたように、ネクトーさんが言った。
「すっ、すみません!」
ぼくは、小さくなって謝る。
ネクトーさんは、怒っていなかった。
笑いながら
「まあ、無理もないとおもうぞ、そう考えるのもな」
そういって、革の袋をさぐると、こんどは太い
「火を借りるよ」
ネクトーさんは、焚き付けになっている木の枝から適当なのをみつくろって、腸詰めを突き刺し、暖炉であぶり始めた。
すぐに、ぱちぱち、ジュウジュウいう音がしはじめ、家の中に良い匂いがただよう。
「ほら、レブ、これも喰え」
火が通り、こんがりと焼けて、肉汁がしたたる腸詰めの一本を、ネクトーさんがぼくに手渡す。
なんとも美味しそうだ。
「……ありがとうございます」
お礼もそこそこに、ぼくはかぶりついた。
歯を立てると、ぷつんと皮がはじけ、熱い肉汁が口いっぱいにひろがった。
「
「そうか、それはよかった。それはな、エソ鹿の肉でつくった腸詰めだ。ヴィスィエーで獣人たちが恵んでくれたよ」
「ヴィスィエーですか! たしか、遙か西の港町ですよね、天秤の町だ」
ネクトーさんは、目を丸くしていった。
「レブ、お前さんは、地理をよく知ってるなあ」
「行商人の父が、いろいろな土地のことを、いつも土産話に聞かせてくれたので……とても、楽しみでした」
「なるほどな……」
ネクトーさんはうなずいて、言った。
「いい家族だったんだな、お前の家は……」
そして、ネクトーさんは、自分も腸詰めをかじりながら、ネクトーさん自身のことを話してくれたのだ。
ぼくは衝撃をうけた。
ネクトーさんは、自分自身の記憶がまったくないのだという。
自分がどこでうまれたのか、いままで何をしていたのか、家族はどうなのか、そもそも、ネクトーという名前自体、自分の本来の名前であるかもわからないという。
そんなことってあるのだろうか?
さらに信じられないことに、ネクトーさんは、あの邪神ハーオスのしもべなのだという。
邪神ハーオスのしもべとして、この世界を彷徨っているのだという。
「おれが、何も思い出すことができないのは、たぶん——」
ネクトーさんは、遠い目をして、続けた。
「あいつのしもべとなったことに、関係があるのだろう。
おれはたぶん、レブ、お前さんがやろうとしたように、あいつと取引をしたのだ。
その代償がこれだ。
あいつと契約を結んでまで、おれがなにをしたかったのか、それさえもいまはわからない。
だがな、いつか、あいつとの契約が終わったとき、おれが何者かわかるかもしれない。おれがあいつと契約をした理由もわかるかもしれない——そう思っているのさ。
その時が来るまでは、おれはあいつのしもべとして働くのだ。
まあ、まだまだ路は遠そうだがな……」
ネクトーさんの、なんという過酷な運命——。
そして、それはぼくにとって、けして他人事ではなかった。
このぼくだって、邪神と契約しようとしていたのだから。
でも、こんなに優しそうなネクトーさんが、恐ろしい邪神のしもべだなんて。
「ネクトーさん……?」
ぼくは思わず聞いてしまった。
「それで、ネクトーさんは、邪神の手下として、みんなにひどいことをするのですか?
ものを盗んだり、人さらいをしたり……それから、その、人を、人を……殺したり?!」
ネクトーさんは、ふわっと笑った。
「まあ、邪神の手下ときけば、そんなふうに思うかもしれんな……」
腸詰めを、がぶりとかじる。
「だがな、レブ」
静かに言う。
「じつは、それはまちがいだ」
「まちがい?」
「そうだ、人間の善悪は、神には関係がないんだ」
よくわからない。
この世には、悪い神さまと、良い神さまがいるのではないのか。
良い神さまは、人間に良いことをもたらし、悪い神さまは、人間に不幸と苦痛をもたらすのではないのか。
ぼくの、納得のいかない顔をみて、ネクトーさんは
「ちょっと、これは難しいかもしれんな、レブには」
と、口の端で笑った。
「実を言うとな、おれはあいつから、ああしろ、こうしろと事細かに命令されるわけではないんだ」
「そうなんですか、でも、しもべなんですよね?」
不思議がるぼくに、ネクトーさんが説明してくれる。
「さっきみたいにな、おれはいきなり、見知らぬ場所に放りこまれるんだよ。
そうすると、そこでは、もう、なにかとんでもないゴタゴタが起きていてな。
おれは、そのわけのわからない面倒ごとに巻き込まれて、やむにやまれず走りまわる。
どうも、おれがそうやって、じたばたすることが、あいつの
「……しょうじき、なんだかよくわかりません……」
「おれにもわからない。でも、これまで、おれはそうやって彷徨ってきたんだ。
今回は、たぶん、お前さんの攫われた妹を助けようとすることが、期待されているらしい」
「ジェーニャを!」
ぼくの表情が明るくなったのをみて
「ただな、その結果がどうなるのか、それはわからんぞ」
ネクトーさんは、顔をひきしてめて、戒めた。
「あいつの意図は、おれたち人間には、けっきょくのところ計り知れないものだ。神だからな……」
そういうネクトーさんの顔の上で、暖炉からの明かりがチラチラとゆれて、影を造る。
それにつれて、ネクトーさんの表情は、優しく見えたり、ひどく険しく見えたり、そしてとても悲しげにみえたりと、揺れ動くのだった。
翌日。
ネクトーさんは、身支度を調えると、ぼくに告げた。
「じゃあな、レブ。おれはひとつ、がんばってくるから、お前さんは、焦らずに待っていろよ」
ぼくは慌てて叫んだ。
「えっ、ネクトーさん、ぼくも行きます!」
「やめとけ、レブ」
「だって……」
なおも言いつのるぼくに、
「この件、いろいろと闇が深そうだ。
お前さんの妹を攫ったあの化け物もかなりヤバいやつのようだが、お前さんの話を聞くと、どうも、領主も、からんでいるような気がするんだ」
「領主様が?!」
「そうだ。なんだか、危ない臭いがぷんぷんするんだよ。お前を危険にさらしたくない」
ネクトーさんは、強い口調で言った。
ぼくが黙り込むと、
「だから、待っていろ。心配するな、おれはこういうのは慣れているから」
ぼくの肩を一つ叩き、出て行こうと扉に手をかける。
ところが——
ゴウッ!
突然、暖炉から炎が噴き上がった。
夜の内に、薪はすべて灰となり、今や熾火となっているだけの暖炉から。
「うわあっ!」
炎は高く上がり、メラメラと熱風をはらみ、今にも、このボロ家が燃えてしまいそうな激しさだ。
「ど、どうしよう!」
ぼくはうろたえるばかりだ。
ネクトーさんは、ふりかえると、扉から手を離して、炎に向き合う。
ひどく落ち着いた顔で
「おい、そういうことなのか……?」
つぶやいた。
そのとたんに、炎は、フッとかき消えた。
あんなに激しい炎だったのに、消えてしまうと、家のどこも、焦げたあとさえなかった。
あっけにとられているぼくに、ネクトーさんが言う。
「レブ、支度をしろ。おれと一緒に行くんだ」
「えっ?」
わけがわからないでいるぼくに、ネクトーさんが言った。
「お前さんも連れてけって、さ」
「?」
「それが、あいつのご託宣だ」
その顔には、なんとも言えない苦笑いが浮かんでいたのだ。
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