第4話 ジェーニャのために

 「くそっ! 逃がしたか? すばしこいやつだ……」


  ダン ダン ダン!


 どぶ板の下に隠れているぼくの上を、悪態をつきながら、板を踏みならし、騎士が引き返していった。

 ぼくが、そこから這い出て、おそるおそる通りをのぞいたとき、もはや、人の気配はなにもなかった。

 あの怪物はもちろん、騎士たち、そして――。


 ジェーニャ!


 ぼくは、呆然と、静まりかえった通りに立ち尽くした。


 なんとかしなくちゃ。

 あの怪物に攫われたジェーニャを助けなくちゃ。


 心の奥で、ジェーニャはもう、あの恐ろしい怪物の犠牲になって、この世にはいないのではないのか、もう手遅れではないのか、そんな考えがうごめいたが、


「そんなはずはない! ジェーニャは生きてるんだ!」


 ぼくは、その嫌な考えを打ち消すように、首をふった。


「でも、どうすれば――」


 考えれば考えるほど、絶望的な気分になる。

 あの黒い巨大な怪物。

 どう考えても、ぼくなんかが立ち向かって歯が立つはずがない。

 それだけじゃない。

 あの騎士たち。

 なぜか、騎士たちは怪物に立ち向かってジェーニャを助けるのじゃなくて、ぼくを殺そうと襲いかかってきた。

 騎士たちも味方になってくれないのか?

 領主様も当てにならないということなのか?

 でも、いったい、ぼく一人の力でなにができる。

 力が必要だ。

 人間を超えるような、そんな力が。

 そんな力を手に入れるためなら、ぼくの命をかけてもいい。

 そう思ったときに、ぼくの頭に、閃くものがあった。

 町外れにある、あの廃墟。

 <邪神>ハーオスの祭壇だという。

 もし、邪神の力を借りることができれば?

 ハーオスは、恐ろしい噂しかきかない、悪神だというけれど。

 願いを叶えてもらうためには、犠牲を要求するというけれど。

 邪神だろうがなんだろうが、そんなこと、ジェーニャを助けられるなら、問題じゃないんだ。

 あの祭壇で、ぼくの命を捧げて、邪神に願いをかける。

 それしかない。

 それしかないんだ……。

 このままでは、ておくれになるかも知れない。

 ぼくは、奥歯を噛みしめた。

 そして、邪神の祭壇に足をむけた。




「ふうむ、なるほどな……」


 ぼくの話をきいたネクトーさんが


「レブ、たいへんな目に遭ったなあ……」


 いたわるように言った。


「それで、お前さんは、あいつの力を借りてなんとかしようと思ったわけだな」


 ぼくはうなずいた。

 そして、絞り出すように言った。


「それしか……それしか、ぼくにできることはないから」

「レブ、気持ちはよくわかる。しかし……それだけはやめておけ」


 ネクトーさんが、祭壇での言葉を、また繰り返した。


「だけど!」


 ぼくは、思わず声をあらげて、目の前のネクトーさんをにらんだ。

 そして、はっとして、口をつぐんだ。

 静かにぼくをみつめるネクトーさんの顔にあるのは、無礼なぼくに対する怒りなんかではなくて、ひどく悲しげな、つらそうな表情だったから。


「レブ、おれには分かるんだよ。あいつの力を借りる、その行き着く先がな……」

「ネクトーさん……?」


 まさか!

 まさか、そうなのか?


 ぼくは、はっとして、聞いた。


「ネクトーさん、ひょっとして、あなたも……? あなたには、なにがあったのですか?」


 だが、ネクトーさんは、握りこぶしを額に当て、眉間にしわをよせて眼を閉じ、


「わからない……おれには、もうなにも、思い出せないんだ……だがな、なぜか、お前さんを見ていると、そんなふうに忠告せずにはいられない……ふふっ、いったいなぜだろうな」

「ネクトーさん……」


 ぼくは言葉をうしなった。

 暖炉の火が、パチリとはぜた。

 ネクトーさんの顔がふっと緩んだ。

 そして、言った。


「心配するな、レブ。おれがなんとかして助けてやるから」

「えっ?」

「ジェーニャは、まだ、無事だ」

「でも、どうして、それが……?」


 ぼくは、ネクトーさんの確信のこもった言葉に安堵させられながらも、なぜそれが分かるのか、疑問を感じていた。

 ネクトーさんは、ぼくの考えを読んだように、続けた。


「あいつがそういっている……ジェーニャは無事だとな」

「あいつ……」

「レブ、おれは、たぶん、このために、シドスここに送られたのだ」


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