第3話 魔物と騎士

「うぐっ……ジェーニャ……」


 ランカの実をほおばったまま涙を流すぼくを、ネクトーさんはじっと見ていた。

 暖炉の炎にてらされて、ネクトーさんの顔の上で影が躍った。


「レブ、お前さんの妹は、ジェーニャっていうんだな」


 ぼくはうなずく。

 ネクトーさんは、いたわるように聞いてきた。


「そのジェーニャに何があったのか、おれに話せるか?」

「……は、はい、それは……」


 ぼくは、今日の出来事を、ネクトーさんに話した。

 そもそものはじめから話すと、長い話で。

 けっしてうまくは話せなかったけど、ネクトーさんは辛抱強くきいてくれたのだ。

 それは——。


 ……今、日が落ちてから、シドスの町を歩く者はいない。

 夜ともなれば、人びとはみな家に閉じこもって、息を潜める。

 もちろん、前はこんなふうではなかった。

 それは、ほんの、ここ数ヶ月のことなのだった。


 ある月のない夜、大きな火の玉が空を横切っていくのを、町の多くの人が目撃した。

 その巨大な、赤く燃える球体は、空の彼方から現れ、音もなく夜空を移動していった。

町のだれも、今までにそんなものをみたことがなかった。

 火の玉は、静かにエルガンの峰の向こう側に消えていった。

 町のみんなは、なにか良くないことが起こる前兆ではないかと、不安にかられた。

 そして、その不安は現実のものとなってしまった。

 人びとが火の玉をみて、しばらくしてから。

 町の若い女性が、行方不明になるという事件が、頻発するようになったのだ。

 女性が行方不明になるのは、かならず、日が落ちてからだった。

 身分も種族も関係なく、共通するのは若い女性であることだけだった。

 盗賊による、人さらいなのだろうか?

 だれもが最初にその可能性を考えた。

 町の警備は厳重になった。

 自警団が、警邏を始めた。

 しかし、それでも女性は行方不明になった。

 町でも一二を争う商家があった。

 商家には、妙齢の娘がいた。

 娘の身を案じた商家の主人は、財力にものを言わせて、護衛の冒険者パーティを雇った。

 もちろん、下っ端などではない、ランクの高い腕利きの冒険者パーティだったのだ。

 例え大きな盗賊団に襲撃されたとしても、簡単に撃退できるほどの戦力だった。

 だから、ある日の夜、娘の帰りがおくれても、主人はそんなに心配していなかった。

 ところが。

 娘は帰ってこなかった。

 翌日、町の大通りに横たわる、冒険者全員の無残な死骸が発見されて、大騒ぎとなった。

 路上は、ぶちまけられた血でどろどろとなり、へし折られた冒険者の刃が突き立っていた。

 帰宅途中の娘と、護衛する冒険者がその場所で襲われたのは間違いなかった。

 そして、娘の行方は知れない。

 これまでの娘たち同様、商家の娘も消えてしまったのだった。


 あれほどの冒険者でもだめなのか。

 これは魔物の仕業なのか?


 もはや、自分らには打つ手がない。

 そう考えた町のものは、領主に請願した。


 ——善処する。


 町を見下ろす、エルガン山の中腹に館を構える領主からは、そう返事があったらしいが、実際に、新たな対策がとられた気配はまだない。

 そうしている間にも、女の人が消えていく。

 今では、シドスの町の住民は、夜間にはけして外出しない。

 それでも、行方不明者は増えていく。


 妹ジェーニャは、生活のため、町の商家で下働きをしていた。

 商人である両親に教えられ、読み書き計算はできたので、重宝されていたのだ。ジェーニャがそうやって稼いでくるお金がなければ、ぼくらの生活は成り立たない。

 いつもは、かならず暗くなる前に帰ってくるのだけれど、今日にかぎって、日が傾き、山の稜線に近づき始めても、まだ帰ってくる気配がなかった。

 陽が山の向こうに隠れたら、あたりはあっというまに暗くなる。

 エルガンの峰が大きな黒い壁のようにそそり立ち、その中腹に、チラチラと瞬きだした灯りは、城主の館だ。

 ぼくは、居ても立ってもいられず、ジェーニャを迎えに出た。


 静まりかえった町の通り。

 人っ子一人いなかった。

 びゅうっと冷たい風が吹きすぎる。


 ジェーニャ、どこだ、無事でいてくれ。

 今迎えに行くから。


 ぼくは駆けだした。

 いつもジェーニャが帰ってくる道筋は分かっている。

 むくむく不安が広がる。

 やがて


「あれは!」


 暗がりで、さだかではないけれど、大通りの向こうの端、もれる窓のあかりに一瞬照らされた小さな影。

 マントをはおり、フードをかぶって、うつむいたその影は、寒そうに、小走りで路をやってくる。

 まちがいない、あれはジェーニャだ。


 ああ、良かった。


 ぼくが、声をかけようとしたその時。

 馬が嘶いた。

 向こうで、ジェーニャが驚いたように立ち止まる。


「騎士だ……」


 脇道から、鎧をつけて、馬に乗った数人の騎士が現れた。

 松明をかざしている。

 松明のあかりで、鎧の背に刻まれた紋章がみえた。

 見覚えのあるその紋。

 領主のものだ。


「ああ、ようやく、領主様が対策をとって下さったんだ」


 ぼくは、ほっとした。

 騎士の人たちが、町を護るために、派遣されたのだろう。

 よかった。

 これで、ジェーニャと家に帰れる。

 ぼくは、走るのをやめて、歩き出した。


 ところが——。

 なんだか、へんだった。

 騎士の人が、ジェーニャに話しかけたようだ。

 ジェーニャが首をふって、後ずさる。

 なんだ?

 なにが——?

 見ている間に、ジェーニャがきびすを返して、もと来た方に走り出した。


 騎士から逃げるために?

 なぜ逃げる?


 おかしい。

 はやく、ジェーニャのところにいかなくては。

 いったん歩き出したぼくだったが、また駆け出し、足を速める。

 そして、ぼくは信じられないものを見た。


「うわっ、なんだ、あれは?!」


 まるで、闇が動いたようだ。

 通りの家なみの後ろから、ぬうっと、ジェーニャの進路を塞ぐように、黒いかたまりが伸び上がった。

 なんて、大きさだ。

 家よりはるかに大きい。


「きゃあっ」


 ジェーニャが悲鳴をあげて立ち止まる。

 騎士が、松明を高くかかげた。

 その明かりをかすかに反射して、一瞬そのもののかたちがみえた。

 それは、似ているものと言えば、蜘蛛?

 あるいは、蟹?

 巨大な兜のような、ずんぐりしたかたちの物体から、関節をもった、棒のような足が、何本も突き出している。

 これは、生き物なのか?

 みたことも、きいたこともない。

 兜の真ん中あたりに、横一列に並んだ赤く光るなにか。

 あれは、眼?

 驚いている間に、その兜の下部から、鞭のような、ぐねぐねするものがヒュッとのびて、立ちすくんでいるジェーニャに巻き付くと、軽々ともちあげた。


「ああっ! ジェーニャ!」


 ジェーニャは気を失ってしまったのだろうか、つかまれても手足を投げ出し、ぐったりとされるがままになっている。


「助けて!」


 ぼくは、恐ろしさにすくみそうになる足をむち打って、駆けよりながら、騎士の人たちにさけんだ。


「騎士様、ジェーニャを助けて!」


 たしかにとんでもない化け物だけど、領主様から使わされた騎士の人たちが、立ち向かってくれるのではと願いながら、走る。

 騎士たちは、ぼくの声に気づいた。

 振り返り、いっせいにぼくを見る。


「お願いします、騎士様! ジェーニャを、その化け物から」


 一人の騎士が、剣を抜き、振りあげた。


 通じた!

 戦ってくれるんだ!


 だが、剣を振りあげた騎士は、馬の向きをかえて、突進してくる。

 ぼく目がけて。

 騎士から殺意が吹き付ける。


 どうして?

 どうして?


 しかし、騎士には何のためらいもない。

 どうみても、この騎士は、ぼくを片づけようとしている。

 だめだ!

 このままでは——。


 ぼくはとっさに、細い路地に逃げ込んだ。

 人がすれ違えないくらいの、路地と言うより、家と家の狭間にすぎない。

 ここなら馬は入れない。

 蹄の音を立てて通り過ぎた馬が、嘶いて停まる気配があり、騎士が飛び降りる音がした。

 追ってくる!

 どうする?

 このままでは追いつめられる。

 必死で頭を働かせる。


 そうだ、ここだ!


 ぼくはどぶ板をめくった。

 日銭を稼ぐため、ドブさらいの仕事をしたことがあった。

 それで知ったのだが、側溝の流れが集まる場所には、溝が枡になった箇所があり、そこは、小柄な人なら、入れるだけの余地があるのだ。

 ぼくはどぶの中に飛びこみ、目当ての空間に潜りこむと、どぶ板をかぶって、身を縮めた。

 ギリギリまにあったようだ。

 路地に駆け込んでくる騎士の足音。


 ダン!


 どぶ板を騎士の靴が踏む。

 ぼくは身体を硬くする。

 もし気づかれたらどうすることもできないだろう。


 ダン、ダン、ダン、ダン!


 だが、騎士は、まさか自分の足下にぼくがいるなんて気づかず、路地を奥へと走り去っていった。

 臭く、冷たい下水に震えながら、ぼくはじっと様子をうかがった。

 こんなことをしている間にも、ジェーニャがどうなってしまうかわからない。

 焦燥に突き上げられる。

 だけど、うかつに出たら、あの騎士に片づけられてしまうのはまちがいない。

 ぼくは唇を噛みしめて、耐えた。

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