第7話 塩と短剣
……。
外からは、まったく物音がしなくなってしまった。
ぼくは、真っ暗な物置で、うずくまって震えていた。
いったい、なにが起こったんだろうか。
あの、喉が切れるような絶叫をあげたのはだれか。
凶暴な獣のような咆吼は?
そして、それらすべてより恐ろしい、あの、圧倒的な力をはらんだ声。
<神を僭称する者、許しがたし>
あれはけして、人のものではなかった……。
ネクトーさんは、自分が良いというまで、隠れていろといった。
でも、そのネクトーさん自身が、騎士にやられてしまっていたら……。
その可能性はある。
ああ、ぼくはいったい、どうしたらいいんだ。
こんな、真っ暗な場所で、じっとしているしかないのか。
かび臭い地下室のにおいに加えて、自分の汗の臭いを強く感じた。
嫌な汗が、体を冷やす。
あいかわらず、上からはまったく音が聞こえてこない。
僕の周りにある雑然としたものの形だけが、ぼうっと見えている。
こわい。
でも……もう、無理だ。
しびれを切らし、ぼくが飛び出そうとした、まさにそのとき。
「おーい、レブ、聞こえるかあ」
ネクトーさんの声だ!
あいかわらず、緊張感はない。
ぼくがすぐに返事をしないと
「おーい……起きてるかあ。そろそろ目を覚ませよー」
何を言ってるのだ。
ぼくが、こんな状況でのんきに眠っているとでも思っているのか、あの人は。
「はっ、はいっ! ネクトーさん、大丈夫ですか?」
ぼくが、大声をあげると、
「出てきてくれ、おれはちょっと手が離せない」
「どうしたんですか、今行きます!」
ひょっとして、傷を負って、動けないのか?
ぼくは床板をはねのけて、とびだした。
「ええっ?」
そして、驚きのあまり、その場でかたまってしまった。
「なにこれ?!」
家の中が、まぶしいばかりに、真っ白にかわっていたのだ。
家のすべてが、白い岩のようなざらざらしたもので覆われて。
ザリッ
身じろぎをしたぼくの足の下で、白い粒が砕けた。
これは、なに?
ぼくは粒を手に取った。
かたく、白いそれは。
――塩?
その欠片を舐めてみると、たしかに、あの塩の味がする。
これは、しかも海の塩というより、混じり物のない岩塩の味だ。
「いったい、何が?」
居間に入って、さらに驚いた。
部屋が白い結晶で覆われているのはおなじだが、それだけではなかった。
そこには、人の形をした、岩塩のかたまりが、四つ。
二つは、立ったまま、両腕で顔をおおうようにして壁にもたれていた。
一つは、床に倒れ、胴体の真ん中から、ぽっきりふたつに折れていた。
もう一つは、天井から逆さまになって、ぶら下がっていた。
その姿形は、そんな塩のかたまりになってしまってはいても、騎士にまぎれもなかった。
「せっかく、丁寧に応対してやったのに、いきなり斬りつけやがってよう」
塩の立像の前に立ち、そういうネクトーさんは、半裸だった。
上着がざっくり裂けて、ぼろ布のように垂れ、腰にまとわりつき、やせた上半身がむきだしだ。
左の肩から、右の脇腹にかけて、新しそうな大きな刀傷があった。
傷とはいっても、すでに治癒して、傷が塞がった跡が白くもりあがっている。
そして、ネクトーさんの身体には、同じように治癒した古傷が、いくつもいくつもみられた。
でも、いったいどのような経験が、こんな傷をつくるというのか。
ある傷は、ネクトーさんの首を真横に横切り、まるでネクトーさんの首が、いちど切り離されてくっついたようだった。そんなことはありえないけど。
ほかの傷跡も、人間がそんな傷を負ったら、一撃で命が絶えると思われるような、大きく、深そうなものばかりである。
(この人は、いったい……)
そうだ、ネクトーさんは、さっき、ぼくにこういったんだ。
今、手が離せないから、と。
両手を下げて、仁王立ちになっているネクトーさんに
「あの……手が離せないというのは……?」
ぼくが聞くと、
「おお、これだ」
ネクトーさんは、足下に目をやって、顎をしゃくった。
「うえっ?」
ネクトーさんの視線の先をみると、その右足が、あるものを踏みつけていた。
「そ、それは?!」
不気味と言うほかない。
昆虫のような、黒光りする本体。
まるで騎士の兜のようなかたちだ。
そこから、いくつものぐねぐねした、触手のようなものが生えて、そして、今も蠢いていた。ネクトーさんの足に、うねうねと触手をからませ、なんとかそこから脱出しようと足掻いている。
「どうだ、レブ、こいつに、なにか見覚えがないか」
「見覚えって……こんなおかしなものに……あっ!」
ぼくは気づいて、おもわず声を出した。
「これは……このかたち……まるで、あの、ジェーニャをさらっていった化け物の!」
ネクトーさんはうなずく。
「だろ? まあ、サイズはだいぶちがうけどな」
「あの化け物の仲間ですか?」
「ん……仲間というか、一部というべきか……とにかく、こいつを始末しないとおれは動けないんだよ」
「なにか、刃物を……」
ぼくはあたりを見回し
「あった! これで!」
床に転がっていた、たぶん騎士のものだろう、ギラリと光を放つ大剣を手にした。
ずっしりと重く、その刃は鋭い。
その束つかを両手で掴むと、
「えいっ!」
小さな化け物に突き刺す。
ギンッ!
「うあっ?」
硬い。全く歯が立たず、大剣の切っ先は跳ね返された。
「おっと、レブ、おれの足を切らないようにな」
ネクトーさんが、
「そんなんじゃこいつは傷つけられないぞ。もっと別のものが要る」
「別のものって言われても……」
この家の中に、騎士の大剣よりも強い武器なんか、あるはずがなかった。
「あるんだよ、レブ」
ネクトーさんが、ぼくをじっと見つめた。
その目の奥が、赤く光った。
「ああ、それだ」
ぼくの頭の中をのぞきこんだような口調で、言った。
「ええっ? なんですか」
「お前さんが隠れていた、物置だ。ちょっと取ってきてくれ」
「あんなところに、なにがあるって」
「お前さん、すでに見ているよ。行けばわかるぞ」
ぼくは、首をひねりながら、台所にもどった。
床下を開けようとして、気が付いたのだ。
ネクトーさんに呼ばれる直前。
あの時。
物置におかれていたものの形が、ぼうっと見えていた。
それはなぜだ。
真っ暗なはずじゃなかったのか?
あそこには、なにか、光を放つものがあったからじゃないのか。
板をのけて、のぞきこみ、すぐに見つけた。
(ああ、あれだ!)
それは、隅っこに積まれた箱の上に、無造作に置かれていた。
暗がりのなかで、ほのかに光を放つ、細長いあれは……。
手に取ってみた。
革のさやにおさめられたそれは、短剣だった。
ぼくの手の、指先から手首までくらいの長さしかない、細身の剣だった。
なんでこんなものが、ここに?
考えられるのは、父さんが昔、行商の途中で、どこかから手に入れてきた、そのまま放ってあったものではないか、ということだ。
みたところ、特別な装飾がされているわけでもなく、いかにもやっつけで作りましたという感じの、たいして値打ちのありそうにない品物だ。
だから、あんなふうに、ほかの雑多なものと一緒に放り込まれ、そのままになっていたのかもしれない。
「おう、それだ、それそれ。早いところ、持ってきてくれよ」
と、ネクトーさんの声。
ネクトーさんの位置からは、ぼくの姿など見えるはずもないのに、まるでぜんぶ見えているかのように、ネクトーさんが言う。
「あっ、はい!」
こんな安っぽい短剣が役に立つとは思えないのだけれど。
「これでいいんですか……あっ!」
ネクトーさんのところまで戻ったぼくは、叫んだ。
ぼくが探している間に、化け物の触手の何本かが、ネクトーさんのブーツを突き破っていた。
そして、ネクトーさんの足に食い入ったのだろう、不気味な触手が今ももぐりこんでいるブーツの穴からは、血が何筋も滴っていた。
「こいつ、なかなか、しぶといやつでなあ、手こずるよ」
ネクトーさんが笑う。
「すっ、すみません! ぼくがもたもたしていたから」
「ん? 気にするな、こんなのはどうってことはない。さあ、レブ、その短剣を使うんだ」
痛いだろうに、ネクトーさんはぼくに怒るでもなく、うながした。
「はいっ!」
ぼくは、あわてて、手にした短剣をふりあげ、その兜みたいな化け物に振り下ろす。
ズグッ!
びっくりしたことに、ぼくの手にした、一見ちゃちな短剣は、騎士の大剣でも通らなかった硬い化け物の外殻を、やすやすと貫いたのだ。
!!!!
声のない叫びが上がり、触手がビンと跳ね上がって伸びると、ぐたり、力をなくして、落ちた。
化け物はぐずぐずになって、溶け崩れ、そして一塊の泥になる。
「な、なんで?!」
ぼくは片手に短剣をもったまま、目を丸くするのだった。
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