右の女 6
花の、紫苑を譲って欲しいという願いを切り捨てるように断ってから数日。四月二十八日を迎え、五月の連休は間もなくだった。
灯はテニスサークルで熱心に練習し、紫苑を指導して相性の面でも部長と副部長にアピールした。ひかるやあき子は既に灯の下を去り、他のグループに所属して楽しくやっている。灯は孤立することでさらにはっきりと自分が紫苑と組む意思が強いことを主張した。
相変わらず紫苑とセットになっている花とはほとんど口を交わさなかった。花が灯にラケットを投げつけた事件で、花と灯を極力隔離するよう新谷副部長からの配慮があったが、紫苑を中心にして時にニアミスしていた。しかし、二人共没交渉を貫いた。
振り返るに、ラケット投げつけ事件の頃は灯は悪意を持って花の感情を逆撫でしていたが、今は少しの同情さえ感じていた。ダブルスのペアは、第三者が紫苑と組む可能性は零ではないが順当にいけば灯が相手に選ばれるだろう。その時、選ばれなかった花は、紫苑とお別れしなければならない。今まで親友として振る舞い、紫苑の隣の席を占め、金魚の糞として付き従ってきた花にとってそれは国が戦に負けるような究極の挫折に違いなかった。それを味わうことになるのだから些かは同情する。
それでも、灯に譲る気はない。花から紫苑を公式に奪い取り、親友としてその隣に座る。それはもう、謂わば自分の能力に応じた使命だった。
「みんなー、集合してー!」
エリー部長がテニスコートの端でラケットをぶんぶん振る。皆が彼女の下に集まる。
部員が一人の漏れなく集ったところで、新谷副部長が話し始める。
「いよいよ、練習試合が迫ってきました。時は五月三日、相手はM大学です。エース級は手強いけどレベル的にうちが負ける相手じゃないです、必ず勝ちましょう。では、試合に出場する選手を発表します」
新谷副部長が何名か部員名を呼び、その者は前に出て皆と向き合うように並んで立つ。
「以上がメンバーです、はい拍手!」
とエリー部長に促され、皆が選ばれた選手に拍手を送る。三回生中心のメンバーは概ね灯の思い描いた通りの人選で、このサークルが縁故主義でなく実力主義であることが知れた。
「続いて、一回生の、ダブルスのペアを発表したいと思います」
新谷副部長が手元のA4コピー用紙に書いたペアの氏名を読み上げていく。皆概ね黙って聞いているが、時折歓喜の歓声や失望のため息が聞こえてくる。実力重視だがたまに相性も考慮したなと分かるペアがある。僅か一か月でそこまで観察したとは、多少の驚きだった。
「真中紫苑」
ついに新谷副部長が紫苑の名を告げる。灯は確信を持ちながらも当落を待つ開票時の議員のような心許なさを味わう。受験でも感じたことのない緊張。拳を握り込む。
「と組むのは、赤石灯」
「よっし!」
灯は思わずガッツポーズしてしまった。驚いた数人が灯に視線を向け、少し恥ずかしい思いをしてしまう。でも、良かった、紫苑と組むのは私だ、紫苑の隣に相応しいのは私だ、これでこのエトワールから離れずに済む。
紫苑は、というと、何も起きていないかのような平静な顔だ。嬉しくないのか、と灯は思った。と同時に、選ばれなかった花への配慮は、と思う。紫苑は超然として涼しい顔だ。
ペア発表が粛然と続行しようとした時、一人が声を上げた。
「あの」
か細く頼りない声。花だった。
新谷副部長は読み上げを止める。「何か?」
「私……私、紫苑ちゃんとペアがいいです」
「……青山さんは紫苑とが良いかもしれないけど、これは部長と副部長の私が実力を基準に組んだペアです。ダブルスのペアになるのは実力が釣り合った者のほうがいい。だから、紫苑とは赤石さんが組みます」
「相性を考慮してくれるんじゃなかったんですか?」
花が食い下がる。引き下がらない。
「青山さんと紫苑の仲が良いことは知っています。その上で、この判断です」新谷副部長の弁舌は淀みない。
「それでも、私は紫苑ちゃんと組みたいんです」
強情だな、とエリー部長の目が言っている。進行を妨げる不調法者に、群衆からちらほら不満げな声が漏れ始める。何なの。副部長の言うことに従いなよ。体育会系の常識、分かってない。
それでも猶、花は引き下がる気配を見せない。そして新谷副部長のほうが強情に折れてしまう。
「赤石さん、青山さんがそう言ってるけど、ペアを組む人としてはどう?」
「花の言っていることは、花の視点だったら理解できるけど、本当に紫苑を思うなら、どうすべきかは歴然自明だと思います。花が聞き分けなさすぎだと思います」
残酷とは思いながら正直なところを喋った。花の我欲も退け難いかもしれないが本当に親友のためを思うならどう行動すべきか。それを婉曲に説いた。
しかし。
「紫苑ちゃんと組めなきゃ、私、サークル辞めます」
花は強情だった。猶我を通そうとする。
「私は赤石さんの言っていることに理があると思うけど?」新谷副部長が言う。
「紫苑ちゃんから選ばれなかったら私、無になっちゃうんです」
ダブルスのペア、誰になるのかしらね。
紫苑はダブルスのペアに選ばれたほうと付き合う。選ばれなかったほうは去る運命にある。だから花は強情を張っている。しかし。花は自分が選ばれなかったのだと、早く理解して認めなければならない。去らなければならない。
花はてこでも動かないといった姿勢で、新谷副部長は説得に攻めあぐねる。どうしたものか、と一度鼻から大きく息を吐き、それから仕方ないとでも言いたげに紫苑のほうを向く。
「ということだけど、紫苑はどうしたい?」
話を振られた紫苑に、皆の視線が集中する。紫苑は落ち着いた表情で、冷静に問い返す。
「私に選択権と決定権があるんですか」
新谷副部長はまだ迷いがあるようにエリー部長を振り返る。エリー部長は「いいよ、それで」と、相変わらず大味なジャッジをする。
「紫苑は、赤石さんと青山さん、どっちと組む?」新谷副部長が問う。
散逸した集中が再び紫苑の上に集う。紫苑が口を開く。
「私は――」
道理を弁えるなら、私だ。長年の付き合いを思えば酷薄を演じづらい面もあるけど、何より自身のために本当にためになる選択をして欲しい。さあ、私を選んで。
紫苑が続きを口にする。「私は――」
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