第4話
「本当によしてくれないか、二人とも……」
落ちた食器、くしゃくしゃのテーブルクロス、ロウソクが欠けた燭台などがふわふわと浮いて、ひとりでにあるべき所へ戻っていく。割れたカップもパズルみたいに組み上がり、綺麗に元の形になった。
悪魔はそれをジ○リみてえ…と口にご飯を溜めながら見ていた。
「元気なのは大変よろしいが、もう良い大人だろう」
「え……? オレ超ティーンだけど」
「見た目だけだろう!! これを言うと私にもダメージが入るからやめてくれ」
テーブルをめちゃくちゃにした罪人①は生ごみを片付けに下がったが、罪人②は我が物顔で新しい料理を頬張っている。
ネフェロマが「お腹がすいたら可哀想だから」と説教中の食事を許可してくれたのだ。彼女は優しいので。
「だって青くんが叩くんだもん」
「報復ではなく対話で進展を図りなさい」
「はあ〜い。にしてもよくあんなキレれんな」
「……慕ってもらえるのは嬉しいが、どうにもな」
ノゾキメは天使が嫌いらしい。強大な力を持つというだけで、“善良で素晴らしい主人”を監視されるのは我慢ならないのだそうだ。それだけならまだしも、その弊害を悪魔も食らっている訳で。
悪魔としては一緒にしないでほしいが、まあ無理もない。パスタをつつきながら「お嬢は愛されてるねえ」と言うと、ネフェロマは黙って苦笑した。
「そういやもう片方は?」
「ああ……。今ちょっと出てもらっているんだ」
ネフェロマの従者は二人居る。もう長いこと、この洋館に三人きりだ。
ネフェロマはきゅっと口を結んで窓の外を見た。悪魔もつられてそちらを見たが、鳥がピチュピチュ飛んでいるだけだ。おそらくもう片方の帰りが予定より遅れているのだろう。
彼もノゾキメ同様死ぬことはないのだから、心配するだけ損だと思うが。相思相愛、麗しいことだ。
悪魔はフォークですくったパスタに口を近づけようとして、ネフェロマの「あっ!」という声にガチンと虚空を噛んだ。
「ッが。何だよ!」
「すっかり忘れていた。悪魔!あの子の様子を見に行ってくれないか」
「あの子って……赤いのぉ? 青いのに行かせろよんなもんよ」
悪魔が言い終える前に、ネフェロマは食卓をダンと叩いた。手ではなく、紙幣で。
500ユーロ紙幣が2枚。日本円にしておよそ13万円、その日暮らしの悪魔にとっては大金だ。悪魔の喉がゴクリと鳴る。
「ノゾキメは書庫の整理を頼んでいるんだ」
「……」
「話くらいは聞いているだろう? 近頃の失踪事件。事件自体の解決もそうだが……私は人外の類いの犯行と踏んでいてね。野放しにすると天使に消されてしまかねない。私の目の届く範囲での“抹消”はなるべく防ぎたいんだよ」
「……お優しいこって。それで赤いのに調査に行かせたと?」
「そういうことだ」
「で、これは?」
「トリノまでの交通費だ。おつりは取ってくれて構わん」
ネフェロマはテーブルに左手をついて、悪魔の顔を覗き込むように迫った。悪魔は黙って1000ユーロを見つめている。
失踪事件。先ほど情報屋に聞いたやつだろう。異例とは聞いていたが、まさか飢えた
ネフェロマの話すとおり、超自然的な存在が世界の均衡を乱すほどの動きをすると、天使による“抹消”が下される。大量殺人だとか、人為的な気候変動だとか。天使はそういう腐敗物を取り除くためのピンセットと考えていい。
つまりこの事件、下手をすると悪魔と天使の両方を敵に回しかねないのだ。
「金で買うために呼ばれたのか。悲しいねえ……」
「う。す、すまない。君はこれくらいしないと動いてくれないだろうと」
ネフェロマは心細そうに目をそらした。悪魔はそれを横目で見て、溜め息混じりに立ち上がる。
そしてネフェロマの肩を叩き、片眉を上げて笑った。すごくカッコいい顔だった。
「いいぜ、オトモダチだからな。アンタのペット助けてやるよ」
「殺せーッ!!」
悪魔は地下闘技場に居た。ネフェロマに託された1000ユーロは全額賭けたので手元にない。リングで血を流す屈強な男二人に、缶を投げ、瓶を投げ、靴を投げて熱狂する人々に混じって、「死ねー!」「ブチ殺せーッ」と野次を飛ばしていた。
悪魔は見事に大勝ちしたが、地上に出た頃には日が暮れていたし、増えた金にニコニコするだけでトリノに向かう気もなかった。この女はクズなのである。
大切な従者のためにと渡された友人の金を非合法のギャンブルに注ぎ込んだ悪魔は、上機嫌でタバコを買って夕焼けを眺めた。たったの1000ユーロぽっちで危険に飛び込むなんてどうかしている。世界はこんなに綺麗なのだから─────
これからバーで呑むかカジノに行くかの2択を考えながら橋の上でぼんやりしていると、頭上で街灯が灯った。
暗くなるとこの辺りは物騒だ。悪魔は明るい街へ向かうためその場を離れようとして、立ち止まる。数メートル先の街灯の下に誰かいる。
ゴシックロリィタのようなドレスを着た少女だった。遠目だと人形がトンと立っているように思えたが、人間だ。歳は10歳前後だろうか。少女は艶のある黒髪に淡いスポットライトを浴びながら、悪魔に横顔を見せて立っている。
悪魔は「死人だな」と思った。貴族みたいな格好の子供が一人で居ることも不自然だが、それ以前にあちら側の気配を感じたのだ。だが少し妙だ。ただのゴーストなら悪魔も素通りするところで、足を止めるには値しない。
おそらく、あの霊には肉体がある。
「!」
少女の真っ白い顔がこちらを見た。それだけで空間はドイツ製のホラー映画のように冷たくなり、モノクロになる。
悪魔はまずい、と思ってフードを深く被り直した。目が合ってしまった。
しかし、少女はカツコツと小刻みにヒールを鳴らして近付いてきた。明かりを離れた少女の姿は一旦闇に沈み、目の前の街灯の下で再び現れる。
「あなた、このあたりの人?」
「……」
無視できない距離まで来てしまった。返事をして良い類いの霊か悩んでいるうちに、少女はもう一度問う。「あなた、このあたりの人?」
「……。ああ」
「そうなのね! ああよかった。わたし帰り道がわからなくて困っていたの。地図を書いてもらえないかしら」
美しい少女はうれしそうに両掌を合わせた。顔も声もあどけないが、ここまで自我がはっきりしているなら強力な悪霊なんだろう。
悪魔は結局面倒に巻き込まれたなと虚空を見つめた。
「……お嬢ちゃん、どこの子だ?」
「ええと、フランスなの。ニースのあたりなのだけど……」
「パパとママは?」
「……。いないわ。居なくなっちゃったから」
当たり前である。例え親が生きていても聖水を撒かれるだけだろう。
しかしイタリアとの国境付近とはいえ、随分遠いところから来たらしい。悪魔は少し考えて、少女のブルーの目を見た。彼女に合わせて僅かに膝を屈める。
「そうか。その距離女の子一人じゃ危ねえな。案内するから、オレと一緒にバスで帰らないか?」
「え!… いいの? ええと」
「あー、悪魔さんでいい」
「あくまさん……。変わったお名前ね」
悪魔はニコリと微笑んだ。少女も頭上にハテナを浮かべて笑い返す。
…悪魔は少女を食ってやろうと思っていた。生きている人間を襲えば死体の隠蔽が付いて回るが、死人はその必要がない。どうせ面倒事なら得をしてやるという腹積もりだ。
それに今日は人間の食べ物しか食べていないし、悪霊ならちょいと厄介なぶん腹は満ちるだろう。つまるところ悪魔は空腹だった。
「わたし、アドリーヌよ。よろしく悪魔さん」
「そうか。よろしくな嬢ちゃん」
名前など覚えるわけがない。どうせこのあと胃におさまるのだから。
腹一杯になったらフランス観光も悪くないな、と考えつつ、悪魔は差し出された手を取った。小さな手は死人の温度がした。
ポラリスの噓 鮭 @takanehigan
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