第2話


 正午、お利口にきっかり90°移動した太陽を見て、夏の始まりを思い知る。

 少女、改め悪魔は憂鬱だった。羽根と角を隠すためにフード付き且つオーバーサイズの服でしか外を歩けないのだ。真夏だろうがそれは変わらない。

 律儀に人間様を気遣って暮らすのが馬鹿らしくなってくるが、彼らの形成した社会で生きていくには必要なことだ。人が健やかでなければこちらも食うに困るので。

 たまたま選んだ拠点が冷涼なミラノ近郊だったのは、彼女にとって少しの救いだ。


 そんなわけでいつも通り、赤いパーカーのフードを深く被り、大きめのスニーカーで道を踏み締めて行く。

 目的地は路地裏の入り口に構えている屋台だった。この通りは建物の陰になって昼も薄暗い。屋台にはご立派に『panino』と看板が出ているが、こんな小汚い店でサンドを買うバカはそういないだろう。


「シュガー。オレだよ」


 悪魔が買いに来たのは情報だ。コンコンとカウンターを叩くと、数秒おいて内側からハンチング帽が現れた。人の頭だ。


「また寝てたか情報屋パニーノ屋。今日も大繁盛みたいで何よりだ」

「…おかげさまでね……。」


 『情報屋』はカウンターに両腕を預けて目をこすった。鼻の上のそばかすで幼く見えるが、年齢は20代半ばだろう。肩まである赤毛は後ろでまとめられ、帽子を被るとぱっと見短髪に見える。

 彼の性別は知らない。本人曰く「怖い人に絡まれたら女になるし、襲われそうになったら男になる」らしい。絶妙に中性的な顔立ちをしているので、悪魔も見破れたためしはない。特段興味もないが。


「おはよういい日だな。仕事ある?」

「定職つきなよ」

「定職って言葉聞くとじんましん出るからやめてくれるか?」

「病院行きなよ」


 情報屋はのろのろした動きでタバコのケツを弾き、飛び出した一本に火をつける。仮にも飲食店を名乗っている自覚はあるんだろうか。ないだろうな。

 情報屋はタールを深く吸い込み、半開きの口から吐き出した。


「仕事ね〜……。最近このあたりで人が消えててさあ。警察に情報提供したら謝礼金出るらしいけど」

「やってられるか」

「まあ正直大した金額じゃない」

「人間消えるのなんていつものことだろ?」

「今回は異例らしいよ。トリノを中心に若い男ばっかり消えてんだって」


 君も気を付けなね、と言って情報屋は煙草を咥える。ここからの話は有料ということらしい。

 悪魔はトリノか、と思ったが、特に気にならなかったので相槌だけ返した。


「あっ、ていうか君ね、昨日また業者殺したろ」

「……あ〜」

「ああじゃない!」


 情報屋は肩をいからせて煙草で悪魔を指した。

 悪魔はグルッと黒目を上に向け、両手を上げて「降参」のポーズをとる。


「誰が仲介してると思ってんだよ。万が一ネーラファミリーに喧嘩売ったと思われたら……」

「ビビりすぎ。んなことでマフィアが出てくるかよ」

「自衛のためにビビってんの。僕は」


 性別を明かさないことといい、裏社会で生きていくには正しい心構えだよなあ、と他人事に思う。まあ腹が減れば構わず殺し続けるのだが。悪魔は戸籍がないのでいくらでも逃げられるし、万が一の時ボコボコにされるのは情報屋一人だ。

 すると、ヴーッと音を立てて情報屋のポケットが振動した。一度だけだったので電話ではないだろうが、情報屋は「ちょっと」とスマホを取り出して確認する。そして顔をしかめた。


「え? なに……なんかメール来た」

「性病治療のすすめ?」

「違う!! なんだこれ何も書かれてない。知らないアドレスだし」


 情報屋は眉をくにゃっと器用に曲げて画面を凝視し、一瞬悪魔に視線を送った。見ろということだろう。カウンターに身を乗り出して情報屋のスマホを覗き込むと、簡潔だが確かにメッセージは書かれていた。空メールではない。

 隣を見ると情報屋はまだウンウン言っているので、どうやら悪魔にしか見えないらしい。

 悪魔は「魔法か」と思いながら無表情で文章を追い、カウンターから離れた。


「ま、イタズラだろ」

「えー……。なんかの暗号だったりしない? 不気味だな」

「実害ねえんだから気にすんなって。じゃあな情報屋」

「えっ、仕事は?」


 緑の目をぱちくりさせる情報屋に、悪魔は「アテができたからいい」と軽く手を振る。

 あのメールは悪魔宛てだった。差出人は知り合いだ。最近悪魔が携帯を紛失したので、代わりに近くの端末を介して連絡してきたのだろう。無論人外だが、高確率で飯を奢ってくれる人物なので悪魔としてはラッキーである。

 何やら突然ウキウキしている悪魔に、情報屋は納得のいっていない顔で「へえ」と小さく呟いた。短くなった煙草を灰皿に押し付けて消す。


「……あのさあ」

「んだよ」

「もう2年くらいの付き合いなんだし、いい加減『情報屋』ってのやめない? 僕自己紹介したことあるよね? 君もそろそろ名前くらい教えてくれてよくないかな」

「じゃあアンジェラ」

「嘘すぎる」

「オレ昔天使様だったからさ……」

「君が天使だったらみんな天使だろ」


 情報屋は諦めてシッシと手首を払った。

 …自分の固有名なんか考えていないし、たかが80、90年で死ぬ生き物の名前いちいち覚えるわけねーだろ。と思いながら、悪魔は綺麗に微笑んだ。


 まあ、『昔天使だった』は、嘘ではないのだが。



 悪魔は小汚い素敵な通りを離れ、街に出た。昼間のミラノは明るく、早足のレディや電話をしながら歩く男性、車道を走るスケボーなどが行き交っている。時間帯が時間帯で背丈の低い悪魔は少々浮いているが、人が振り返るほどではなかった。

 角を曲がった時タバコ屋が目に付き、そういえば切れていたっけなとパーカーのポケットを探る。が、小銭やら何らかの紙やらで埋もれていて探りづらい。立ち止まって斜め上を見ながらゴソゴソやっていると、悪魔の腹あたりに何かかぶつかってきた。


「あっ……ごめんなさい」


 子供だ。女の子。スクールはどうした?と思ったが、周りを見渡すとちらほら小さいのが見える。今は1時過ぎだが早めの下校時刻らしい。

 悪魔はすまなそうに見上げてくる少女をキュッと細めた目で見つめた。…このガキ、碧眼だ。よくある灰青ではない、病気の空ように真っ青な瞳。


「平気だよお嬢ちゃん。怪我はない?」

「うん」

「これをあげよう、気を付けるんだよ」


 悪魔は魔法で手元に花を出して、少女に渡した。少女はそれを手品と思ったようで、わっとはしゃぎながら受け取り、「おねえちゃんありがとう」と横を走り抜けて行った。

 見送りながら、悪魔はようやくくしゃくしゃになった箱を探り当てる。煙草は2本残っていた。店には帰りに寄ろうと思い、メールを寄越した知り合いが指定してきた路地に入っていく。


 悪魔の背中の少し先で、先程の少女が立ち止まっていた。悪魔にもらった花がぶるぶると震え始めたからだ。次第に振動は大きくなり、うまく花を持てなくなってきた少女が不思議そうに花を覗き込んだところで、それは爆ぜた。パアン!という爆音が空気を割る。爆発は少女の頭と肘から先を巻き込んで、そこから大量の血液が飛散した。最初の悲鳴が上がると同時に、首のない少女が道に倒れ込んだ。


「うわっ」

「キャーッ」

「えっ?」

「救急車! 救急車!」


 めいめいの悲鳴を背中で聞きながら、悪魔はクツクツ笑って煙草に火をつけた。サプライズ。久々に良い気分だ。

 鼻歌まじりに路地を進み、ずいぶん道が狭くなってきたところで、このあたりかと足を止める。この辺の壁に『入口』があるはずだ。知り合いのところへはこれを吸いきってから行くことにして、遠くの騒ぎをBGMに煙を吐き出した。その時だった。


「悪魔さん」


 聞き覚えのある声だった。綺麗でよく通る女の声。

 ……スッキリしたばかりなのに、最悪だ。が来てしまった。


「……。チャオ、天使様。」


 悪魔は引き攣るこめかみを自覚しながら、たっぷり溜めて振り向いた。

 案の定、そこには忌々しい『天使様』が立っている。いや、足首から先がないので浮いているというべきか。美しい金色の御髪を肩まで伸ばし、修道服のようなのものに身を包む、端正な顔立ちの女性。片目は前髪に隠れているが、左の瞳は青色だった。

 病気の空のような真っ青が、こちらを見ている。…


「先程の行為は必要のない権限行使です。ご忠告に参りました」

「カタいこと言うなよ、ちょっとしたお遊びだろ?」

「生存を目的とした行動以外での殺害は控えるよう、お願い申し上げます」


 相変わらず人間と話している気がしない。人間ではないし、そもそも生き物ですらないのだが。

 こいつら天使は歯車だ。一丁前に天使と銘打っちゃいるが、そんな神聖なものではない。ただ世界の均衡を守り、円滑に回すためだけの部品。だから感情も表情もあったものではないし、死や生すら存在しない。


「加えて、貴女は必要量以上の“食事”を行なっているご様子ですので、そちらも厳重注意とさせて頂きます」

「おいおい、人間にだって嗜好品ってもんがあるだろう。オレらはオヤツ禁止ですってか?」

「貴女がたは生物としての枠を貸し与えられているだけです。ご自身がもともと存在するはずのない生き物であるということを、お忘れなきよう」

「……はは……」


 悪魔はまだ長い煙草を口から落とし、スニーカーですり潰した。人間に擬態している時なら殺しようもあるが、今は実体のない姿なのでどうしようもない。

 機械みたいに不快な言葉を吐く口を引き裂いてやりたかった。首を掴んで、目を抉り出して、それから……。

 カリ、カリ、と悪魔が自分の指を引っ掻く仕草に目もくれず、天使は言うだけ言って「それでは」と消えてしまった。黒い地面に光る残穢が残り、やがてそれも消える。


「……」


 苛立ちでキーンと耳鳴りがした。遠く聞こえる人の声やサイレンも、今や不快でしかなかった。

 悪魔はもう一度「ハハ」と笑ってから、空き缶を思い切り蹴飛ばした。


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