アンスリウム
軍艦 あびす
アンスリウム
最近、ふとした瞬間に気付く。
自分の笑顔は、模造品。
先日、アルバイト先の喫茶店でお客様に商品を運んだとき。こちらを向いた赤子が急に泣き出したのは流石に心が痛んだが、やはり分かる人には分かるらしい。
人との関わりを無理に形成しようとする、壊れた表情というものが。
寿命の近い蛍光灯が無理をして光るとき、チカチカと繰り返す点滅は気分の良いものではない。恐らく、それと同じような感じなのだと思う。
「槙原、今日はもう上がっていいぞ」
店長の言葉に、身を反転させる。時計の短針は七と八の間を差し、窓の外は既に闇を迎えていた。
「店閉めるには早くないですか」
いつもは、こんな早くに退勤するような事はない。聞かされていたわけでもないので、疑問だけが根を張る。
「お前、ニュース見てないのか。また感染者が増えて、今日から時間短縮の要請が出てる」
「あれ、そうでしたっけ」
無知を露呈したことは恥に思うが、ここでもやはり、表情を作る。まるで微動だにしない、鉄仮面のように。
「んじゃ、お疲れ様です」
「おう、気をつけて帰れよ」
初老を迎えた辺りの店長は、妙にダンディーというのだろうか。そういう風貌をしている。喫茶店というよりバーとかにいそうな、割と厳つい顔つきだ。失礼だとは思っていながらも、どうしてもそういった思考は生まれてしまう。
ふと、背後から扉の鈴が鳴る。同じく店を後にした、先輩の姿。
「お、マッキー発見」
「なんすか、木野先輩」
大学二年目の木野真由香。ふざけた様子の絶えないバイトリーダーが、素っ頓狂な顔を覗かせている。
「早く終わったんだしメシ食いに行こうぜ」
「話聞いてましたか。要請で店閉めてんすよ、どこもかしこも」
全く、ここ近年ではふざけた世間になったものだ。なんだかんだと次々に苦労を強いられる日々には、ため息を落とすしかない。
「いやー、探せばあるっしょ」
「それ以前に高校生連れ回すのどうなんすか」
そもそも、この時間帯に営業しているのは明確なルール違反。そんな店に信頼を持っても良いのだろうかと考えていたのだが、そんなこともお構いなしに、木野に連れられるまま街の中を散策する。
「木野先輩、法務やってるんでしたっけ」
「おー、そうそう。別に弁護士だとか目指してるわけじゃ無いけどさ、ああいう向いてるって勧められて」
果たして、本当にそうだろうか。正直あまりそうとは思えないのだが。
「ん、あの店やってんじゃね」
木野の指差した先には、ギラギラとネオンの光る店舗が構える。見た感じ、焼き肉だろうか。
「あんま時間もないですしあそこにしましょうよ」
「せやな」
別に関西出身でもないくせに。
要請を受けているのは、店だけではない。客も客として自重した末に行動しているのだ。つまり、今の自分はイレギュラーということになる。感染を恐れてか、他の客はほとんど居なかった。自粛というものは最終的に自己判断といえど、悪いことをしているようで微妙に気分が悪い。そんなことを忘れるために、一刻も早く肉を食べて店を出よう。
「おいマッキー、なにカルビ焼いてんだ。最初はタン塩だろ」
「なんでもいいじゃないですか。腹減ってんすよ」
「若いなぁお前。私はもう胃袋がそんなに頑丈じゃないからあっさりしたのから行きたいんだよ」
「年寄りみたいっすね」
煙が舞う一角の座敷席にて。下らない談笑の末に、運ばれた肉たちを網の上で転がし始める。
「で。マッキー最近どうよ、学校とか」
「なんすかいきなり」
白米を頬張る木野は、にやにやとした目つきをこちらに見せる。一体、何を期待しているのだろうか。
「いやー、あそこで働き始めてもうすぐ二ヶ月くらいじゃん。生活に支障出てたりしてないかなって」
確かに、稼ぎを求めて手当たり次第に応募したアルバイト。唯一採用された喫茶店に勤めて二ヶ月が経とうとしているが、だからなんだという話である。
「別に大丈夫っすよ。俺、なんか心配させるようなことしてましたか」
タン塩を抜け出し、ようやく互いにカルビとロースを並べ始める。
「いや、心配っていうかなんつーかな」
木野は言葉を詰まらせる。なにか、いつものふざけた雰囲気が途端に気配を消した。
「マッキー、最近無理してんじゃねえかなって」
「俺、なんかおかしかったすか」
「まぁ、気のせいかも知れないけどな」
その言葉を遮るように、野菜が次々と運ばれてくる。最初にタン塩に手をつけなかった自分が言うのも何だが、やっぱりこの店、順番が色々とおかしい気がする。
時間のかかる野菜の類が既に焦げを見せ始める頃。店内では、相変わらず静寂の中に火の音が響いている。
「さーせん、生ひとつ」
「え、飲むんですか」
店員に向けられた酒の要望が響くも、自粛要請と共に酒類の提供時間を超えているらしい。店は開けているのに、こういうところだけには律儀なのだなと死んだ目する。
「あ、タマネギ焦げてますよ」
「うわマジか」
急いでタレへ浸されたタマネギは、何故か表面だけが焦げて中身は生焼け。あまりこういう店には来ないので、ちょうどいい焼き加減がわからない。
「んで、さっき話してたの何だったんすか。俺が無理してるとか」
「いやなんつーかな。お前の営業スマイルめっちゃ硬いから日常生活でも使ってるならやべーやつだなって思って」
「なんか先輩とことん失礼ですよね」
曰く、作っているのが分かり易すぎる。というらしい。店長や他のバイトも少し気にしていたらしいが、一生懸命に見つけた方法だというなら尚更指摘しづらいと。
だというのにヅケヅケと語りかけるのは、多分木野先輩だからこそ出来たことだろう。この人に言われると、何故かあまり悪い気はしない。
「接客だから無理して笑顔作ってる。なんて言ったら仕方ねえかもしれないけどさ。学校でしょーもない話聞いてる時もそれしてたらめっちゃ嫌なやつだからな」
「なんかめっちゃ失礼なこと言われてるのにぐうの音も出ねえっすわ」
実際、自分でも下手な覆面だとは思う。それでも、素を出して生活するよりはマシだと思っていたから。
だが、他人から指摘されるなら考えは変わってしまう。思い返せば思い返すほど、自分を愚かだなと一蹴したくてたまらなかった。
「私も同じようなことしてたからさ、わかるよお前の気持ちとか」
烏龍茶を飲み干し、虚な目でホルモンを焼きながら唐突に語り始める。どうやら、二人での焼肉パーティは終盤を迎えたらしい。
「他人によく見られたい、自分をよりよく評価して欲しい、おかしな奴とか思われたくない、人並みでありたい。それそんな大事かな」
煙の向こう側で、盛られた白米にとどめを刺す木野。最後の肉を網の上で転がして、ため息をついた。
「なんか語りたそうですね」
「まあな」
互いにホルモンを頬張り、ちょっとの贅沢をした夕飯を終える。マスクを付け直して、会計へ向かった。
「あぁ、私が払うからいいぞ」
「何言ってんすか。割り勘でしょうよ」
「無理すんな高校生」
「ご馳走様でした」
「どしたテンション低いな。胃もたれでもしてんのか」
「なんか先輩に奢ってもらうのすげー葛藤があったもんで」
「こういう時は素直に従っといた方が得するぞ少年」
夜の街を並んで歩く、不釣り合いな二人組。ないとは思うが、知り合いには会いたくないなと思ってしまう幼心がまだ秘められている。
「お前が入ってきたすぐ後にバイト辞めた前田ってやついたじゃん」
「なんすか急に」
悪趣味なネオンの煌めく独特な匂いをした街の中、木野は星のない空を見上げながら口を開いた。
「あれ私の元カレなんだけどな」
「え、まじすか」
正直、不釣り合いだなと思ってしまった。率直に語ると、ガキの目線から見ても木野はそこそこ良い顔立ちをしている。あの冴えない男と並ぶ姿は、想像が出来なかった。
「あの頃の私は調子乗ってあれしたら可愛いかな、こうしたら気に入ってくれるかなって、テンプレートを演じまくってた。今のお前みたいに」
先程語った、同じようなこととは、これだったのかと。あと、割と乙女な感じで調子乗ってる木野は想像できなかった。
「そしたら、偽ってばっかのお前とはやっていけないって言われた。LINEもSNSもブロックされて、気付いたらバイト辞めてた」
なんか、結局誰が悪かったのか分からない話だ。前田の沸点が低いというのも納得せざるを得ないが、まあ偽られたまま交際されるというのも辛いのかもしれない。経験ないから知らないが。
「でも、これで良かったのかもな。後から同じ大学のやつに話聞いたんだけど、アイツ身体目当てのクソ野郎だったらしいし」
「じゃあ前田が悪いっすわ。つかこれなんの話でしたっけ」
話が綺麗にまとまらず、その辺にこぼれ落ちたような起承転結。何故この話をしようと思ったのか、よく分からなかった。
「私も何の話してるのかよく分かんなくなった。愚痴出ると止まらない性格なんだよなぁ」
「ですよね」
「まあつまり私が言いてえのは、なんつーか、そうだ」
木野は立ち止まって、両肩を掴む。突然のことに驚いて、身体を震わせてしまった。恥ずかしい。
「あんま自分を偽りすぎんなよってことだな。私も気色悪い笑顔してるお前より、素で毒吐いてくるお前のが好きだから」
「先輩、それどういう意味ですか」
素の自分はそんなに毒舌だったかな。なんて、どうでもよくなるような。あんな話を聞いた後に、それは流石にないだろうと自分で思いつつも。
「あー、いや、なんでもない。ちょっと飲みすぎたなー」
「一杯も飲んでないでしょ」
アンスリウム 軍艦 あびす @a_gunkan
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