第6話  西のアバンギャルド 関東学院大学

 V.3.2

  関東における東のパンクというか、シュール・リアリズム、日本風に「写楽している」と言えば、青山学院大学。現実というものに、ちょっと捻りを加えることで、より(楽しい)現実感を現出して見せてくれます。

 また、北の立教大学は「鏡に映る現実」という、ちょっと違った捻り方のリアリティで楽しませてくれます。


 そしてこの10年間、西でその存在感を温めてきたのが、浜っ子(横浜っ子)・ハマトラ(横浜トラディッショナル)の関東学院大学です。

 10年位前、この学校の日本拳法部のブログに「毎年の忘年会は横浜にある、昭和21年(1946年)創業のセンター・グリルという洋食屋で開催」と書かれているのを見て、「自由な校風の割には、こだわりのある学校だな」と、感じました。

 (私は子供の頃、祖父に連れられて何度か、浅草のヨシカミという昭和26年創業の洋食屋に行ったことがあり、最近までそこが洋食屋では日本で一番古いのかと思っていました。洋食屋:高級ホテルの洋食ではなく、一般大衆が気軽に食べれる洋食。)


 なにしろ、こちらのブログは、社会人の方が執筆(作製・更新)されているのだと思うのですが、会社(ビジネス)で行うプレゼンテーションの趣きがある。情報というもの(現実の姿)が、ストレートに受け手に伝わるような、という意味で「リアリティのある」ブログです。

 そして、「自由な校風」というのは、昔、こんな話を聞いていたからです。


 わたしが鎌倉にいた頃、関東学院六浦高等学校に通う、ある植木屋さんの息子、鳥井亮(仮名)君の修学旅行(北海道)の話を聞きました。私がミッション系(キリスト教)の学校に対してあるイメージを持つようになったのはこの時からです。


 週末はいつも、植木屋さんの父親と一緒に神社仏閣で剪定作業、週日も剪定した木や枝の整理で、部活はおろか学友たちとの交流もほとんどできなかった彼にとって、三年生の夏休みに予定されていた修学旅行は、彼の高校生活唯一の楽しい思い出になるはずでした

 しかし、お母さんの急病・入院等で急な出費がかさみ、旅行代金6万円のうち半分しか工面できないということになったのです。北海道まで行く飛行機代が不足なのですが、そこで彼は担任の先生に「北海道まで自転車で行き、そこで皆と合流して修学旅行に参加したい。」と、申し出ました。

 これが公立学校であれば、間違いなく却下。奨学金を始め、公営の金貸し屋を紹介して無理矢理、金を借りさせるところですが、さすが個人の自由、人間の自主性を尊重するミッション系(とは、わたしが勝手に思ったことです)、すぐに職員会議が開かれ(また、鳥井君の御両親とも相談し)、校長以下全職員が鳥井君に協力することになりました。


(イエス・キリストというユダヤ人は、神殿の中で金貸し業をやるパリサイ人という、がめついユダヤ人の一派を嫌い、彼らの店に一人で殴り込みをかけ店員たちに蹴りを入れて店を叩き壊し、その回数は5回にも及んだそうです。

 そこまで「えげつなく」人間としての正しい在り方・究極の真理を追究したがために、イエスはパリサイ人のプロパガンダ(大衆扇動)によって悲惨な死に方をしましたが、それ故にこそ、真理(神様)の仲間に入ることができた、というのが私のイエス・キリストというものに対する理解です。

 しかし私は、「イエスという野郎はたいした男じゃねえか」と、感心はしますが、彼を救世主とか神と見なして崇拝するとか、お祈りを捧げることはありません。 → 「キリスト教徒」ではないということです。)


 さて、彼が鎌倉-北海道を往復する約二週間プラス北海道での旅行期間のあいだ、職員室はもちろん、校長を始め数人の教師の自宅が緊急連絡先となり、交通事故等の非常事態に備えました。せっかくの夏休みというのに、教員たちはガソリンを満タンにした車と供に自宅で待機したのです(まだ携帯電話がない時代)。


 鎌倉を出て一週間後、鳥井君は無事、青森まで走り抜き、青函連絡船で函館に渡り、学友たちとホテルで合流しました。そして、北海道での楽しい思い出を作ったのち「学校でまた会おうぜ」という声援を背に受け、再び自転車で鎌倉まで帰りました。


 私がこの話を聞いた当時、彼はすでに一人前の職人となり、結婚して一児の父親となっていました。そして、節約家の彼らしく、毎日のご飯は薪で焚いていたそうです。植木屋さんですから、剪定した木を庭に集めて乾燥させ、それを使って煮炊きをしているというわけです。

 わたしも京都の僧堂時代、二人がかりで大きな鋸(のこ)を挽いて太い木を切り、斧で薪にして一年間乾燥させ、それを使って大きな鉄釜で飯を炊いていましたが、これくらいうまいものはない。鳥井君は、その意味では(お金はなくても)贅沢な暮らしをしていると言えるでしょう。


 もちろん、こういうことは中大付属とか、日大附属○○高校といった非ミッション系の高校でもあり得るかもしれません。また、関東学院六浦高等学校にしても、時の校長先生や職員が違えば、別の裁可が下されたかもしれません。

 しかし、この話を聞いた時、なんとなく「さすがミッション系 → 個人の自由を尊重する校風、なんだな」と、思ったのです。


 私は(知識・教養としてなら別ですが)宗教としての仏教やキリスト教には興味がありません。宗教とは血の混ざった民族が、そのバラバラの精神を統合し一体感を味わうための幻想(心のより所)であると思っているからです。

 日本人は宗教や思想などなくても、濃い日本人(縄文人)の血によって一体感を持てる。血がバラバラなのに「世界は一家、人類は兄弟」なんてことはあり得ないのですが、日本人(縄文人)同士は間違いなく血のつながった親戚なのだと思います。(しかし、日本人同士という安心感から、国家としては外国に欺され、韓国人や台湾客家たちのプロパガンダによって、徐々に日本人(縄文人)性を失いつつあるわけです。そういう意味では、戦後の日本人のおかれた状況とは、ドイツ人(ゲルマン民族)とユダヤ人の関係によく似ています。)


 ただ、日本のミッション系の学校とは、外国のその手の学校とはずいぶん違った「日本人としてのつながりの強い校風」なのかもしれません。


 中国人が言うには、中国以外の国で日本だけが漢字を完全に消化・吸収できたのは、日本人(縄文人)にしっかりとした文化が存在してきたからだ、と。

 ですから、中国の漢字を日本流に消化したように、キリスト教という宗教も日本人の感性や知性、理性や特性に適したものにできるはずです。

 実際、そんな日本人(縄文人)は、キリスト教という世界標準のものの考え方を完全に消化吸収し、学校教育に生かしている。「関東学院六浦高等学校の話」などまさにそれで、日本人的なるものとキリスト教的な考え方がうまく合致したからこそ、あんなに気持ちのいい話が生まれた、といえるのではないでしょうか。


 さて、この関東学院大学日本拳法部ですが、

 ○ こだわり

 前述のように、納会は必ず決まったお店でやる。

 40年前の私の学校の場合、新歓や納会の場所は行き当たりばったり、バラバラでした。これは心理学的に「帰属意識が育たない」といいますか、せっかくの「自分たちの大学」という意識を持つ機会を無駄にしている、ということなのです。



 ○ 日本拳法を楽しむ

 日本(縄文)人ならでは、とでもいうべき「どんなに辛いことでも楽しんでしまう心」から生まれた「本当に殴られて痛い、面をつけて苦しくて辛い日本拳法」を楽しんでしまおうという、前向きで明るい精神を、この学校もまた、地道にコツコツとやられてきているようです。

 部員が一人のときでも、毎年OBが集まり「関東学院大学日本拳法選手権」なんていう大会を開催し、自分たちの中で拳法を楽しんでいる。格好ばかりでなく「本当に日本拳法をやること」を心から楽しんでいるから、今大会の集合写真にしても実に楽しそうです。


 そして、何と言っても浜っ子らしい

 ○ センス

 以下の二枚の今大会終了後の集合写真を見れば、如何に彼らの感性が「横浜風」かわかります。

 一枚目の、5人の選手の写真なんて、安っぽい韓国あたりのアホ面歌手のグループが、本当にイモとしか見えないくらい、垢抜けています。

 ファッションといい、ポーズといい、そして、床に映る彼らの手の影といい、「負けちまったけど、仕方ないじゃん、ベイビー」という、なりふり構わず必死になれる・のめり込めるノリの良さの一方で、さばさばしている・カラッとしているという、彼ら横浜トラディッショナルの雰囲気(スタイル・ポリシー)とセンスがよく出ています。


 http://blog.livedoor.jp/sanyo_kenpo/


 https://livedoor.blogimg.jp/sanyo_kenpo/imgs/4/4/4470d3ec.jpg


 https://livedoor.blogimg.jp/sanyo_kenpo/imgs/9/5/959545c0.jpg


 https://livedoor.blogimg.jp/sanyo_kenpo/imgs/9/5/959545c0.jpg



 この一枚目の写真は、今年(2022年)どんなに美しい・楽しい写真が各大学のブログに掲載されたとしても、色あせることはないでしょう。

 楽しさ、センス、ノリの良さと、3拍子揃っているからです。


 肝心の日本拳法ですが、ライブ映像を拝見するかぎりでは、イケ行けで・攻撃的で・個性が良く出ていて、やはり「関東のストレート拳法」のようです。

 彼らのブログに「監督のポリシーが、部員全員によく浸透して」とありましたが、そんな監督の元で、青春を思いっきり燃焼させることができるのは、なによりも幸せです。


 (私事ですが、数年前に亡くなった同級生三堂地君の葬儀でのこと。 会場には小中高大、そして社会人時代の「故人の思い出の品々や写真」がたくさん展示されていました。しかし、

 大学時代の日本拳法部の写真が一枚もない ! 

 大学生になっても(監督をやりながら)続けていた、地元野球チームの写真ばかりなのです。


 お棺に花を入れて最後のお別れをする時、私は涙が止まらなかった。前に会った50周年式典の時には丸々と太っていたのに、今は(闘病生活のためか)すっかり痩せ、冷たくなった彼の額に手を当て「おまえ、そんなに(40年前の)東洋大学日本拳法部が嫌だったのか」と、心の中で呟きました。

 私の場合、先輩がアホでも監督にポリシーがなくても、自分の了見で楽しむことができましたが、内気で生真面目な彼は、鬱々とした4年間の日々をじっと耐えていたのでしょう。)


 閑話休題

 さて、関東学院大学日本拳法部さんの試合ビデオですが、

「この野郎、ぶっ飛ばすぞ」という激しい気迫が現われています。対・立正大戦、特に先鋒の選手なんて、肩を怒らして前へ出るその歩き方自体、明治の火の玉小僧に匹敵するくらいの凄み・迫力がありました。

 が、そこはやはり大学開始組ゆえ、肉体的な鍛錬の時間がなかなか取れないので、その強いガッツ・旺盛な闘争心にいまひとつ身体がついてきていない ?


 しかし、浜っ子という、変な伝統とか常識にとらわれない闘争精神は「正月のラグビーは伝統の早・慶・明戦」という、マスコミによって作られた、あの宗教じみた観念をかつて打ち破った関東学院大学ラグビー部と同じでしょうから、あとはそれに見合う心と身体の連携力だけでしょう。

 鎌倉の鳥居亮君のように、毎日、自転車で鎌倉霊園を抜けて六浦まで行って帰る(山・ものすごい坂道です)という鍛錬をされれば、1年で、みなさん「明治の木村」になれるかもしれません。


 部員一名から不死鳥のように甦り、いつの日か、東日本の決勝リーグで優勝を争うなんていうのも、さぞ楽しいことでしょう。


 2022年 5月25日

 V.3.2

 平栗雅人

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2022年5月15日 日本拳法 東日本リーグ戦観戦記 @MasatoHiraguri

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