第5話 あとがき

 V.2.5

 今大会では、明治の火の玉小僧や、自由な校風そのままに縦横無尽に突撃する青学の突貫小僧たち、そして、どんな相手に対しても礼を以て戦った(手加減せずに全力で戦った)明治キャプテン、また、怪我をした選手やその仲間と一緒に悲しみながらも、コーチとしての品位を失わなかったその姿、青学女子の美しくも気丈な声援(清水次郎長の妻・お蝶)と、それ(気魂)をそのまま日本拳法にしたような試合、等々、日本拳法的なる精神をガンガン感じることのできた「見どころ」満載の大会でした。


 そして、なんと言っても、今回私が一番「得した」と思ったのは、言葉では知っていた「徳」というものを、今回、日本拳法で見れたことでした。

 徳と言い、親切とか優しいとかではなく、何事につけても(真の)思いやりがある、ということ。

 明治のキャプテンの、相手がどんなに格下であっても、全力・迅速に勝負をつけようとする姿こそ「徳」といえるでしょう。なんとなれば、無償で他の大学の人にも「これこそが正しい日本拳法」と、身を以て「正しいもの」を見せて(教えて)くれたからです。

 誰に対しても礼と謙譲の精神で接し、感謝されるもされないも関係無しに、無心で淡々と、人を徳育し良き感化と心からの感銘を与えてくれました。

 これぞ徳、真の平等であり、(雑種ではなく、同じ民族だけの濃い血でつながる)縄文人らしい、誠心誠意の民主主義というものではないでしょうか。

 監督やコーチが拳を振り上げ、大声で選手を応援するのも「指導」なのかもしれませんが、試合における正しい姿によって観客を感化する、徳育するような選手を育てたり、ケガをした選手の気持ちを察して即座に退かせた(負けさせた)り、さりげなく選手の持つべきプラカードを持ってあげたりといった思いやりこそ、アマチュア・スポーツもしくは武道において求められる、真の応援・徳育ではないでしょうか。


「ライブカメラ」で淡々と撮影された映像とは、沢山のリアリティ(ありのまま・素の現実)の連続ですが、そこには様々なドラマ・教訓がありました。

 無声映画時代の俳優とは、声や音楽ではなく顔の表情で微妙な心の変化を表現しました。そんな名優の1人グロリア・スワンソンは、トーキー(現在のような音声が入る映画)に押されて消えていく無声映画の運命のなかで、こう叫びました「セリフなんか要らないわ。私たちには顔があったのよ。」と。


 重い面や胴をつけたロボコップのような日本拳法の戦士たちには、顔も言葉もありません。しかし、彼らの熱いハート・魂・ガッツが、コート上での戦いに噴出し、コート外でのさりげない行為に溢れていました。

 激しい現実の殴り合い以上に、熱いハートとガッツ、義侠心や徳といった心が見れる、心に焼き付けることができるところに、日本拳法(観戦)の真の価値があるのだと思います。


 そういう「心から感動できるドラマ」を(意図せずに)作り上げてくださったスタッフと出演者の皆様(連盟・学連・選手・OBOG、その他大勢の方々)、良いものを見せて頂き、まことにありがとうございました。



 2022年5月23日


 平栗雅人




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