第4話 「大学日本拳法」体験

 V.2.4

 2018年の府立(全日)を観戦させて頂いた時、ある大学のOGが試合を観覧するときの、凛とした立ち居振る舞いを見て、「日本拳法的なる」ものを感じました


 2019年の同大会、8連覇を逃した明治の監督さん(?)が、大会終了後、沢山の学生や関係者たちでごった返す試合会場の中を、旅行かばんのカートを引いてのんびりと歩かれていました。そして、すべての大学の名前と試合結果が書かれた勝敗表の前で、記念撮影をする龍谷大学の人たちの近くまで来ると、まるで老農夫が畑を眺めるように、楽しそうに微笑んでおられました。説明は省きますが、これぞ日本拳法的なる姿、だと私は思います。


 そして、今大会(2022年東日本大学リーグ戦)でもまた、「これぞ、大学日本拳法」なる場面を(一瞬ですが)目撃することができました。


 女性の美しさというようなものは、じっくり鑑賞するものでしょうが、日本拳法的なる姿とは、面突きの如く「一瞬」で感じ・理解し・味わうもの。

 立教女子チーム(先鋒・大将の二名)は、第一戦目における大将(4年生)は、その開始30秒で大ケガをしてしまい、リタイア。


 そのため、第二戦目は1名で戦うことになり、大将戦で勝ったとはいえ、チームとしては「引き分け」、その次の試合には(選手一人ですから)出場できなかったようです。


 後輩を鍛えチームを育て、キャプテンとして充実した4年間の思い出を作って卒業し、女子コーチとして満を持し初めて臨んだ公式戦の緒戦、試合で負けるならまだしも、(大)けがで試合を放棄しなければならないというのは、大ショックでしょう。

 殊に、この方はきめ細かな心のケアによって後輩たちを大切に育ててこられた方ですので、けがをされた選手以上に、残りの試合を放棄しなければならなかった、先鋒の選手(2年生)が気の毒でならなかったにちがいありません。


「三国志」の英雄曹操は「官渡の戦い」では、見事に小勢で大軍を打ち破りましたが、208年赤壁の戦いではその逆で、疫病の為に優秀な部下を失い、まともな戦いになる前に撤退に追い込まれました。栄光から一気に無念の敗北へ急転直下とは、その辛さは、いかばかりだったでしょうか。

(しかしながら、ボロボロになって敗れた曹操は、天に向かって「我に百難・艱難辛苦を与えよ。その度に強くならん」と叫んだそうです。「やはり、タダでは転ばぬ英雄」でした。)


 「易経」には、

「尺蠖(せきかく)の屈するは、以て信を求むるなり」という言葉があります。


 尺取り虫が身を屈するのは、大きく伸びようとするため(信は伸に通じる)。一時の不遇は、後日の発展の基礎となる。他日の成功のために、しばらくのあいだ不遇に耐え忍ぶことの例え、とあります。

「易経」とは膨大な経験則の集大成ですから、単に口先だけの言葉ではなく、過去、実際にそういう例はいくらでもあるというわけです。


 あるいは

「興龍(こうりゅう)が池に潜むは、時を得て天に上らんが為」

 とも。


 そして、なんといってもこの言葉です。

「人生うまくいくことばかりじゃありませんが、桜を散らす雨のように、物事の見方を変えて何事も楽しんでいけたらいいですね」

 元キャプテンの彼女が後輩たちに教えたのは、偏に拳法の技術ばかりでなく「不撓不屈」の精神だと思いますので、

 やがて、雲を呼び雨を降らして、風に嘯(うそぶ)く虎との一大決戦を見せてくれることでしょう。



 さて、前置きが長くなりましたが、その緒戦、怪我をしてびっこを曳いてコートから出た選手に、この人はすぐさま肩を貸します。また、2戦目、試合場から独りで退場する選手を気遣い、学校の名前の書かれたプラカードを、コーチの彼女が持ち、きちっと試合場に礼をして退出します。

 また、立教の監督さんも、怪我をした選手に何も尋ねたりすることなく、その姿を見て、即「棄権」を主審に伝えます。

 監督という立場からすれば、何とか選手に頑張って戦いを続けて欲しいという気持ちでしょうから、声をかけて戦う意思を尋ねたりしたくなるものでしょうが、選手(の身体)第一と、迷いなく判断し、即、退出させました。

 こういった、ほんの一瞬ですが、機転を効かせて、即行動する場面を見ると、やはり大学で日本拳法をやっていた人は「見て・考えて・行動する」というプロセスが速くて的を得ているな、と感じます。


 私など、中学・高校生の頃は、相手をぶっ飛ばすことしか考えませんでしたが、そして、ガキの間はそれでいいと思うのですが、大学生ともなれば、なにごとにも「礼」のある対応が求められる。そして、ジジイになったこの頃は、激しい殴り合いよりも、徳というものに魅せられます(これが、俗に言う「ヤキが回った」ということなのかもしれませんが)。


 昨年の青学のマネージャーさんは、その仕事ぶりが「光速」と、同期たちから尊崇を込めて評価されていたようですが、毎日部員たちの練習を見ながら「一瞬の機転」を自分自身でも鍛錬されていたのかもしれません。機転の連続を以て「光速」と讃えられたのでしょう。


 10数年前、今大会の行われた同じ横浜武道館で、神奈川県の高校柔道の大会がありました(おそらく、今でも毎年開催されているでしょう)。

 横浜にある県立高校の選手が試合中、しばらく揉みあっている内に「絞め」が決まって気絶してしまいました。すると、この学校の監督は「ちぇ、あんなんで逝っちまうとは」と、吐き捨てるように言い、不愉快な顔をして知らん振り。この監督は高校・大学と柔道部でならした人らしいのですが、経験豊富な監督なら、失神する前になんとかしてやれよ、と、その時思いました。


 そのあとで、港南台にある山手学園という私立高校が、やはり私立で、柔道の強い高校と対戦しました。選手全員、格が違うのですが、山手学園のキャプテンだけは身体が大きく積極的に戦い、いい勝負をしていました。しかし、投げの打ち合いになった時、こちらの監督は自分の生徒に聞こえるくらいの声で叫びました「○○、無理をするな、無理をするんじゃない(負けてもいいんだ)」と。


「自分の生徒が試合に負ける」という場面で、この対応の違い。

 生徒に(ギリギリのところまで頑張る根性をつけさせても)、決して無理をさせない、怪我をさせない、楽しくやらせるというのが、不思議なことに、みなミッション系なんですね。


 ちなみに、40年前、ある「愛のない日本拳法部」では、練習でも試合でも「怪我をするのは、気が抜けているから」と怒鳴られ、殴られました。

 まあ、初めて公式戦に出る(相手は3段)1年生(5級)に「なんでもいいから、ぶっ飛ばせ」というアドバイスを与える(引導を渡す)くらいですから、むべなるかな、ですが。



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