トマトとストレス

語理夢中

トマトとストレス

 私の職場に管理職ながら何もしない無能な人が居る。

 会話しない。相談しない。決定しない。実務しない。

 日がな一日PCに向かって何かしているがアウトプットがない。

 そんな人間だが立場上は上司だ。私の職場の場合、本人が降りると

 宣言しない限りは役職を降りることは基本ない。だからその人は

 どれだけ仕事をしなくてもその役職に居続けるのだ。

 だが、不可解なことに彼の下には不思議と仕事のできる人間が多い。

 もちろんその人達は、その管理職の職務怠慢ぶりに腹を立ててストレスを

 感じながら仕事している。


 具体的に彼らがどのように優れているのかと言えば、まずは自分の頭で考えて仕事が出来る。現状の問題は何か、改善すべき点は何かそれらを見つけて日々会社を良くしようと率先して活動している。

 また、その為に他部署も巻き込みながら自身の成長と後輩の育成にも同時に取り組むダブルタスク、トリプルタスクの高機動だ。そうやって成果を出して会社に貢献している。結果を出している。

 はて、なぜこのように無能な上司の下で有能な後輩達が育つのだろうか?


 私が考えるに、【しても良い環境と・しなければならない環境】のどちらが人を動かすかと言う問いに答えがあるのでは無いかと思う。

 しても良い環境とは言い換えれば、しなくても良いと言うことだ。自分に判断を委ねられると人間は必然的に自分に甘くなる。今日、仕事の中で今まで出来なかったことにチャレンジするべきかと決断を迫られたときに、してもしなくても良いなら人は楽な道を往々にして選ぶ。

 しかし、しなければならない環境では選択の余地は無い。チャレンジしか生き残る道は無いのだ。しかもそのチャレンジが毎日の事、チャレンジも毎日繰り返せばそれはただの日常と呼べる。

 そんな過酷とも呼べる日常を造りだしているのが無能と呼ばれる上司だ。この上司は本当に無能なのだろうかと、書き出しに決めつけた結論を疑ってみる。疑いのきっかけになったのはあるトマト農家の話だ。

 その農家では一般的には三か月で収穫できる品種のトマトを半年かけて育てる。

 トマトが余分な水分を吸い上げられないように海水を与え、冬場は糖分を蓄えるように寒さを与える。そうやってストレスを与えられて育てられたトマトは真冬に収穫されるにも関わらず、身がはち切れんばかりのムキムキで糖度は13度を超える。一つ500円という高値で売りに出され、即完売になるトマトなのだと言う。

 この話を聞いたときに、あれ?俺たちがトマトで、無能な上司が有能農家さんだったのか?

 そう思うと、わざわざ生産者が一トマトに成長過程のプロセスを説明しないように、無能だと思っていた上司も教育方針に絶対の自信があり、説明しないことに意味があるからこそ俺たちと距離を置いていたのかも知れない。そう考えだすと天才は凡人に理解されないと言う言葉が頭に浮かぶ。

 更に想像を飛躍させると『神』と言う一字が浮かぶ。

 俺は信仰を持たないので神と言う存在がどのようなものかは正確には知らないが聞きかじった内容をイメージ化すると、神は試練を与えて成長を促し、人々から救いを求められても、あるのは沈黙のみ。だがそこに存在し見ていて祈りを聞き届ける存在なんだと。

 人々の一番の欲求は承認欲求である。ならば手っ取り早く欲求を満たすのは仕事で認められること、仕事が出来るようになることが俺たちの望みだと言える。

 ならばこの無能だと思っていた上司は俺たちの願いを叶えたのか?

 そう問われれば、こう答えるしかない『イエス』。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トマトとストレス 語理夢中 @gorimucyuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ