第11話 とある暗殺者の最期

アーデルハイド子爵家の屋敷。

それは王都における不干渉地帯の一つであった。

アーデルハイド子爵家は表面的には単なる貴族でしかないが、一皮捲って見ればその正体が分かる。


王家に使える諜報機関の長。

長きに渡り、裏側から王家を支えて来た家であるため、上位貴族ですら手を出しにくい家でもあった。

単に色々と後暗い事を握られているからとも言えるらしかったが。


アーデルハイド家は王家との繋がりを近からず遠からずに保ち、他家に要らぬ警戒感を持たせないようにしつつも要所を抑えるという地味でありながらも抜目ない処世術で生き残って来た、というのが闇に生きる者達の持つ見解だった。

リスクの高い仕事は、手を出すべきか出さないべきかを判断する事が重要で、それを誤ればどんな手練れでも命を落とす。

アーデルハイドの手の者は、その些細な違いを見分け、不測の危険に踏み込む事はほとんどないと言われていた。




そんな屋敷に送り込まれた諜報員がどうなるかって?

初めの頃は簡単に入れていたそうだ。

あれだ。泳がされていたんだろうな。

ちょっと調べて戻って来てはまた調べる。

その繰り返しで欲しい情報を得ていくのだが、どうやら誘導されていたようだ。


屋敷に訪れた事のある商人から内部の間取りを聞き出し、外に使いに出るメイドに取り入って話をする所までは良かった。

たいした情報が出てこなかったのだ。

外に使いに出るメイドではそれほど重要な情報を持っておらず、かろうじて知りたい事が知れただけになった。


アーデルハイド家に生まれた赤子が男か女か。

それが重要だと雇主は言っていた。

そして恐らく女だと告げると、ようやく裏側の任務が降りた。


「男ならともかく女はまずい。消せ」


だそうだ。

雇主の詮索はしないのがルールであり、それを破る気もない。

その代わりに破格の報酬が出される。

俺にはそれだけで良かった。


しかしどうだ。この結末は。

新月の夜に庭で吊り下げられる間抜けになった俺はここでようやく泳がされている事を知った。

後から気づいた所でもう遅い。

内部から手引きさせ、窓を開けさせる約束をしたあのメイドの示す窓に行くにはこの庭が最短コースだった。

メイドが言うにはその窓からの侵入が一番、屋敷のどこに行くにも都合が良いとの事だったがどうやら行き先は牢屋になりそうだ。


そして今最も俺を苛立たせるのは手足を縛られ口も塞がれた俺の前でにこやかに微笑む全身真っ白な幽霊だ。

俺が面白いのかこの格好が面白いのか興味深げに眺めていやがる。

得たいの知れないそいつに恐怖は覚えるも、それよりもどうやってこの状況から脱するかが先だ。

するとそいつは後を向き、誰かが来るのを待った。


俺はてっきりこいつが俺を縛り付けたのだと思ったがどうやら違うようだ。

現れたのはエルフ。

畜生。エルフだ。

俺を縛り付けるこの這い回る蔦はこいつの仕業だと気づいた。

そうか。だから庭なんだな。

しかもこいつら、アイコンタクトだけで意思疎通してやがる。余程の手練れだ。

そもそも幽霊がなぜうろついてやがる。


俺が2人の動向に気を配りながらも逃げる方法を考えているとエルフの方が口を開いた。


「これから起こる事を見た後に、素直に全て白状する事をお勧めします」


そういったエルフは視線を幽霊へとやると、幽霊はどこからか飛んで来た土の塊を手で握りしめ砕いて見せた。

そしてにやりと笑うと徐ろにその手を前へと差し出して来た。


俺がそれを凝視していると、その手は俺の胸の前で止まった。

手を見た後に幽霊の顔を見ると、とても憎らしい程の良い笑みをしてやがった。

だが俺のその感情もすぐに消え失せた。

その手は動き出し、俺の胸へと入っていったからだ。


そして俺は思い出す。土の塊がどうなったかを。

どうにかもがいて逃げようとするが縛られた俺にはなす術もない。

どうやっても逃げる事が出来ない俺が観念するのを待ってからエルフがこう言った。


「ああ、そうそう。幽霊に殺されたら死んだ後も苦しみながら彷徨う事になるそうです。素直に話してくれますね?」


そうまでして雇主の情報を隠す義理もない俺は何度も頷いた。

それを見た幽霊とエルフはまたアイコンタクトで意思疎通をした後に俺を運べるように縛りあげた。

地面に寝転ぶ俺に目もくれず、エルフはどこかへと声をかけた。


「後は任せました」


そうして立ち去るエルフと幽霊の後ろ姿を見る俺は、他に誰もいないと思っていた事が間違いだったと気づく。

俺のようなどこにでもいそうな雇われではない、本物が俺に目隠しをしてから持ち上げて運んだ。



その後?

わかりきっている。

用済みは殺されるか犯罪奴隷になるかだ。

犯罪奴隷の行き先なんて決まっている。鉱山かガレー船の漕ぎ手、そういった場所だ。

死なずに済んだのが良かったのかどうかすらわからない場所に送られるが、あのエルフが言った死に方よりかはましだったと思うしか無い。




ある日、エールトヘンにこれでもかと質問を浴びせた後に俺がいつものベッドで微睡んでいると夢を見た。

月のない夜に庭を横切り、なぜか鍵のかかっていない窓から屋敷へと侵入する者がいる夢だ。

夢から覚めた俺はさっそくエールトヘンに相談した。


「なるほど。他の人なら単なる夢で済ますのですがお嬢様の夢ですか。厄介ですね。少し相談してきます」


そういったエールトヘンは部屋を出て行き、俺はその後を気づかれないようにカメラモードでついていった。

最近ようやく使い分ける事に慣れて来たのだが、時折感の鋭い奴は振り向いたりし、エールトヘンもその一人だ。

それでもつかず離れず様子を窺うとある男性に話しかけるのを見た。

あれはそうだ。主席執事のイアンだ。

マーカスとはたまに話をしているのを見かけたがイアンに話す所は初めて見た。


ただ、イアンがな。見えないはずなのにずっとこっちを凝視しているんだ。

遠すぎて話が聞こえないままにエールトヘン達が会話を終えたのを確認した俺は素直に意識を肉体へと戻した。

帰る時は楽なんだ。一瞬で済む。


ああ、結界?幽体離脱でなければ大丈夫なようだ。

もっとも、このカメラモードを知られたらどうなるかは分からないので秘密にしてある。

ただこっちは幽体離脱ではないようで、これはもう自分で調べるかこれを仕込んだロカに聞くしかない。

何はともあれ、自由に行動出来るのは良い事でキャメロンには悪いがこうやって自由に遊ばせてもらっている。


部屋で待っているとエールトヘンが帰って来て報告をしてくれた。

なんでもスパイが忍び込もうとしているらしい。

この家のメイドは訓練されているから騙された振りをして誘き寄せるそうだ。

何それ怖い、と思ったがシェリーやミーナのような新人でなければ対処方法を身につけているらしい。


そのスパイは今度の新月に窓の鍵を空けておいて欲しいと言ってきたからマニュアル通りに場所を指定して後は待ち構えるだけなのだそうだ。

つまりは俺の見た夢は予知夢かも知れない、というまた別な問題が発生したわけだ。

だからエールトヘンは既に悩み出している。


『お嬢様が予知夢・・・。お嬢様だからありなのか?

いや、しかしそれでは誕生日のサプライズが・・・』


などとずれた考えをだだ漏らし、まだまだ数ヶ月先の事を心配している。

今心配すべきはスパイの事なのだがこいつもやはりどこか普通ではないようだ。

だがこれで終わりなわけではないのでエールトヘンに相談をする。


『なあエールトヘン。その日、忍び込んで来る奴がいるか見たいんだが駄目か?』


『ああ、なるほど。まだ確定ではないですね、確かに。

では私と一緒に動きましょう。

屋敷の者に任せるつもりでしたが今回はサポートして貰いましょう。

ですがお嬢様はあれです。幽体での移動ですが上手く出来た場合のみです。

さすがにそのお身体を危険に晒すわけにはいきません』




そうして迎えた新月の夜。

月のない夜は遠くを見透す事も出来ずに俺は部屋で待機をエールトヘンから言われた。

どうせ見えないし、灯りをつけて邪魔をするわけにもいかないので待機していたのだが、庭で物音がした後にあいつから連絡がきた。


『お嬢様。もう出てきて良いですよ』


さすがである。そつなくこなし、平然としているその声は場慣れしている事を感じさせる。

俺は部屋を出て、真っ先に庭で吊り下げられている男の所へと向かった。


色々とツッコミどころ満載だ。

どこから蔦のモンスターのようなものを出したのか。

両手首を縛りあげ吊り下げながら両足も縛りかつ全身に蔦を巻き付けるという誰得展開。

口も塞がれ怯えている中年男性を愛でるというシチュエーション。



意外とエールトヘンはマニアックなのかも知れない。



などと余計な事を考えているだけでは無駄に時間を過ごすのであいつと相談した。


『なあ。やっぱり幽霊って普通の人間からしてみれば怖いよな?俺が脅してみて良い?』


『どうされるおつもりです?』


『例えば・・・』


エールトヘンに作戦を伝えると試す価値があるのか俺に任せてくれ、あいつの言葉から俺たちの作戦は始まった。


「これから起こる事を見た後に、素直に全て白状する事をお勧めします」


まず、あいつが作り出した庭の土を固めた土の塊を引き寄せて手に持ち、握りつぶす所を縛りあげている男に見せた。

そして目の前でニタリ、と笑って見せてその胸へと手を入り込ませる。

自分の胸に幽霊とはいえ、誰かの手が入っていく様は驚く。

動揺しながらもがく男を愛でる趣味もないのだがここは顔には出さずに手を差し込んだまま動きを止めてエールトヘンの言葉を待つ。


「ああ、そうそう。幽霊に殺されたら死んだ後も苦しみながら彷徨う事になるそうです。素直に話してくれますね?」


これにはいくらこの男が後暗い行いをしてきたといっても平然とはしていられなかったようで顔がみるみる蒼褪めていく。

まあ当然か。俺でもいつまで苦しむか分からないのは遠慮する。

しかしあいつも酷い。嘘なんだが相手にしてみれば嘘か本当かすら分からないこの恐怖。

男が首を縦に何度も振るのを見てあいつをあまり怒らせないでおこう、と思った。

俺が男から離れるのを見てあいつはこう言う。


『お嬢様。後の事は手の者に任せましょう。私達はこれで。すでに目的も果たしましたし』


どうやら俺は気づいていなかったが警備の者がいるらしい。

俺も夢で見た通りの外見の男を見て満足したのでその言葉に従った。



後でエールトヘンに聞いた所、ある伯爵家の依頼で俺の暗殺が目的だったらしい。

詳しくは知らなかったがあいつには心当たりがあるらしく俺がもう少し大きくなったら教えてくれると約束してくれた。

あいつにとってはそれよりも、予知夢だった事の方が重要らしい。


『お嬢様の誕生日のサプライズはどうするべきか・・・。いっそ遠くの場所で準備して当日に運び込むか?

いや、それで回避できるかすら分からない。私は一体どうすれば・・・』


などとブツブツ呟くあいつを見ながらおしめを取り替えられる日々を俺は今日も過ごす。

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