第6話 奥様が飛んだ日
どんな事でも慣れてきた時が一番危ない。
良く言うよな。
俺も思ったよ。今回はマジで。
あれからエールトヘンと特訓の毎日。
何が一番嬉しかったって?
エールトヘンの名誉が回復した事だ。
あいつがボタンをただ眺めるだけの日々は終わりを告げた。
いまやブローチや小瓶、哺乳瓶の先だって眺める事ができるんだぜ!
という冗談はさておき、確かな手応えがある事は事実。
そこそこ大きな物を動かそうとして力を込めたせいで余計なものが出た事もあるがそこは赤子という事で許して欲しい。
いつでも万全の最強装備、おしめという存在が俺の誇りを守ってくれる。
その結果として'体に力を込める'なんて方法じゃ威力が上がらない事が判明した。
どうにもそれでは動かしている部分に力が入らないようだ。
あくまで意識して集中。これが良いみたいだ。
ある程度、制御に自信がついてきた俺は次の野望に取り掛かった。
柔らかいもの、だ。
そう。衣服のようなすぐに形の変わるものはうまく動かす事が出来るのか、興味が湧いていたのだ。
そして身近にあり、軽くて簡単そうなものに目をつけた。おしめである。
最初は苦労した。片端を持ち上げ、もう片端を持ち上げようとしたら先に持ち上げた方が落ちるんだ。
一箇所だけ持ち上げたら単に吊っただけになる。
そうじゃないんだ。ふわふわと漂うあれが見たいんだ。
難しい制御を繰り返しているとやはり暴走する。
あのメイドには可哀想な事をした。
制御に失敗していきなり動いておしめが巻き付いたのだ。
しかも使用済みだ。
もうそういった出来事に慣れたのか、初めは驚いたようだが淡々と片付けていた。
やけに手慣れてきたというか熟練度が増してきたというか、頼もしい限りである。
そんな事を繰り返しながらもトレーニングは進み、俺は自分の衣服を飛ばす事が出来るようにもなった。
おしめより簡単だった。あの長い布をヒラヒラと舞わせるのにどれだけ苦労したか。
その光景を自慢気にメイドにも披露したんだが無表情のまま回収された。
喜んでくれたのはエールトヘンだけ。
やっぱり俺の心のオアシスはこいつだけだ。
そんなある日、俺は夢か現かうつらうつらとしていると、とある夢を見た。
俺は廊下を漂っていた。
少し高い場所からの視点で行き交うメイド達が見える。
なんとなく今までと違った風景だから興味が湧いて、思わず飾られている壷を動かそうとしてみた。
壷が宙を浮いて満足した俺なんだが、宙を浮いた壷を見たメイドが悲鳴を上げた。
そうして俺は夢から覚めた。夢の中の悲鳴が残響のようなものを残した後に何か物が割れる音。
そうなのだ。
俺はここで更なる能力がある事に気づいたのだ。
もしかして幽体離脱?あり得るのか?
ああ、ロカならあり得るか。ビックリやドッキリの為だけに俺にも教えずそっと付け足す。
というよりもしかしてこれが原因で目が見えてるのか?
そうするとなんだ?この能力?
なんにせよ、上手く使いこなせば色々と出来る事が増える。
俺はエールトヘンをビックリさせるためにこれはまだ教えない事にした。
だが特訓の為の時間が必要だから、あいつには悪いが毎日のボタン運搬係の任を解いた。
「少し考えたい事がある」
なんて誤魔化したら疑う事なく了承したよ、エールトヘン。
お前・・・、本・・・当に・・・、お人好しだな!
ボタン運搬係の仕事はこれからは頼んだ時だけにして貰う事になったんだがあいつはいつも側にいてくれる。
困った事があった時に相談出来るのは良い事だ。
その日から俺はその新たな感覚を忘れないように繰り返し練習した。
そんな俺をただ静かに微笑みながら眺めているエールトヘン。
止めてやってくれ!そんな目でエールトヘンを見るのは!
エールトヘンは俺の為に一生懸命やってくれているんだ!
だから・・・頼むよ・・・。
俺が泣きだしたからかメイドの視線は俺に向けられ事無きを得た。
俺は数日かけてその感覚を掴み、周囲の探索に出た。
こっそりとエールトヘンの部屋を覗き、通路に出て周囲を眺めたり、近くの部屋に入ったりもした。
いいね。ちょっとした偶然から壁も通り抜けられる事が分かってからは誰かが扉を開くまで待つ事もしなくなった。
あれは大変だった。待っている間にまた寝落ちだよ、俺。
こんな大きな屋敷を見るなんて初めてだ。
廊下から内装から全てが新鮮。
壁に掛けられている絵画を見たり、メイドについていって何をしているのか確かめたり、壷を思わず魅入りながら寝落ちしたりとやる事はたくさんあったのだが、慣れて来た俺はちょっとした冒険心から少し遠出がしたくなった。
そしてあの時がやってきた。
寝落ちしながらも探索出来る距離を伸ばして訪れた部屋は父が管理している書棚がある部屋だった。
前世から本好きの俺だ。もうそれに喜んで飛びついた。
そして見付けたのだ。
薄い本を。
何やら難しげな紀行本や植物図鑑などの後にひっそりと誰にも知られる事なく佇むかのように隠されたあれ。
後に空白が出来るようにその段の本は全て奥一杯まで押し込まれずに少し前に出ている念の入りよう。
俺は『そんな筈はない』と僅かな期待を抱きながら念のためにページをめくってみたが期待は裏切られた。
何を秘蔵しているんだよあの人は・・・。
だから俺は一大決心した。父の書棚の本を周囲にばらまいたのだ。
勿論通路にも。
するとメイド達が騒ぎ始め、本を集めるのに必死になった。
ちょっと遊び気分で遠くにまで本を飛ばしてみたがまあメイド達の慌てっ振りといったら楽しかった。
その中に例の本をうまく混ぜておこうと思ったら騒ぎを聞きつけた母の姿が。
俺はそっと母の前に本を優しく優しくそれはもう本当に優しく大事に扱いながら軟着陸させた。
その後の事は知らん。なぜなら俺は眠くなって寝たからな!
生まれてから一ヶ月経ったのだろうか。
エールトヘンに聞くと大体そんなものだと言っていた。
トレーニングを欠かさない俺の所に昼のお茶会を楽しむ為に母がやって来るようになった。
なんでも娘を見ながらお茶を楽しみたいのだそうだ。
時折は来ていたのだがほんの少し顔を見ては帰っていたし、俺も寝ている事が多くてあまり顔をあわせていなかった。
俺も元気な姿を見る事が出来てほっとした。例の件はそれほど深刻な事にはならなかったようだ。
そうして母はお茶を楽しみながら俺の体調などをエールトヘンやメイド達に聞きながら、王都での話題を楽しく話していた。
たまたま起きている時にその話を聞く事があるのだが、やはり外の話は気になる。
その会話をエールトヘンに通訳してもらった。
テレパシーで声色?を変えるって器用だな。
無駄に器用な所が損する原因なんだろうなって俺は思う。
普段あいつとのトレーニングばかりの俺にとって王都の話題なんかは新鮮だ。
母の話を聞くようになって俺は外に出たくなった。
だがすぐにはそれも無理だ。
まだ首も座ってないからな!
だから準備をしておく事にした。
足で出歩けるようになるには数年かかる。でも俺にはこれがある。
そう思った俺は躊躇う事なく能力を使い、自分を宙へと浮かせた。のだが。
すぐに止められた。
何度か挑戦したのだがさすがにエールトヘンにも止められ、
「もう少し成長なされてからなら、私が許可を頂けるか交渉してみますので今は辛抱をしてください」
などと普段のエールトヘンからは考えられない態度だったのでここは素直に従うべきだと思い、待つ事にした。
そうするとやはり俺にはトレーニングしかない。
そしてそれは母がお茶会にやってきた時の事だ。
いつものように椅子に座る母。
メイドが淹れたお茶を飲みながら楽しげに話している姿は実に絵になる。
その時、母の姿を眺めている俺はピンと来た。
目の前でテーブルを浮かせたらどれだけびっくりするだろう、と。
あのテーブルくらいなら今の俺でも出来るはずだ。
そんな自信を持って挑んだ結果。
浮いたのは母だった。
焦る俺。
それに対して何も起きてないかのようにお茶を楽しむ母。
テーブルに届かないからメイドに言って代わりにティーカップを置いてもらい、かつお茶菓子を取るように申しつけている。
その大物振りを気にする余裕もなく、もうそれは細心の注意を払って少しずつ高度を下げていく俺だった。
いつか何ものにも動じない母のようになりたい。
そんな気持ちで動揺をひた隠した俺だった。
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