第5話 色々と始動

エルフなイケメンに無視されてから少し後。

俺は自分の意識がいまだにぼんやりとしている事に気づいた。

枠に収まっているようないないような、そんな感覚だ。

それでいて、自分が広がった感覚があり、少しずつ何かが混ざって来ているような。

多分俺という存在に、この世界のこの体を通して様々な事が流れ込んでいるのだろう。


だが思った事がある。

生まれたばかりの俺。

なぜか目が見える。いやこれは目で見ていないのかも知れない。

赤ん坊がかろうじて周りを確認できるようになるのは確か生後4ヶ月くらいだったか?

なら見えている事自体がおかしい。

だが実際に見えている。

その事実に疑問を抱いていた俺は、唐突にあれを思い出した。


そう。悪戯の女神ロカという存在と契約。

どうにもロカと話した内容はそれ以外の話が思い出せないが、それだけは思い出せる。

17歳の時にルーシーとの間に婚約を成立もしくは破棄だったか。

その代わりに超能力をくれる、って事だったな。

あの時は確か|念動力〔サイコキネシス〕をくれるって言っていたけどどうやら他にも特典があるのだろう。

まあ、色々と支援してくれるって言っていたからこれはこれで助かる。


だが動けないのはどうにも。

あのイケメンも俺を無視したままで、俺は産湯に浸けられてから別の部屋に運ばれた。

充分暖められた部屋は居心地が良いままに、俺は寝ては起きてを繰り返す。

赤子ってあれだ。ほんの少し寝てほんの少し起きてを繰り返すんだな。

しかも自分で決めてるんじゃなくて体が勝手にそうなる。

俺は自分の意識がふわふわと漂い、大きくなったり小さくなったりしているような感覚に合わせて、眠気と空腹を繰り返す事で二週間程を過ごした。


今となっては済まないと思っている。

空腹で目を覚ます度に泣き声を上げる俺。おしめが濡れていて気持ち悪いと泣き声を上げる俺。

大変だな。俺も。世話するメイド達も。


だが一番申し訳無いと思った相手はあいつだ。

あのイケメン。エールトヘンと言うらしい。

俺が泣き声を上げる度に呼ぶから数日で、あいつはこの部屋の続きにある部屋に居を移して来た。


いや、だってさ。不安なんだよ。誰も話してくれなくて。て言うか俺今赤子でうまく口を動かして話せないし。

あいつだけだ。なぜあいつは俺の声を聞く事が出来るんだろう。

もし俺の能力だとすれば他のメイド達にも聞こえるはずなんだがそれも無い。

あいつだけが俺の声を聞いてくれる。

あいつは何か感受性でも高いのか。それともあいつの能力か?

よくわからないがようやく周囲の状況を受け入れられるようになってきたので今度聞いてみる事にする。


生まれてから見たのは母とメイド達、そして母の寝室とこの部屋、そして繋がる通路。それだけだ。

なんとも狭い世界は俺を不安にさせる。知らない場所で動けずただ泣くだけの赤子。

その不安をすべてあのエールトヘンにぶつけてしまった。


乳母やメイド達が世話をするのだが、俺が泣いて呼ぶからエールトヘンは時間の許す限り側にいた。

すまん。エールトヘン。そりゃ呼ばれたら来るわな。

お前だけなんだよ。俺の暇を潰してくれるのは。



あいつはあいつでお人好し過ぎると思う。

俺が色々と周りの事をエールトヘンに聞くと、あいつは嫌な顔せずに答えてくれる。

そこがまた申し訳ないと思う所だ。

なぜなら俺はその話の最中にそのまま寝落ちするからだ。


そしてまたあいつを呼び出しては同じ質問をぶつける。

かなり|性質〔たち〕が悪いと思うんだがあいつは怒る事もない。

いい奴過ぎるだろ!



何度か同じ事を繰り返してからようやくここがどこか分かってきた。

何でもとある子爵家の屋敷らしい。

その御息女で第3子で長女。わかるか?

御息女だ。

ロカに騙された。ここで気づくなんて俺はなんて馬鹿なんだろうと思う。

あの時ロカと何を話したかはぼんやりとしていて良く憶えていないんだが多分絶対あいつはその事実を俺に告げていない。

それだけはなぜか確信がある。


あの性格は隠し事してサプライズっていう展開が好きそうだ。

される側はたまったもんじゃない。

それも一生の問題だ。あいつにとってはちょっとした遊びなんだろう。


だが今はそれどころじゃない。

これから待ち受ける運命だ。

'ルーシーとの婚約を成立させるか破棄されるか'だ。

わかる?俺の気持ち?

すでに男との出会いが用意されているんだぜ?

筋肉マッチョやデブだったら俺どうすんだ?

美形でもお断りだが。


と思ってたらまた眠くなって来た。



エールトヘンには悪いがどうにも癖になったようだ。

あいつがいると落ち着く。

他の乳母やメイド達じゃあ俺が何を言っても無視する。

当然だ。ただの泣き声に返答する奴はこちらからお断りだ。

『はいはい。お腹すいたんですか?おしめですか?』

などは許せる。まあそれもエールトヘンが全て解決してくれるわけだが。


しかしこの天蓋付きベッド。豪華だな。

天蓋って知ってるか?

ベッドの四隅から柱を伸ばして屋根を付けてるやつを天蓋って言うんだ。

病院で育児用のケースみたいなベッドあるだろ?

あれと一緒。

こっちはカーテンで仕切るんだけどな。

だがな。ここ、どうやら魔法があるらしい。

そのカーテンの内側に何かよくわからない障壁のようなものが張られているんだよ。

既に現代チートなんて無いんじゃね?って感じがダダ漏れなんだが?

しかし大事に守られてるんだなぁって思う反面、閉じ込められているような気がしないでもない。

だからその鬱屈をエールトヘンへと向けてるわけだが。

あいつだけが俺の心のオアシス。あいつがどう思っているかは知らないが。


と思ってたらまた・・・。



ある日、気づいた。どうやら俺の能力は漏れてる。

何やら悲鳴が聞こえたから目を覚ましてみたら、目を見開いて驚愕の表情をしているメイドがいた。

すまん。まだ名前が分からない。

俺の前じゃ皆そんなに喋らないからな。

だがそのメイドが見ている物には俺も驚いた。

部屋に常備してあったのか哺乳瓶が浮いているのだ。


俺が見てから少しの間浮いていたがその後に地面に落ちてしまった。

遅れて駆けつける他のメイド達。

哺乳瓶を落としたと叱責を受けるメイド。

おれのせいですまん・・・。


どうにも寝ている時に無意識に能力を使っている。

これは不味いのかも知れない。

エールトヘン。あいつに相談だ。


俺はあいつを呼んだのだが運悪く不在だったようで、待っている間にまた・・・。



少しは意識の浮遊感がなくなってきて落ち着き始めた感じがする。

部屋の外で何かが割れる音がした。

駆けつける足音の後に『申し訳ありません。ティーカップが勝手に・・・』『そんな言い訳は認めません』などと言う会話を聞いて俺は思い出した。

早速あいつに相談をした。


エールトヘンは俺の話を相槌を打ちながら静かに聞いてくれた。

聞いた後に頭を抱えこんでしまったあいつだがこう言った。勿論テレパシーで。


「どうにも最近不審な出来事が多いと思ったらお嬢様ですか・・・」


うん?何か別の事でもあったのか?と聞き返すとあいつはこう言った。


「この部屋の周囲で物が落ちたり、置いたものが以前に見た位置から動いていたりという事が何件もありました。

間者を疑っていたのですがそうですか・・・」


そうか。何事もないと思っていたんだが俺の知らない所で事件はひっそりと起きていたんだな・・・。

俺はとりあえずエールトヘンに謝ったのだがあいつは微笑みながら許してくれた。

いいやつだな、こいつ!



とりあえず無意識に使っている能力を制御する事が必要だと思った俺は、エールトヘンに話した。

あいつは俺の身を案じたが渋々ながらも俺の提案を受け入れてくれた。

あいつの見てない所では訓練はしない、そういうルールが出来た。


ルールは出来たんだがそれで済むはずがない。

なぜって?それは勿論制御できるんなら訓練も必要なかったからだ。

そして寝ている間はなぜか発動しやすいようで、悲鳴と何かが割れる音で目が覚めるという事もしばしば。

だから急がなくてはいけない。

俺の安眠の為にも!


手を動かす。足を動かす。首を動かす。そういった感覚は前世の記憶にある。

今はまだ出来ないが。そもそも首が座ってない。首も4ヶ月程必要だったか。

俺、それまでに自分の能力で簡単に逝ってしまえるんじゃないだろうか、と不安になるがそれはそれ。

だが超能力ってどう使うんだ?そんな感覚なんて分かるはずがない。

ロカ、あいつ使えねぇな。取説くらい用意してくれても良かったのに。

ともかくまずは簡単なものを動かしてトレーニングだ。


そんな俺の為にエールトヘンはボタンを持ってきてくれた。

服につけてあるあれだ。

丸い形状で、服に縫いつけ、服に開けられた穴を潜らせて引っかける事で、服のだぶつきを抑えたりつなぎ合わせるあれだ。

メイド達からの猛反対を受けたそうだがそこはエールトヘン。『責任は取る』という男気溢れる一言で黙らせたらしい。

赤子と言っても俺だ。さすがにボタンを口に入れないよ?


さて、ここからが問題だった。

まずどうすれば良いか分からない。

例えるなら何に使うかわからない装置を目の前に置かれて取説もなしに操作するような感覚。

どこを触って電源入れるんだこれ、っていう所からのスタート。

無駄にハードルが高い。



その日からしばらくは、寝ては起きてを繰り返しながら、他にやる事もないからボタンを見つめる日々。

勿論エールトヘンとあれこれ話しながらだが。

俺が寝るとボタンを持って隣の部屋に行き、俺が呼ぶとボタンを持ってくる、いわばボタン運搬係とも言える。

だから周りの目が怖い。エールトヘンを何だと思っているのか、彼女達に聞くのが怖い。


エールトヘンだってちゃんと役に立っている。

おしめの取り替えも眺め、哺乳瓶をしゃぶる俺を眺める。

あれ?あいつ何にもしてないように見えなくね?

いや、時々はあいつがしてくれるんだよ?

ただあいつ、俺の側にいる時間が結構長い。


俺が呼ぶからな!


だから俺が世話されているのを眺めている時が多い。

あいつが世話をする時も深夜だとか周りに人が少ない時が主で日中は『充実した人材がサポートしています』って感じだから見てるだけがほとんど。

ああ、多分あいつは損をする星回りに生まれたんだろうな。何年生きたか知らないけど。

だからあいつが世話をしている姿はあまり目撃されず、眺める姿かボタン運搬係としての行動しか周りには見えていない。


それでも役に立っているんだよ?

だってあいつだけだから。俺と話せるの。

俺が『ご飯』、『漏れたー』なんて言うからあいつは俺に触る前から分かる。

育児経験の長い乳母だって驚きだ。『エールトヘン様は赤子の泣き声でどちらかわかるのですね』などと大層褒めていた。

あいつは苦い顔をしていたが。

だからエールトヘンのポジションは監督だ。哺乳瓶を咥えさせる行動やおしめを替える行動を監督しているのだ。


俺は優秀な、それでいて周りからは意味不明な行動を取ると思われているベビーシッターに恵まれてトレーニングを続ける事が出来た。

エールトヘンが少しやつれた様にも見えるがまあ気のせいだろう。なにせボタン運搬が主な役割だからな。



能力を操ろうとして数日。

ようやく感覚がわかった。夢か現かうつらうつらとしている時に、不意に感覚があり、遠くで何かが割れる音。

ああ、これか。その時感じた感覚は手を動かすだとか足を動かすだとかとは違った。

でも同時に自分のどこかを動かしている感覚は同じで、そのどこかを知覚して感じるのがまず必要だったんだな、と改めて思った。

俺はボタンを動かそう、動かそうとしてただ見つめているだけだったのだ。

それこそ手を使ってボタンを動かすように、この別のどこかを使う感覚でボタンを動かす必要があったのだ。

『分かってしまえば後は楽』。そういう言葉を聞いた事があるがまさしくそうだと思った。

それが分かったのは起きてボタンを操ろうとしている時ではない事はエールトヘンには黙っておいた。



ボタン運搬係の矜持に関わるからな!



感覚が分かった事をエールトヘンに教えると自分の事のように喜んでくれた。

いや、いい奴過ぎるだろ。


感覚は分かっても中々うまくいかない。

分かっただけでどう使えばボタンが動くのか、そこが問題だった。


ボタンを動かそうとするのだがボタンはピクリとも動かない。

だが時々、どこかで物が落ちたり割れる音が響く。

皆、もう少しの辛抱だ。耐えてくれ。

実行犯の俺が言うのもなんだがもう少しなんだ。多分。



そんなこんなで数日。ようやくこの日が来た。

動いたのだ。ボタンが。ようやく。

ほんの少し、這いずるようだったかともかく動かしたい物が動いたのだ。

俺とエールトヘンはその結果を見て本当に喜んだ。

体さえ動けばハイタッチ位はしてたんじゃないかな。

この体が動かない事が本当にくやしい。

『ハハッ』なんて、あいつのテレパシーじゃない肉声を聞いたくらいだ。


だがな。

俺とあいつの2人で喜んだんだがようやく俺は気づいた。

周りの視線が痛い。


なぜかって?

よく考えてみてくれよ。

ボタンを運んで来た後は、用がない時はただ一心にボタンを見つめている男が笑ってるんだぜ?

ボタンを見つめてたかと思えば不意ににこやかに笑って『ハハッ』だ。

ある意味恐怖だ。


そんな自分の姿に気づく事ないエールトヘンに俺は罪悪感を感じながらも心の中で伝える事なく『俺の為にスマン』と呟いた。



一度分かってしまえば容易い。最初の内はおまけで他の物が動いたが。

俺の意識が安定してきたのか、余計な物まで動くといった事が少なくなった。

まだ時々失敗するが。寝ている間も結構やらかしているらしい。

エールトヘンがそう言っていた。


ここまで来ればもう安心かも知れない。

宙に浮いたボタンを見て唖然とする乳母やメイド達。

だけどな?

俺はそれよりもエールトヘンが実は何をやっていたのかを証明出来た事に喜んだ。

もう。もう、痛い目で見られなくて済むんだ・・・。エールトヘン・・・。


晴れてボタン運搬係が名誉ある職だと分かったメイド達はエールトヘンがただボタンを眺めている姿を妙な視線で見なくなった。

その日からエールトヘンは他の物も持ってきてくれるようになった。

少し大きめなボタンから始まって、花の形を施されたブローチや小瓶、ああ、哺乳瓶の先だけもあった。

とにかく俺はエールトヘンが物の名前を言いながら持ってきてくれた物を練習に使った。

ただ何度も何度も上げては下げて、上手くコントロール出来るようになる為に訓練した。



寝ては起きての繰り返し。

その度にエールトヘンは同じ物を持ってきて物の名前を言ってくれた。

何をしているかと訪ねたらあいつが言った。


『今はテレパシーがあるので良いが、今後は肉声で話すようにしていく必要があります。

だから今の内から覚えてください。

それに、口で話せるようになったら、テレパシーと口で話す事を別々に行う事が出来るようにしないといけません』


なるほど。エールトヘンはそこまで考えていてくれたのか。

伊達にボタン運搬係をやってないな!

俺はエールトヘンがいてくれて良かったと心からそう思う。

既にエールトヘンとしか話せないボッチ脱却の為の一歩を踏み出させてくれていたのだ。


だけどな?エールトヘン。

お前は既に忘れてるんだろうけど、俺はまだ1ヶ月未満なんだぜ?

テレパシーと何やらよくわからない特典でなぜか見えているだけで音はまだ判断がつかないんだ。

これも3、4ヶ月位からだから早過ぎるんだ。


そんな事をあいつに伝えると『やりすぎた』と言ってくれた。

どうも目が普通に見えて物の区別がつくくらいになると音も判別できているそうだ。

だから俺ももうそうなっているんじゃないか、って事で始めてしまった、と言う事らしい。


とこかくエールトヘンのその気持ちがこそばゆい。

何?今から英才教育して世界でも獲らせるつもりなのか?

言っておくけど『俺は〜になる!』なんてベタな台詞言わないよ?

むしろ既に、どうやって男から婚約破棄されるかを考えているネガティブマシーンと化しているんだぞ?

そんな事はすっかり忘れていたけどな。

あまり妙な期待をかけられると困るんだ。


まあ、口とテレパシーを別々に動かすのは努力しよう。頻繁にテレパシーに引っ張られて泣いている気がする。

黙して語る?

なんか渋い男な表現だがそれを目指そう。

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