第4話 第一回お嬢様対策会議

そこは王都の一画。貴族達の住む場所ではあるがそれほど良い立地にあるわけでもない屋敷。

アーデルハイド子爵家は子爵家の中では裕福で、伯爵を名乗っても良いのではないかと言われるほどの家格を持っている。

だがなぜか長年の功績と恵まれた領地がありながらも子爵であり続けた。

貧乏伯爵など相手にならないだけの資産がありながらも子爵のままの当主達は欲がないというのが世間での噂だった。


それでも貴族。王都における屋敷はそれなりの構えを見せている。

春をようやく迎えようとしている庭には早咲の花が咲き始め、道は玄関にある雨を凌ぐための屋根のある通路へと繋がっている。

玄関をくぐると王都でも類をみない程大きなシャンデリアが吊り下げられ、通路には等間隔に壷などが飾られていた。

壷は光沢を放ち、窓は磨き上げられ曇りなく、扉はきしむ事なく開き、ドアノブはくすんでいない。

そこに仕える者達の教育が行き届いている事もまた、その貴族の格というものを示している。


その屋敷の一室で、深刻な表情の面々が重い空気を漂わせながらテーブルを囲んでいた。


ある人物は肘を付き、手の甲で額を支えながらテーブルに視線を落としたまま顔を上げず。

ある人物はただハンカチで涙を拭いながら誰かが話し始めるのを待っていた。


全員に飲物とお茶請けが配られた後に一人の男性が話し出す。


「えー、では不肖、このマーカスが進行役を務めさせて頂きます。

それでは第一回お嬢様対策会議を始めたいと思います」


拍手などない。皆どこか真剣な表情で頷いた。



私の名はマーカス。

最近雇われた第二席の執事です。

何でもお嬢様がお生まれになられて屋敷の仕事が増えたとかで増員したのだとか。

私はお嬢様の周囲の雑事を管理する役割を任され、屋敷の一画を主に中心として活動する事になりました。


初めはそのシフトに疑問を抱きましたが働き始めてすぐに疑問は氷解しました。

濃いのです。

本当に濃いのです。内容が。


私はメイド達を管理し、部屋の内装や飾り付け、掃除が行き届いているかなどを見るだけかと思っていました。

勿論備品の管理や帳簿付けなどは私の仕事ですが主席執事がいる時点でそれほどの仕事量にはなるまいとたかを括っていました。

お嬢様はまだ幼く、外を出歩く事もお茶会に出かけられる事もないでしょうから。

お屋敷も家令を置く程の大きさとも思えないので。

ああ、この場合の家令とはわざわざそれほどの能力を持っている人物を探して来て雇う、などの事をせずとも執事が出来る程度の能力の者で兼任できるんじゃないかって事です。

どうにも主席執事の方は家令と呼んだ方がいいんじゃないかって位に行き届いた気配りをしていますが。

それでも主席執事なんだそうです。あまり子爵家で大げさな見栄を張るのは良くないそうで。



話は逸れましたが私の事です。

私はメイド達を管理し、部屋の内装や飾り付け、掃除が行き届いているかなどを見るだけかと思っていました。

それを簡単だと思えたのはいつまでだったでしょうか。

幸か不幸かお嬢様は本当に類稀なる才能の持ち主で、私もお仕え出来る事を誇りに思っています。

ええ。この気持ちに嘘はございません。

勿論ですとも。


ですが才能ある方にお仕えする悩みというのはどの貴族家にもあるようで、私もまた悩む事になったのです。

お嬢様は類稀なる才能をお持ちで、手で触らずとも物を動かす事が出来てしまいます。

私にはどうやっているのかまではわかりません。


魔法。そうです。それもあります。

私も実は少し使えますがそれとは全く異質なものです。

魔法とは大気や物質に宿る魔力もしくは体内の魔力を使用して現象を起こすものです。

使えば当然魔力の流れが変わり、使用した事がわかります。

ですがお嬢様が起こしているとされるその現象は全く魔力の流れに変化がないままに引き起こされるのです。

そして突然、何も発声しないままに起こるそれは魔法の常識から逸脱しています。

勿論無詠唱などという技術も存在しますが、高度な技術であり、その場合も魔力の変化はつきものです。

そんなお嬢様の類稀なる才能が、今日という会議の議題でもあります。



「まずは状況確認を致しましょう。被害の詳細ですが。

割れたコップ、皿、花瓶多数。もはや数えるのが億劫です。

次に壁に突き刺さったフォーク。これは数える程でしたか。

えーと、6件?程でしたね。お嬢様もこのあたりはマナーを弁えているようです。

壁にぶつかる机や椅子。多少の傷程度ですね。価格はあえて知りませんが。

ぶつかった壁の内装。これはまだ大丈夫そうですね。壁紙のやり替え程度。

ただ日に日に威力が増してきているようで。

これについては後でエールトヘン様にお伺いしましょう」


ここで何故かエールトヘン様はわずかに目を逸らしました。

ですがこちらも逃げるわけにはいきません。逃す気もありませんので続きを話す事にしました。


「続いて。おしめ、ですか。後、衣服。

おしめはあれです。使用済みおしめが巻き付いたせいで余計な仕事が発生しやすいという事以外はそれほど問題はないようですね。

絞めつけられて気絶する、などにはならないようで。やはりお嬢様はマナーが出来ていらっしゃる。

衣服もそれを見た方が驚く程度。ああ、あれがありましたね。

シェリーさんの使用済み下着が屋敷を飛び出して守衛にストライクでしたか」


「お嬢様は私に何か恨みでもあるんですか!」


チラッと先程から泣いているシェリーという名のメイドに目を向けると、シェリーは大きな声で叫びました。

そうです。この出来事があった為に、急遽皆で会議をする事になったのです。

屋敷の外にまで影響が広がり始めた事に対して何らかの対策が必要だというのが皆の共通認識です。

いまだに泣いているシェリーを慰めるように他のメイドがハンカチで涙を拭っている時、不意に誰かの声が聞こえました。


「ムシャクシャしてやった。後悔はしていない」


皆、その声を出した人物の方を見て呆然としていました。

皆の顔には『こいつ何をいっているんだろう?』と書いてあるような気がしました。

私?勿論ボーカーフェイスです。賭事弱いですが。


その言葉を呟いたのはエールトヘン様でした。

エールトヘン様は気まずそうな表情をしたまま、もう一度先程の言葉を発しました。


「ムシャクシャしてやった。後悔はしていない。とお嬢様は申しておりました」


驚愕の事実です。エールトヘン様のお気が狂ってしまいました。

確かにエールトヘン様はお嬢様に大変好かれていらっしゃるようで、お嬢様はエールトヘン様が近くにいらっしゃると良く泣く・・・、勿論笑いもします。

ともかくエールトヘン様がいらっしゃる時は感情の起伏が激しいようですが、だからといってエールトヘン様とお話できるわけではありません。

この方はいきなり何を言い出すのでしょうか。


皆の痛い視線に気づいたのか、エールトヘン様はハッとした表情の後、「違う。違うんだ」などと言い出し始めました。

何が違うのか分からない上に御年いくつでしょうか。1000歳を超えられたそうですが、そろそろお迎えでも来ているのでしょうか。

エルフの事はわかりませんが、多分そうなのでしょう。


ですが違ったようです。幸いです。今人身御く・・・、ゴホン。協力者が一人減ると皆の負担が増してしまいます。

エールトヘン様は大変信頼の出来る方で片時もお嬢様の側を離れようとなされません。

一部ロリコン疑惑が浮上していますが。

まああまりにもお嬢様は小さすぎますので杞憂でしょう。


そんなエールトヘン様がなぜお嬢様のお側に控えているかをエールトヘン様が説明してくださりました。

|精神感応〔テレパシー〕だそうです。先に聞かせていてくれたならある程度は信じる事が出来たでしょう。

ですがお迎えが来たのかと疑った後では半信半疑です。

御当主様も知っているという言葉と後で確認してくれたら良いという内容でひとまず信じる流れになりました。


そしてエールトヘン様はお嬢様のお気持ちを代弁してくださいました。


「お嬢様はシェリーさんが一番新しいメイドにもかかわらず、早く状況に慣れたどころかもう驚く事もなくなった姿を見て悪戯したくなったそうです。

でもあそこまでやるつもりはなかったと反省しておりました。

屋敷内を飛ばすつもりが、まだ慣れていない制御に失敗して屋敷の外へと飛ばしてしまったそうです。

私もそれにはさすがに苦言を呈しましたが、反省しつつもお嬢様はきっぱりこう言いました。

『ムシャクシャしてやった。後悔はしていない』と」


この言葉にシェリーさんの表情が凍り付いたかと思うと怒りが溢れ出さんばかりの威圧感を漂わせ始めました。

これ以上は不味いのではと思った私はすかさず口を挟みます。


「お嬢様も反省なさっていらっしゃるのでもう同じ様な事は起こさないと考えましょう。

それよりもエールトヘン様もお嬢様と会話が出来るのであれば教えてくだされば良かったのに」


その横でシェリーさんが『それよりもってどういう事?』などとおっしゃっていますがここはより重要なエールトヘン様の情報で話題を逸らしましょう。

私の会話運びにエールトヘン様は合わせてくださいました。


「お嬢様はまだお生まれになられて一ヶ月程度。能力が安定していない上に、この環境にどうにも戸惑っているように見受けられます。

当然の事ながら新しい場所に新しい人達。

そんなお嬢様の混乱状態が落ち着いてからでなければこちらからのお願いらしいお願いも出来ないと思ったので秘密にしておきました。

皆さんにはお嬢様の現状を考慮して頂きたく思います。

まだ赤子の他愛もない悪戯。それで許して上げて貰えませんでしょうか」


やけにお嬢様を擁護するエールトヘン様にちらりとロリコン疑惑が再度浮上しかけましたが、やはりお嬢様はお嬢様。

起きている事態が異常だから忘れがちですが確かに生まれたばかりの赤子に対して厳しい態度を取るのはどうかと。

そう考えさせられます。

目線をシェリーさんに向けると彼女もわかってくれたようで落ち着いてくれたようです。

なので私はその問題は済んだ事にして、新たに浮上した問題について軽く触れてから議題を進める事にしました。


「一部気になる発言があったのですが。エールトヘン様。後でお嬢様の能力が強くなっている事と共に、『制御に失敗した』という意図的に行っていると受け取れる発言についても言及させて頂きますがよろしいでしょうか?」


どうにもエールトヘン様は私と目を合わせたくないようです。ですがまあ逃す気はありませんので話を進めましょう。


「では話を続けます。

お嬢様は基本的に部屋からはお出になられませんが、なぜか能力は部屋の外まで及んでいます。

そのために通路に置いてある花瓶が動いたり近くの部屋の書物などが書棚から飛び出すといった被害も出ているようです。

なんでも旦那様秘蔵の本が奥様にばれてしばらく口も聞いてもらえなかったようです。

ですがまだ、幸いにも人的被害は発生しておりません。やはりお嬢様の優しさが滲みでているのでしょう。

私が報告を受けた限りでは多少の擦り傷や切傷はあったそうですが大きな怪我については発生していません。

これは間違いないですね?

ちなみにエールトヘン様が哺乳瓶を咥えさせられた羞恥プレイや目で紅茶を飲まされたよくわからないプレイなどは省かせて頂きます。主にエールトヘン様は例外扱いで」


誰もそれに異論は無いようで皆で目配せした後に頷いています。エールトヘン様以外ですが。

エールトヘン様は既に何か諦めた様な感じでテーブルへと視線を落としています。

ああ、助かります。弾除・・・ゴホン。協力者が頼りになるというのは実に心強い。

旦那様秘蔵の本に関しては、奥様は本自体よりも描かれた人物の髪の色や目の色が自分と同じ色ではない事に言及なさったそうです。


「次にお嬢様と奥様の事になります。

お嬢様が宙を浮いた事が3度あったと報告を受けました。

慌てて抱きしめたそうですがその際にお体に異常はなかったと聞いています。

今後も同じような事が発生しそうでしょうか?

エールトヘン様」


私の問いにエールトヘン様はようやく目を合わせてくださり、話してくださいました。


「ああ、その件については自重なさってくださるそうだ。

ベッドの上が退屈なんだそうだ。

なにせ話し相手が私だけだからな。

色んな物に興味を持ってしまっているからすぐにでも外出したいなどと言っていた。

だから私の方から、『もう少し成長されてからなら許可を頂けるか相談する』という事で折り合いがついている。

しばらくは大丈夫だろう。皆は下手な刺激を避けてくれ。

噂話や美しい景色や王都で人気の物だとかをなるべくは耳に入れないように注意を頼む」


何がもう少し成長してからなのかはこれ以上追及しないとして、エールトヘン様の頼み事をメイド達は聞く気はないように見受けられます。

皆、エールトヘン様から目を逸らしており、エールトヘン様もその様子に困惑していらっしゃいます。

エールトヘン様は言葉を継ぎます。


「え?私は何かそんなに難しい頼み事をしたのか?」


その問いにメイド達は頷き、代表としてメイド長のアンジェラが答えました。


「お言葉ですがそれは出来ません。恐らくお嬢様が得られている知識は奥様との会話からだと思われます。

なのでそれを避けるという事は奥様を遠ざける事以外には出来兼ねます。

奥様もお嬢様を見ながらのお茶会を楽しみになさっておいでですので、そこはエールトヘン様の広いお心でなんとか」


問題事を減らす事の出来ないエールトヘン様はただ黙って溜息を付くばかりでした。

私は自身に降りかからない事柄だったので気にせず流し、次の話に進めます。


「では最後の問題です。

お茶を楽しむ奥様が飛んだ件ですが。

エールトヘン様。これについてはお嬢様はなんと?」


「能トレ?などというものをやったそうだ。

何でも重いものを持ち上げてトレーニングしたかったそうだ。

これも言っていたよ。『持ち上げたのはテーブルだった』。

テーブルを持ち上げようとしたら持ちあがらなくて奥様が持ち上がったらしい」


しばらくの間、沈黙が流れました。

その時の奥様は持ち上げられながらも何も起こってないかの如く優雅にお茶を楽しんだそうです。

やはり娘を信頼しているのでしょうか。

あの子にしてあの親あり、と言ってしまいたくなります。

いち早く立ち直った私はエールトヘン様に再度確認をしました。


「では今後は発生しないという事でよろしいですね?」


「ああ。最近少しは順調に進んでいるらしい。何かが」


不安になる一言が付いておりましたが主だった懸案事項を確認できた私はほっと安堵しました。

なのでここからは対策です。


「ではエールトヘン様に関しては後に回すとして。

まずは割れ物です。

お嬢様エリアに皿、コップなど不必要なものは持ち込まないようにします。

次に持ち込むものは割れないように強化したものにしてください。

後、順次施工中ですが、窓も強化ガラスにしています。

また、通路の花瓶等も一時撤去で。護衛とエールトヘン様で何とかしてもらいましょう。

飛び易い小さな物も撤去で。

後、ナイフやフォークの類も持ち込み禁止でお願いします」


その言葉を聞いたメイドの一人ベティが質問してきます。


「では奥様のお茶会では軽食を出す事は出来ないのですか?」


「どうしても奥様が食べたいというのであれば、奥様には申し訳ありませんが多少の不作法を許容した上でお手に取って頂くものに限定しましょう。大事なお嬢様の為です。御了承頂けるでしょう」


私の一言に満足したのかベティはそれ以上の質問はしませんでした。

ですが同じくメイドの一人デイジーが別の質問を投げかけて来ました。


「マーカス様。通路の花瓶ですが割れない物を置くという事では駄目なのでしょうか。何も飾りがないというのも不自然に見えると思うのですが」


「割れない壷や花瓶となるとそれだけ重量が増します。もし仮に足に落ちた場合は大変な事になりますし、もしそれがお嬢様のせいだとするならお嬢様がお心を傷めるかもしれません。なにより割れない壷や花瓶に何か意味があるのでしょうか?」


「え?ですが割れるから撤去するのですよね?」


「ええそうです。そして割れるから置いているのですよ。そのあたりを勘違いしないでください。あくまで一時撤去です。

その間は先程言いましたが護衛やエールトヘン様に頼る事になります。その内あなたにもわかります」


あまり納得したようには見えないですがデイジーもそれ以上の質問をせずに、皆もこれ以上の質問をしませんでした。

私は話を続けます。


「部屋の内装等は状況に応じて改装しましょう。

必要ではないものはお嬢様エリアの外に出す事にして、必要なものは隣接するエールトヘン様の部屋に運んでください」


これにも皆、異論は無いようだ。エールトヘン様ですら。もはや観念したようです。

エールトヘン様は最初、客人用の部屋をあてがわれていたのですが、一日の大半をお嬢様の側で過ごす事からお嬢様の部屋の隣にお移りになられました。

なぜそうされたのかは不明ですが、エールトヘン様はとてもお嬢様を大事に思っているようです。


「さて、エールトヘン様。

お嬢様の事です。

先程お話したように、お嬢様の能力は日に日に強くなっているようですが、それはもしや先程の『制御に失敗した』などという失言と何か関連がおありでしょうか?」


私は直球勝負に出ました。ここで回りくどい事をしてエールトヘン様に逃げられるわけにはまいりません。

さすがにエールトヘン様もそこはわかっていらっしゃったようで、話してくださりました。


「まず誤解の無いようにして欲しいのですが。

お嬢様は悪戯がしたいから物が宙を飛ぶわけではないという事です。

お嬢様は類稀なる才能をお持ちですが、まだ使いこなせておりません。

そのままにしておくと、誰かを知らぬ内に傷つけてしまうでしょう。

そうならないようにお嬢様は既に訓練を始めておいでです。

皆さんにはその御理解を頂きたく」


ここでエールトヘン様は皆を見渡した後に誰も異論がない事を確認してから話を続けられました。


「お嬢様はその能力を使いこなそうと努力しており、その成果は徐々に出ております。

ですが使いこなそうという努力の結果、目に見えてその能力が成長している、というのが現状です。

いわば避けて通れない道と言えるでしょう。

考えてみてください。お嬢様が訓練をしないままに能力だけが成長してある日突然暴走する。

その時にお嬢様が受ける心の傷は大きいものになるでしょう。

今だからこそ出来るのです。

それには皆さんの協力が必要なのです。

お嬢様が健やかに育つ為に是非とも協力して欲しいのです」


エールトヘン様はそれはもう触れるだけで熱いと思われる程の熱弁を振るって皆を説得していらっしゃいます。

ですが分かっているのでしょうか、エールトヘン様は。


貴方様は実は客人なのです!


私共が貴方様に協力を仰ぎ説得するのが普通でございまして、貴方様が私共に協力を求めるという事がおかしいのです。

ですがまあ、気づかれて今更こちらから説得するという面倒な事にならない事が分かったのであえて口にはしません。

ええ、今エールトヘン様に逃げられては私が困ります。



私がエールトヘン様の話を聞いている皆を見て頷くと、皆も私を見て頷いてくれました。

皆の気持ちは今、一つになりました。



決してエールトヘン様を逃さない、と!



私共のそんな様子を暖かい目で見ていたエールトヘン様のなんてお人好・・・ゴホン。

もとい、エールトヘン様の素晴らしい人格には皆が尊敬の眼差しを向けています。

決して、他意はありません。ええ、ありませんとも。

恐らくエールトヘン様は今、私共が一致団結して協力してくれると思っていらっしゃるでしょう。

ならそのままの方が皆幸せになれます。



エールトヘン様は言葉を続けられます。


「お嬢様との会話はようやくまともに出来るようになってきました。

周囲の状況をようやく受け入れられたようで私の話にも耳を傾けてくれます。

自身の口でお話になられるまでは私が代行しますのでどうしてもお願いしたい事などが出てきたら私に言ってください。

私からは以上ですが何か質問はありますか?」


そのエールトヘン様の言葉を聞いて奥様の出産に立ち会ったリンダが質問をしました。


「エールトヘン様はお嬢様にお名前をお付けになられましたが確かあの時に"封じ名"などとおっしゃっておられました。

ですがお嬢様の有り余る元気さに私共は少し手を焼かされていますが本当に何か御利益があったのでしょうか?」


その言葉を聞いたエールトヘン様は少しだけ苦笑しましたが説明をしてくださりました。


「あれはお嬢様を護る為の加護で、いわば死神の目から隠す、といった意味が強いものです。

そうですね。護り名とも言われる事もあります。

お嬢様に関してはそれ以外にリミッターを設ける、という意味もあります。

これから成長していく中で、まだ力を上手く扱えなかった時に暴走してしまう事もあるでしょう。

そういった時に暴走を止める事が目的です。

ですので暴走しているとまでは言えない現状の能力には何も効果がないのです。

ですが暴走した時には必ず効果がありますので安心してお嬢様のお世話をお願いします」


ああ、なんというエールトヘン様の優しさなんでしょう。

まさか私が言わなければならない事まで言ってしまわれるなんて。

この方はあれですね。知らぬ内に苦労を背負う方なんでしょう。

私は確信しました。

エールトヘン様がいらっしゃれば楽が・・・、ゴホン。何も心配する事はないと!


エールトヘン様の頼もしいお言葉にリンダも納得したようです。

これ以上の議題もないので私は会議を終わらせる事にしました。


「では今回の議題も片付きましたので終了とさせて頂きます。

アンジェラは書き留めた内容を整理して提出するように。では解散」


皆がそれぞれの持ち場に移動する中、私はエールトヘン様が立ち去る後ろ姿を眺めておりました。

寝不足ながらもしっかりした足取りでお嬢様の部屋へ直行する真面目っ振りに目頭が熱くなりそうです。

分かっていらっしゃいますか?エールトヘン様。

奥様よりも乳母よりも、誰よりもお嬢様の側にいる時間が長いのは貴方様なのです・・・

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