『金色の野辺に唄う』
『
著者 あさのあつこ
古本屋さんで見つけた「あさのあつこ」さんの文庫本。
あさのあつこさんが好きなので購入しました。内容とか全く知らずに。
読んでびっくり。
「あれ? 『星を掬う』に似ているなぁ」
と、思いました。
こんな短期間で、同じような話を読むことになるとは……
一体、なんのスイッチが私に組み込まれているのでしょうか?
「金色の野辺に唄う」も数人の人生の物語を描いております。重いです。暗いです。最後の方は、お腹一杯でした……。
冒頭は、松恵さんというおばあちゃんが『死』を前にして、いろんなことを独白していく場面から始まりますが、ここは引き込まれます。
そこから、曾孫やら娘やら花屋さんやら、登場人物の視点に合わせて人生が語られるのですが、明るい話がないのです。
心にある傷を描いていく感じでしょうか。
そして最後に魂となった松恵さんの言葉に結ばれて行きます。
百年近くを生きれば、全て枯れ、悟り、遺す思いもなくなり、身軽に旅立てるとばかり信じておりましたが (略)
わたしは人間。神でも仏でもありませんからね。ずるずるといろんなものを引きずったまま、別れを告げるしかないのでしょう。
おばあちゃんの言葉のように「あー、やり切った。自分の人生、悔いなし!」なんて軽やかに穏やかに死ねる人は、少ないでしょうね。
きっとみんな、何かしら引きずって死ぬような気がします。
他人さまの心の中を切り裂いたって、何もわからない。出てこない。きっと心の奥にはドロドロとしたものが渦巻いていて、みんな必死に隠して生きているのではないでしょうか?
えっ? 私だけ(笑)
恨みつらみ、妬み嫉み、欲さえもなく、ただ人生に感謝し、他人に感謝し、そんな風に生きた人だけが、スッキリと天国へ旅立てるのかもしれないですね。
そんな人っているかなと思ったら、幕末から明治にかけて実在した人物「仙台 四郎」さんが、そんな人かもしれません。
知的障害があり会話能力が低かったそうです。でも、いつも『にこにこ』していたとか。この四郎さんが、訪れるお店は繁盛するという噂がたち「生きた福の神」と呼ばれるようになります。
そこで、お店の人たちは四郎さんに来てもらおうと「あの手この手」で気を引こうとしますが、気に入らない店には行くことがなかったとか。
四郎さんのような方は、死ぬときには、ずるずると引きずるものもなくスッと「天国」へ旅立てるかもしれません。ちなみに「福の神になった少年」という仙台四郎の物語が出版されております。
残念ながら、私は読んでいませんが「仙台四郎」のグッズを持っていると縁起が良いと言われていますよ。大阪のビリケンさんみたいですね。
なぜか、『金色の野辺に唄う』から、仙台四郎さんに繋がってしまいましたが、今日はこの辺で。。。
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