第1章. 立花和江の証言(女性 45歳 家政婦 1925年9月25日13:30)

 はい、警察に旦那様の事をいくつか聞かれました。まさか自殺なんて、考えもしませんでした。旦那様も結局は人の子であったということなのでしょうかね。そのような素振りは全くありませんでしたが。

 私が浅草の屋敷に勤め始めて3年くらいになります。口入屋さんの紹介でこの仕事に就きました。私は結婚に縁がなかったようで、一人暮らしです。私の若いころには最近流行りのモダンガールなんて言葉はありませんでしたので、いい年をした独身女なんてやはり世間様の目には奇異に映ったでしょうね。まぁ結婚しようといってくれた男性はいたのですが、何となくその気になれなくて、気が付いたら嫁き遅れてしまいましたわ。その分仕事に打ち込んでいました。主に洋装店で接客をしていました。こういっては何ですが私は売り上げでは男性社員にも負けないくらいの成績を上げていましたわ。今でこそ洋装も珍しくなくなりましたが、昔はなかなか思い切った服装でした。お客様と一緒に商品を選ぶのはとても楽しかったものです。でもこの年になると経験だけではやっていけないことを実感しましたので別の職業を探して、家政婦という仕事に就きました。料理や清掃はそれなりにできましたし、洋装店に勤務していた時にそれなりに蓄えることができましたので、女一人で身軽に生きていくにはこの仕事はあっていました。お休みを頂くことも度々ありましたからそれほど厳しい職務ではありませんでした。

 口入屋さんも家政婦を急いで探していましたので、間を置かずに勤務することになりました。お給金はかなり高かったので、すぐ他の人に決まってしまうと思ったのですが辞退が相次ぎ私のところに機会が回ってきました。勤務するようになってから知ったのですが、旦那様は近所では変わり者で有名だったそうです。屋敷もどことなく陰気で暗い印象を与えていたように思います。屋敷は子供達から「お化け屋敷」と呼ばれていました。私も初めてお屋敷に入りました時には不気味に感じましたわ。建てられたのは震災の後らしいのですが、何とも言えない雰囲気がありましたね。

 屋敷に初めて勤めるときに旦那様からいろいろと“諸注意”を受けました。入ってはいけない部屋や食事の時間など事細かに指示されました。旦那様はよく入ってはいけない部屋で何か科学的な実験をされているようでした。私は学のない人間ですので何をなさっているか全く見当は付きませんでした。一度だけ何をなさっているか聞いたことがありましたが旦那様の説明を理解できませんでした。旦那様からは食事と清掃、洗濯をしっかりやればそれだけで良いといわれました。私はいつも午後7時に帰宅しましたが、夜にお客様があった時などは旦那様の自ら準備や給仕をしていたようです。朝、出勤したら台所に湯呑や軽食の洗い物が溜まっていたことは何度もありました。

 旦那様の交友関係は良く存じ上げません。背広姿で来る方々は元の取引先や部下だった方のようで何度か名刺をもらうことがありました。旦那様が玄関で出迎えることはありましたが屋敷に上げたことは殆どありませんでした。旦那様はよく自分はもう終わった人間で、仕事から解放された人間なのだから昔のことに関わりたくないとよくおっしゃっていました。旦那様はお仕事で大成された方ですからそれなりに苦労もあったのでしょうし、正論だけでは商売は回らなかったのでしょうね、思い出したくない事もあったのだと考えています。

 他には自称大学教授や自称超能力者、自称修験道者等という得体のしれない方がよくいらっしゃいました。そういった人間の対応は旦那様が直接なさっていました。私には研究内容はよくわかりませんが素性が知れない詐欺師か何かだというのはすぐわかりました。旦那様はそう言った人間でもとりあえず屋敷に上がらせ話を聞いていました。ですが世間様が言うほど見境が無くお金を渡していたわけではありません。昔、しっかりした科学的な知識を学んだとおっしゃっていましたわ。宗教に関する知識、海外の科学論文、どこで学んだかはわかりませんが奇術のタネなどにもお詳しかったようで、生半可な知識で来た方々は最後には罵声を浴びせられて逃げ出したことは多々ありました。ですがこれぞという人には資金を提供していたようでした。ただ研究内容は私にはまったく解らないことでして、どういった点を評価して資金を決めていたのかは解りませんでした。

 他に屋敷に来た人間では若い女性でしょうか。お名前は存じ上げませんが「安田さん」という中年くらいの男性が何度か連れてきているようでした。安田さんがどのような人間で、どのような仕事をしているかはわかりませんでした。このことは警察にも話をしました。ただ旦那様から何かを依頼されて女性を連れてきていたようでした。連れてこられた女性がどのような女性で、何のために屋敷に来たのか、現在どうしているか等は私も知りません。お客様が来るのは大抵夜でして、私は夕食の片づけや翌日の準備などを終えるとすぐに帰るように言われていましたし、旦那様も詮索はしないでほしいといわれたので、興味はあったのですが結局は調べる間もなく帰宅いたしました。

 旦那様は激しやすい性格の方でこれは若いころから変われなかったようでした。ですが落ち着くといい過ぎたといって謝ってくることは多々ありました。自分はこの性分で随分と損をしてきたとよくぼやいていました。確かによく怒鳴ることもありましたが世間様の言うほどではありませんでしたし、自分で性分を抑えるようにしていらっしゃったようです。気分を害しているとき以外はとても無口で、紳士といってもいいくらいの方でしたわ。

 息子の晃様との仲はそれなりに良好でしたと思います、ですがやはりどこか避けているようにも見えました。晃様がいらっしゃるのは決まって夜、仕事が終わった後で屋敷にいらっしゃったようで、私が直接お会いしたことは殆どありませんでした。

 勤め始まって最初の日に自分に何かあったらすぐに晃様を呼ぶように言われていましたので、あの日、そのう、旦那様の不幸があった時も警察の前に晃様に連絡して、指示を仰ぎました。警察からは旦那様は自殺したと聞きましたが今でも信じられません。私は旦那様の事を深く知っていたわけではありませんでしたが、基本的に気の強い方でしたので自殺という選択を選ぶのは考えにくいと思います。晃様も同じようなことをおっしゃっていました。そういえば旦那様の財産ですがすべて晃様のところに行ったようではないようですよ。顧問の弁護士様のところに生前、遺言状を残されていたらしくって、内容はわかりませんが晃様がそんなことを話していたのを聞いたことがあります。まあ財産の大部分は生前に譲り受けていましたので晃様もそこまで気にしているようではなかったようです。

 事件の前日ですか。特に変わった様子はございませんでした。私ですか、こういうのってアリバイっていうのですよね。警察にも聞かれましたが午前7時に出勤して、いつも通りの炊事や洗濯、掃除を行いました。夕食を済ませると洗い物をして、旦那様に退勤する報告をいたしまして午後7時に帰宅しました。夕食はお屋敷で頂いたので帰ってもすることが無いので、10時ごろには就寝いたしました。そうですね自宅にだれか来るわけではないので私の行動を証明してくれる人はいませんね。警察にも同じように話しました。ああそういえば、旦那様は電報が無かったかと5回聞かれましたわ。私が屋敷にいるときには電報は届いていませんでした。緊急の連絡は電話でしていましたので電報が来ることは珍しかったと思います。あと、8月1日に出勤した時に台所に洗っていないティーカップが2つ残されていました。紅茶を召し上がっていたようでした。夜、誰かいらっしゃっていたかもしれませんね。心当たりはありませんが。


「千家昭三の生活の一端はわかりましたね」

「ええそうね、この程度の事はすでに警察も把握しているでしょう。新しい情報はなかったわ。ところで忍、あんたは立花和江をどう思ったかしら」

「ええ、そうですね。落ち着いた女性ですね。女性の独り身というのは珍しいかもしれませんがお金に苦労している感触はありませんでしたね。自宅も整理されていましたし、話し方も落ち着いていました。特に問題は無いように思えます。警察に何度も説明しているからかもしれませんが、こちらが知りたかったことをちゃんと理解して説明している印象を受けました。やっぱり無関係なんじゃないかな」

「それはそうだけど犯罪なんて起こってみるまではわからないものよ。意外な人が意外な犯罪をしでかすから面白いのでしょう」

「お嬢さん、やっぱり無理やり事件化しようとしていませんか。それに大抵の犯罪は“やっぱりあいつが犯人だったか”って感じで、怪しい奴がやっぱり犯人ですよ」

「それは見解の相違ね。ともかく立花和江は事件に関わっている感触はあったかしら。」

「いえ、それは特に感じませんでした。先ほども言いましたが、お金に困っている様子もありませんでしたし、証言に不自然な話もありませんでした。家は質素でしたが清貧というか、金のかかる暮らしをしているような印象はなかったですね。家政婦としての収入で自立出来ていたようです。あの人が犯人ないし共犯者ならこの事件は解決できませんよ。立花和江は白ということ前提で話を進めないといけません」

「そうね、不自然さは感じなかった……。例えば家政婦というのは仮の姿で実は……」

「愛人でした。なんて落ちは誰でも考え付きますよ。でも愛人というには年を取り過ぎていませんか。普通の男性は愛人にするならもっと若い女性だと思います。家に出入りしていた若い女性がいたとの証言もあるのですから普通はそちらが愛人なり妾なりでしょう。」

「そう思うのはあなたが子供だから。若い男女にはない情熱というものがあったかもしれないでしょう」

「お嬢さんがそういう風に事件を誘導しようとしているだけでしょう。とはいえその可能性も考慮しなくてはなりませんね。あと実は立花和江とは親子関係だったってのはどうですかね。年齢的に考えていけなくはないかと思います」

「それなら、今、思いついたけど屋敷に来ていた娘は隠し子という可能性があるのでは。息子に行かなかった財産は隠し子に相続されたと説明できるじゃない」

「いずれにせよ『安田』というと人物と妾、或いは隠し子の娘ですが、そちらの方は警察の手が回っていると思います。それと気になったのは立花和江自身ではなく、千家昭三の生活ですかね。“先端科学”はともかく、オカルトや超能力なんてものに興味を示すような人間とは思えないのですが」

「そうね、現実主義者だからそんなものに手を出す人間とは思えなかった。彼は何をしようとしていたのかしら」

「それがこの事件の肝でしょうね。千家昭三の急変及び行動の原理を突き止めないと自殺なり、事件なりの真相にはたどり着けないと思います。あと少し思ったんですけど立花和江は千家昭三の実験なり生活なりを盗み見たり、盗み聞きをしていなかったのでしょうか。理解できないにしても、気にならなかったとは思えないのですが。」

「ならそれらしい証言をするのではないかしら。まぁ杓子定規に仕事だけをしていたとは言わないわ、好奇心は人並みにはありそうだし。ただ繊細な問題ね。家政婦の職をすぐに手に入れられたのは前任者が長く続かなかったからでしょう。思うに辞めていった家政婦は昭三の生活に踏み込み過ぎたのではないかしら」

「その可能性はありますね。次はどうします」

「他にも訪問予定の人がいるわ。『審査』に『合格』した人間よ」

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