Another One Bites The Dust

木村 ケンゾー

プロローグ.暇な人たち(1925年9月25日10:30)

「千家 昭三」の死亡が確認されたのは1925年8月1日の事であった。第一発見者は同氏の屋敷で働いている通いの家政婦の女性「立花 和江」であった。立花和江は午前7時から午後7時までほぼ毎日勤務している。家政婦は8月1日に通常通り出勤し、昭三氏のために朝食の準備を始めた。昭三氏は基本的に午前6時ごろには起床し、散歩や新聞を読む習慣があったが、時折起床が遅くなる日があった。遅くとも午前7時30分ごろには起床するので家政婦は通常通り朝食を作り始めた。だが8時を過ぎても昭三氏が寝室から現れなかったため、様子を見にいったのである。家政婦は寝室のドアを何度かノックし、声をかけても返事がなかった。8時30分を過ぎても反応がなかったため居間に保管されている合い鍵を使い寝室に入った。昭三氏は天井の梁にかけられた縄で首を吊っている状態で発見された。


 家政婦は急いで息子であり千家男爵家当主である「千家 晃」がいる本家へと電話を掛けると事情を説明し、本家の人間が来るのを待った。本来ならばこの時点で警察へ連絡するのが筋ではあったが千家男爵家の体面を考え、当主である晃氏からの指示を待ったのである。約1時間後、晃氏とお抱えの医者が屋敷へ到着した。晃氏と医者は昭三氏の身体を下ろし、死亡を確認した。晃氏は警察に連絡する事と寝室を封鎖する事を決定した。またこの時点で寝室の窓の鍵がってかかっていることが確認された。午前11時に所轄警察署の刑事と連絡を受けた駐在所の警官が合流し、屋敷に入り、遺体を確認した。

 

 家政婦の話では遺体を発見してから屋敷を出入りした人間はおらず、寝室へは立ち入る者は無かった。また寝室の家具などには触れていないとのことであった。ただしすべて家政婦の証言であり、それなりに広い屋敷の中を一人で監視することは不可能なので完全に人の出入りはなかったとの断言はできない。

遺体はすぐに検察医によって検死にかけられ、死後硬直の状況や胃の内容物などから死亡時刻は8月1日の午前0時頃であると推測された。遺体には傷などはなかったが首には黒い星型の痣のようなものが発見された。それ以外には目立った外傷などはなかった。痣は大きなものではなく、何らかの暴行を受けた痕跡ではないように観察された。死因に関しても索条痕の跡から第三者による絞殺の可能性は考えにくく、縊死であることが疑われた。寝室のドアは内側から鍵がかけられていた。鍵は千家氏本人が管理する1本と居間で保管されたものが1本、そして晃氏が本家で管理している1本の3本だけである。昭三氏が管理していた鍵は寝室の寝台の上に置かれていた。窓は鍵が内側からかけられており、家政婦が部屋に入った時点で鍵がかかっていることが確認されている為、寝室は密室であった可能性が高い。

寝室に踏み込んだ刑事の手によって遺書と思われる書置きが発見された。内容は自分が死んだ後の細かな指示が書かれていた。書置きには自殺の原因となる理由などは書かれてはいなかったが、警察は自殺と判断し、捜査はその原因や背景などの調査に移行した。


 昭三氏の屋敷は浅草の一角にあり、一人暮らしだった。今年で数え年68歳になる。千家昭三の家系は華族であった「千家子爵家」の分家であった。明治維新以前から生糸産業を主に扱う豪商として成り上がり、国家への多大な金銭の援助を行った事により千家氏の祖父の代に男爵位を授けられた。昭三氏も実業家として名声を高めた人物であった。現在は家督を息子に継がせると、浅草の一角に屋敷を建て、隠居生活を送っていた。妻帯はしておらず、独身であったが40歳のころに「千家 晃」を自分の子供であると周囲に公表し、認知させて次期当主として迎えた。

昭三氏は65歳になると事業からは一切の手を引いた。一族の財産も大部分を息子の晃氏に引き継いだが、それでもなお、かなりの資産を所有していた。それを元手に道楽に興じる生活を送るようになった。実業家時代は冷徹な現実主義者であり部下や使用人を怒鳴り散らし、叱責が絶えなかった。だが隠居すると人が変わったようにそれまで付き合いのなかった怪しげな人間たちと交流するようになった。最初は晃氏も付き合いに関して諫めてはいたが、聞く耳を持たず交流を続けることから次第に諦めるようになった。これには爵位や資産の大半を譲り受けた為、一族にはほとんど影響がなかった事でもある。

 

 昭三氏はオカルトや超能力、多岐にわたる「先端科学」などの分野に投資を行っている。投資という表現はしたが実際には研究費の名目で多額の資金を渡しており、何かしらの見返りがあったような事は無かった。その為、屋敷にはそれまで全くない付き合いがなかった怪しげな人間達が出入りするようになり、その大半は金を目当てにした手品師や詐欺師であった。昭三氏は家を訪問した人間達に研究活動の成果を見せるよう要求し、その結果如何によって投資資金が決まっていたようである。昭三氏の「審査」はかなり厳しかったようであるが、ごく少数の者が「審査」に「合格」して、かなりの額の金を受け取っていたようである。

 

 捜査は昭三氏の周囲の人間の聞き込みを中心に行われた。生前から親しい友人などはおらず、隠居してからは更に人付き合いを避けるようになっていた。仕事の付き合いがあった人間や元の部下が稀に屋敷を訪問することはあったようだが、それもほとんど会うことが無く、玄関先で追い返されたという。浅草という下町にもかかわらず建てられた屋敷は周囲から多少浮いており目立つ存在でもあった。近所に住む人間からの評判はあまり良くなかった。怪しげな人間たちが出入りするだけでなく、夜中に何かの罵声が聞こえることもあり、周囲から苦情を受けることも度々あった。散歩をしている姿はよく見られたが近所の住人たちとの会話は殆どなく、どのような生活をしているかはよくわからなかった。家政婦の話では屋敷の中には昭三氏しか入れない部屋などがあり、何が行われているかはわからなかった。また「審査」を受けに来た人間以外にも、うら若い女性が時折訪れていることも目撃されている。年のころであれば10代半ばから後半の少女であり、近所の住人は愛人或いは妾ではないかと噂されていた。


 事件に進展があったのは8月4日になってからである。当初は自殺という方向で事件は処理されようとしていたが、現場検証時に押収された昭三氏が常時服用していた粉薬から致死量のヒ素が検出されたのである。昭三氏は60歳を過ぎたころから胃の調子を崩しており、お抱えの医者から薬を日に一回、夕食後に服用するように処方されていた。薬は寝室の戸棚に保管されており、戸棚には鍵はかかっていなかった。薬を服用している事実を知っていたのは息子の晃と医者、家政婦だけである。戸棚にあった指紋を調べたところ、息子と家政婦の指紋が検出されたが、息子と家政婦は掃除や千家氏本人から薬をとってくるように頼まれたことが度々あったことから、事件に関与している可能性は低いと考えられた。ヒ素が検出されたことにより他殺の可能性が浮上したが、検死の結果によりヒ素を飲んだ痕跡が無かったことと遺書の筆跡検査から千家昭三氏本人の書であることが確認されたことから事件とは関係が無いと判断された。捜査に当たった刑事たちの間には首吊り自殺が失敗した時のために昭三氏本人が調達したのではないかとの意見が出て、それが支配的な考えになった。

 事件自体は多少不自然な点があったが結局は自殺ということで処理された。捜査は9月20日に自殺ということで発表され、公的な捜査は終了した。


宮は手帳から判明している事実をタイプし、印刷した。内容を読み返してはため息をついた。せっかく整えた洋髪をくしゃくしゃに掻きむしると机に突っ伏した。

「お嬢さん、お茶入れましたよ」

背後から声がかかる。着古した着物姿の若い男性が湯呑を乗せた盆を持ってきた。

「ああそう、とりあえずいただくわ」

「茶菓子は切らしていますので、お茶だけですけど」

男はタイプされたばかりの「報告書」を手に取り眺めた。

「この話、まだ調べているんですか。警察の方では自殺ということで決着がついたのでは」

「それでも納得できないの、この事件まだ真相に至ってないと思う」

「そうですかね。遺書っぽい書置きがあって、密室で発見された首吊り死体なんて自殺でしょう、普通」

「一般人はそう思いがちだけど、絶対に裏がある。警察が突き止めていないだけでね」

「そこまで言うからには、何か根拠があるんですか」

「明確な根拠は…。そうね、一番不自然に思うのは千家昭三氏の心情かしら。生前の昭三氏の交流があった人間は皆そろって自殺するような性格ではないと証言しているわ。千家男爵家は生糸産業で成り上がった一族であり、爵位を持っているけれど商いを疎かにしていない。昭三氏も子供のころから商いのイロハを叩き込まれて育っているし、家督を継いでからも商売に精を出し、家をさらに大きくしたわ。その経営方針は非常に厳しく、部下や取引先、家族に至るまで恐怖の象徴のように扱われていた。商売に関しては非常に強かで良く言えば固い経営、普通に言ってかなりあくどい取引を強いていた。おかげで取引先はほとんど利益を出せなくて、かといって取引をやめると嫌がらせじみた手法で圧力をかけてくる。恨んでいる人間はかなりの数に上ると思われる。性格もかなり傲慢で人を人とも思わないやり口は反感を買っているし、そんなことができる人間は自殺するような繊細な精神があるとは思えないわ」

「だからといって自殺に見せかけて殺した人間がいるということにはならないのではないでしょうか。警察の調べでは他殺の可能性は低いとなったはずですが。まぁ『報告書』を読む限り、穴はありそうですが」

青年は茶をすすると話をつづけた

「最初に遺体を発見した家政婦ですが、状況が状況ですし、慌てていたのはわかりますが怪しいですよね。この人が犯人ないし共犯であったなら犯行の機会なんていくらでもありますし、証拠の隠滅なんか簡単でしょう。完全犯罪も簡単です。家政婦が犯人一味でないと仮定しないと考える意味もないのではないでしょうか。もちろん警察も他殺の可能性がでた時点で家政婦を疑ったでしょうし、実際に捜査もされたでしょう。それで事件とは無関係とされたのですから、本当に無関係なんでしょう」

「まあ、そうね。家政婦の証言に関する資料が手に入らなかったから、それはこれから取材することになるわね」

「えっと、まだやるんですか。天下の鷹司家のお嬢さんがあまり不用意なことをすると、おばあ様の小言が増えますよ。お嬢さんへの小言が増えるだけならまだしも、僕までおばあ様の覚えが悪くなると困るんですよ。学費に影響しますからね。実家は僕を養っていくほどの余裕がないんです」

「だからって犯罪を見逃していいことにはならないわ」

「その犯罪自体が無いという話なんですよ」

「とにかく車を出してちょうだい、忍。これから浅草に向かいます。立花和江に話を聞きに行きましょう。訪問の約束は取り付けてあるわ」

「事務所、空けちゃっていいんですかね」

「誰も来やしないわよ。社長には書置きでも残していけばいいわ」

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