彼はきっとクソボケ野郎。

化けがっぱ

第1話こんなお兄さんが近所にいたら性格ゆがむ。



「隣の圭一くん。大学に合格して東京行くんだって~。」


朝食の最中、母親に言われた一言に衝撃を受けた。母親にとって何気ない一言だったのだろう。のほほんとした空気が食卓を包んではいる。しかしそんなことはもうどうでもよかった。目の前が暗くなったような気がする。


「すごいよねー。ねえ、めーちゃん!めーちゃん?」


私は一言も返事ができないまま、自分の部屋に帰った。


私、朝野芽衣。13歳。失恋することが決まった日の朝の出来事だ。



 


 私の朝は早い。朝の5時半に目を擦りながら起きる。歯磨きを行い髪をくしでとかす。私のチェックに余念はない。朝食を食べさっと口をゆすぎ、制服に着替える。その後、母親の全身鏡を借り、最終チェックを行う。


うん、今日も完璧。


 心の中でそうつぶやき、自室に戻る。そしてそっと耳を壁につけた。隣の部屋の生活音が少しだけ聞こえる。私はマンションに住んでいる。そして防音対策が少しだけ残念なのか、少しだけ音が漏れている。


 しばし10分ほど。


 すると壁の向こうから少し大きな足音が聞こえる。それが玄関に向かうのを感じる。


よし。


 私は玄関に準備していたバックを肩に担ぎ家を飛び出した。


「おはよう!兄ちゃん。」


私は自然に隣に手を振る。


「今日も元気だね。おはよう。芽衣ちゃん。」

彼は自然な笑みを浮かべた。


初恋の人の声がする。彼に会いたくて、でも知られたくなくて。毎日会うために無理やり作った朝のひと時。


そんな日々は幸せだったのかもしれない。




 今日はあまりのショックにいつものルーティンを投げ出し、ベッド上で布団に包まっていた。母親には体調が悪いと言い、仮病を使って学校をお休みした。

それまで毎日が輝いていた、とまでは言わないが毎朝のあいさつが私の活力になっていた。最近は圭一兄ちゃんも受験勉強のため学校に行かない日が増えておりその活力が微妙に落ちていたところに顔面にパンチを食らったのだ。


兄ちゃんは身内補正抜きにしても顔が整っており恋人ができたこともあった。しかし、自分でもこの恋は実らないとわかっていたためショックを受けることはあっても、毎朝のあいさつをやめることはなかった。いつか別かれるだろうし。私が大人になり、年の差が気にならない年齢になったら、そう思いその時のための布石を打ってきたのだ。


それもこれも遠くに行ってしまったらすべて終わり。一人暮らしは自立の始まり。私の知らない遠くの場所で、私の知らない相手と、私の知らない愛を育むんだと思うと起き上がる元気すら出ない。


 私はベッドにうつぶせになり涙を流した。


 



 こんなにショックを受けているのにおなかは減るのか。

 昼を少し過ぎたころ、痛いくらいの空腹に目を覚ました。何か食べるものはないかと思い部屋を出ようとしたところ、どこか違和感がした。ドアの向こうから人の気配がある。今日はお父さんもお母さんも仕事のため、凄く申し訳なさそうに家を出て行ったはずだ。圭一兄ちゃんのお母さんかなと思い、そっとドアを開けた。


 「あれ、起きたの。久しぶりだね。芽衣ちゃん。もう少しでおかゆできるから、部屋で待ってて。」


 そこには今一番会いたかった、でも一番会いたくなかった圭一兄ちゃん本人がエプロン姿で立っていた。

 私はパジャマ姿で立っているのに。私は急いで部屋に戻った。

 

 少し時間を置くと圭一兄ちゃんがおかゆをもってやってきた。175センチほどの身長とは対照に少し小さいお母さんのエプロンを着ていてが少しおかしくて、かわいく感じる。高校時代はサッカーをやっていて、暖房により少しまくられた腕から筋肉が見えとてもかっこよくも見えた。黒い髪と少し大きい黒ぶちのメガネ、そしてとても明るい雰囲気が似合っていると感じた。

やっぱり好きなんだと思ってしまった。


 「おかゆは食べれる?」


 彼はベッドで寝転んでいる私の顔を覗いてくる。彼の顔が目の前にあった。


「食べれる・・・。」


 顔が熱くて、胸が痛くて、いつもの明るい感じで返答が出来なかった。そのせいで、彼はすごく心配そうな表情を浮かべている。自分の事をこんなに心配してくれている。それだけでこんなに嬉しくて肺が痛いくらい膨れる、そんな感覚を覚えた。

 とりあえず気を紛らわせたい。


「なんで圭一兄ちゃんいるの?」


「朝、絵里さんが家に来て、芽衣ちゃんの事を頼まれたんだ。体調悪そうだからみてやって~って。」


 なるほど、お母さんナイス。

私は体を起こし、おかゆを食べ始めた。少しだけレトルトの独特の味がする。しかし彼が作ったと思うと、レトルトも特別おいしく感じる。我ながら単純だと思った。


「体調大丈夫?」


「うん・・・。」


 静寂がこの部屋を支配する。会話が上手く続かない。本当は兄ちゃんと話したいことがいっぱいある。高校はどうだったのか、今は彼女はいるのかとか、東京の事とか。緊張と戸惑いと目の前に好きな人がいる胸の高鳴りで、考えがまとまらない。それにも関わらず脳がショートしているのか頭が働いていない。とりあえず言いたいことを言おう。


「お兄ちゃん。大学合格おめでとう。」


 そう、これだけは言わないと言えなかった。私は毎晩11時には寝るのだが、彼の部屋からする物音がその時間に無くなることはなかった。深夜にふと目覚めたときにも起きている音がする時もあった。日を追うごとにやつれて言っていたのも知っている。その努力がようやく実ったのだ。その結果が自分の望まないものであったとしても、祝わないといけないのだ。

 胸がキュッと締め付けられるのを感じる。ほんとは行ってほしくないって言いたい。


「ありがとう。うん、頑張って受かったよ。」


 彼は満面の笑みを浮かべる。そう、私はこの笑顔に落ちたのだ。この笑顔が見たくて毎朝早起きして元気におはようと言っていたのだ。


「東京行くってホント?」


 母親の勘違いに一縷の望みをかけた。母は少しだけ天然な所がある。聞き間違いかもしれない。


「うん、行くよ。〇〇大学ってところなんだけど、知ってる?」


「知らない。」


 希望は絶たれた。

 態度には絶対出すまいと思っていたが、少しうつむいてしまった。彼は顔を覗きこんできた。


「熱はないみたいだけど。」


 彼は私のおでこに手を当ててきた。不意の接触に顔が赤くなる。彼の手が熱く感じる。ひどく体温が高くなるのを感じる。

「いや、微熱くらいはありそうだね。食べたら寝てようか。」


 私は体の力が抜け、食べる手を止めてしまった。


「食べれない?」


 彼は私の手にあったスプーンを取り、おかゆを掬い私の前に差し出してきた。あーんだ。私は恥ずかしくて、嬉しくて、顔があげられなかった。

 彼はおかゆをふうふうして、私の口にスプーンをねじ込んできた。今さっき食べたよりとてもおいしく感じる。


 きっと彼には悪気はないのだろう。しかし私にとっては残酷だった。きっと私が告白したとしても付き合える可能性はない。明らかに彼の私を見る目は妹に対するものだ。しかもこれから旅立つ身。そんな彼が故郷に恋人を作るわけがないのだ。

 しかしそんな彼から可能性という名の甘い蜜が口に垂れ流される。


衝動的に口から告白の言葉が漏れそうになる。そのたびに彼がスプーンとおかゆが口を塞ぐ。そのたびに私は告白を断られているような気分にもなった。しかし、妹としては彼の優しさに嬉しくなってしまう。


「おいしかった?食べれるならプリンもあるけど。」


「うん、食べる。」


 私は精一杯の笑顔で答えた。何となく吹っ切れた。告白を断られたわけでは無い。しかし何となく間接的に断られた気分になった。


 

 人生初の恋は失恋に終わったのだ。


 



 おかゆとプリンを食べ終わり、大学の事や高校の事、私の事を話しているとお母さんが返ってくる時間になった。窓からは夕日が入りカーテンを部屋を茜色に染め上げる。そろそろ帰ろうかと彼は帰る準備をしていた。

すると彼は何かを思い出したかのようなハッとした表情になった。


「そっか、芽衣ちゃんとはなかなか会えなくなるね。少し寂しく感じるね。」


 彼はふとつぶやいた。


「さみしいの?」


「うん。」


彼は続けた。

「受験の時は元気もらってたから。」


何のことだろう。私は不思議に思った。


「ピンと来てない顔だね。」


彼は苦笑していた。


「受験って毎日自分を追い詰めながらやるんだ。まだわからないと思うけど。その努力が報われるかもわからない勉強を毎日毎日。するとどんどん元気が何かに吸われていって、朝起きても元気が回復してないときもあるんだ。」


「でも、毎朝満開の笑顔で元気よくあいさつと元気が出るような話をしてくれた。芽衣がいたから耐えられたんだ。」


 彼は私の頭に手を置いた。


「ありがとう芽衣ちゃん。芽衣ちゃんがいてくれたから受験に受かったんだ。」


 嬉しかった。今なら告白してもいいんじゃないかと思ってしまうほど。涙が出そうになるほど。気持ちよく吹っ切った私がまた恋に落ちた。ふざけないでほしい。こんなの失恋できないじゃないか。新しい恋に移ることが出来ないじゃないか。彼に執着してしまうじゃないか。クソボケ。


「私も、今日は看てくれてありがとう。今日は楽しかった。」


 告白はきっと今じゃない。今じゃまだ戦える戦力じゃない。そうだ今までずっと待ってたんだ。小学一年生の時から今まで約7年も。後もう数年くらい待ったっていいじゃない。


「お兄ちゃんって、就職の事とかもう考えてる?」


 彼は困惑した表情になった。


「さすがにまだ決まってないけど。どうかしたの?」


 上京するということは地元に帰ってくるということを期待するだけナンセンスだろう。


「うん、東京の方で就職するのかなぁって。」


「まあ、そのつもりだけど・・・。」


 やっぱりそうか。


「お兄ちゃん、東京でも頑張ってね!!応援してるから!!」


 お兄ちゃんには伝えない。私はある決心をした。




 その後すぐにお母さんが帰ってきた。それと同時にお兄ちゃんは自分の家に帰った。私の元気な姿にお母さんは安堵しいつも通りの物が夕食のテーブルに並んだ。私はおなかが減っていたこともありいつもより元気よく食べていた。


「何かいいことあったの?」


 不思議に思ったお母さんは聞いてきた。朝はこの世の終わりみたいな表情をしていた娘が病気が治ると今までにないくらいテンションが高いのだ。それは不思議に思うだろう。

 私はにやりとした。


「私、目標が出来たの。」


お母さんは首を傾げた。


「どんな?」


私はお母さんに宣言する。


「私、奨学金もらって東京の高校行く。絶対に行く。目的を果たすために。勉強して何が何でも東京の高校に行って、○○大学にも行く!!」


 また挨拶を彼に届けるために。そしていつか彼と付き合うために。

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