第10話 月夜のおっさん


「き、来ちゃったって、どうしたんだよ、いきなり」


 俺は分かりやすくどぎまぎした。


 そりゃそうだ。


 好きな女子が、夜、自分の部屋にやってきたんだから。


「なによー。別にいいじゃん。昔はよく来てたんだから、さ」


 咲良はそう言うと、少し強引に俺の部屋に入ってきた。


 そのとき、ふわりとせっけんの良い匂いがした。


 どうやらお風呂あがりらしい。


 よく見ると顔も少し火照っていた。


「む、昔と今は違うだろ!?」


 俺は思わず目を背けた。


 咲良はやたらと露出の多い格好をしていた。


 ……。


 ………………。


 …………………………………。


 …………………………………………………………………もちろん。


 見た目はおっさんである。


 俺はまた混乱した。


 頭を抱えた。


 どう考えりゃ良いんだよ!


 なんとなくエロいんだよ!


 そりゃそうだよ!


 仕草とか匂いとか口調とか、全部咲良だもん!


 風呂上がりの咲良そのものなんだもん!


 これが前までの咲良なら絶対にフルおっきしてるもん!


 理性ぶっ飛んでるかもしれないもん!


 そんくらい可愛いはずなんだもん!


 でも!


 目の前の咲良はおっさんなんだ!


 どのように脳内補正しても!


 外見はどうしようもなくおっさんなんだ!


 ちょっと汗ばんだおっさんなんだよ!


 このおっさんに!


 俺は欲情してもいいのか!?


 あの油の抜けた髪に!


 あの染みだらけの顔に!


 俺のオレは反応してもいいのか!?


 俺のオレもスゲー迷ってるぞ!?


 俺は頭を抱えて懊悩した。


「よっと」


 咲良はベッドに腰かけ、毛深い足をぷらんぷらんさせた。


「あのさー。実はちょっと、話があんのよね」


「話?」


 俺は顔を上げた。


 咲良はうんと頷いた。


「ちょっと前にさ、翔平、神楽さんのこと、聞いてきたじゃない?」


「あ、ああ、聞いたな」


「さっきは言わなかったんだけど……実はさ、ちょっとだけ、彼女と話をしたことがあるんだよね」


「ど、どういうこと?」


「何て言うかさー」


 咲良はちょっと口を尖らせた。


「何て言うか、これ、言ってもいいことなのかなって、ちょっと迷ってて」


「なんだよ。言えば良いだろ」


「そう簡単には判断できないよー。いくら翔平でもさ」


 今度は俺が口を尖らせる。


「なんだよそれ。俺には言いたくないのか」


「だって、私のことじゃないし」


「は?」


「んもう。ほんと鈍いわね」


 咲良は窓の外を見た。


 ちょうど月が浮かんでいるのが見えた。


 真ん丸い、満月だ。


「神楽さんだよ。私じゃなくて、神楽に悪いかもって思ってさ。なんか言えなかったんだ」


 俺は首をひねった。


 ますます分からない。


 どういう意味だろうか。


「……あの、神楽さん、なんていうか」


 咲良はかなり言いにくそうだったが、やがて意を決したように、言った。


「その、なんていうか……最近、やたらスキンシップが多かったんだよね」


「す、スキンシップ?」


「そ。もっとハッキリ言っちゃうと、ちょっとセクハラちっくな感じ」


「セ、セクハラ!?」


「ううん、そんな大袈裟なものじゃないんだけどね。女の子同士だし、別に、そこまで嫌なわけでもないし。でも……なんていうか、触り方がエッチな感じっていうか」


 咲良は頬を赤らめた。


 俺は拳を震わせた。


 神楽のやろう。


 俺の咲良になんてことをしやがる。


「それっていつ頃からだ?」


「最近だよ、最近。2、3回だけだし。そもそも、そこまで触られてもないし。私の勘違いかもしれないしさ」


 いや。


 多分、勘違いではない。


「……少し、神楽と話をする必要があるな」


 俺は思わず呟いた。


「や、やめてよ。別にそんな大したことじゃないんだから。あんたが何か知らないかって聞いたから、答えただけだし」


 咲良は立ち上がり、俺の前に立った。


 と、そのとき。


 いきなりバチンっという音がして。


 電気が消えた。


 咲良はキャっと小さく悲鳴をあげた。


「ごめーん。ブレーカー落ちちゃったー!」


 階下からかーちゃんの声が聞こえる。


 どうやら、ブレーカーが落ちたらしい。


 電力の脆弱な我が家ではたまにあることだ。


 しかし、今日は満月の光のおかげで。


 部屋はそんなに暗くなっておらず。


 俺と咲良は、薄明かりの中で、見つめあっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る