第3話 いやマジこのおっさん誰なの!?


 あれは咲良なんだ。


 あれは咲良なんだ。


 あれは咲良なんだ。


 5月の早朝。


 気持ちの良い春の朝。


 右手を走る電車。


 眩しい日差し。


 ウォーキングをしている老夫婦と、集団登校中の小学生。


 いつもの通学路。


 俺は、俺の少し前を歩く、セーラー服姿のおっさんの背中を眺めながら。


 ブツブツと呪詛のように繰り返していた。


 あれは咲良なんだ。


 あれは咲良なんだ。


 誰がなんと言おうと。


 あれは俺の幼馴染みで、可愛くて、優しくて、そして俺がずっと片思いしている氷見咲良なのだ。


 つと、風が吹いた。


 微かにスカートが靡いた。


 太くて短い、毛むくじゃらの足が露わになる。


 パンツもちょっと見えた。


 俺は危うく自らの両目を潰しそうになった。


 犯罪的だ。


 つか、犯罪そのものだよこれ。


 おっさんのセーラー服姿は懲役ものだよ。


 裁判する必要もねーよ。

 

 有罪ギルティーだよ。


 初犯でも執行猶予なしだよ。


 ただの化け物だよ。


 こんなのが咲良なわけねーよ。


 今朝の決意はいきなり脆くも崩れ去り。


 俺はソッコーで挫折した。


 心がポッキリ折れた。


 ……いや無理っす。


 マジ無理っす。


 この汚いおっさんを――略してっさんを――咲良だなんて、とても思えない。


「おはようございます。翔平くん」


 そのとき、背後から声がした。


 振り返るとクラスメートの吉岡がいた。


 吉岡よしおか彩香あやか


 彼女は咲良の親友である。


 つまり、俺とも友達。


 小学校のときからの縁だ。


 おっとりとしていて。


 穏やかで。


 ちょっと天然な、良いやつである。


「今日は随分と温いねぇ。なんか、こういう日って、嬉しい感じする」


 彩香はにこにこと微笑みながら、おっとりとした口調で言った。


 俺は「お、おう」と返した。


 心臓がバクバク言い出した。


 緊張していた。


 ――さて。


 彩香には、今の咲良はどう見えるのか。


 もしかすると彼女も俺と同じように。


 咲良がおじさんに見えているかもしれない。


 そう思うと、手に汗が滲んだ。


「な、なあ、彩香」


 俺は意を決して口を開いた。


「きょ、今日の咲良、どう思う?」


 彩香は相変わらずのんびりした様子で「んー?」と返事をした。


「どう思うって、何がですか?」


「いやその、なんていうか……咲良のやつ、ちょっとちがくね?」


「あ!」


 俺が口ごもっていると、彩香は少し大きな声を出した。


「もしかして……翔平くんも、見えてます?」


 心臓がどくんと跳ねた。


 マ、マジかよ。


 やはり、彩香も――


 俺と同じように見えていたのか!?


「そ、そうなんだよ」


 俺は眉を下げ、泣きそうな表情になった。


「やっぱり、彩香からもそんな風に見えてたのか」


「うん。咲良ちゃん、なにがあったんだろうって……」


「そうか……やっぱり俺だけじゃなかったんだな」


 なんつーか。


 ちょっとだけホッとしたような。


 その100倍ショックなような。


 俺の頭がイカれてるだけじゃないという安堵もあり。


 でも、咲良が俺以外にもそのように見られているのが可哀想でもあり。


 なんだか複雑な気分だ。


「でもよ、彩香。俺たちからどういう風にみえてても、咲良は咲良だ。俺たちの友達だ。これは何があっても変わらねー。だから、これは俺たちだけの秘密だ。本人には、絶対に気取られないように」


「そうなんです! なんか咲良ちゃん、最近、すごく綺麗になってるんです!」


 ブツブツ言う俺を遮り、彩香は大きな声を出した。


「そっかー! やっぱり翔平くんも気付いてたかー! さすかだなー。やっぱり幼馴染みって強いなー」


 彩香は一人で呟きながらうんうんと頷いている。


「……え?」


 俺は思わず顎をつきだした。


「ど、どういうこと?」


「だからー。咲良ちゃんってば、あれ、絶対にコスメ変えたんですよ。でも、いやー、翔平くん、さすがだなー。あんなちょっとした変化に気付くなんて。やっぱりこれって、愛のパワー!?」


 彩香はジト目になり、このこのー、と言いながら俺の肘をついた。


「え? あ、ああ、そ、そうだよな。や、やっぱなんか違うと思ったんだよな。め、目元とか、ちょっと違うよな」


 俺はあははと乾いた声を出した。


 まあ、ちょっとどころではない変化なわけだが。


 あれはもう変化へんかというより変化へんげなわけだが。


「もう、二人とも、なにしてんのー」


 そのとき、少し前を歩いていた咲良が振り向いた。


 胸に鞄を抱いて、こちらに手を振っている。


 朝の清廉な光を浴びながら。


 少し口を尖らせている。


 ……ああ。


 あれがいつもの咲良なら。


 死ぬほど可愛いはずなんだろうに。


「はいはーい。今いくよー」


 彩香はそう言いながら、咲良の元へと駆けて行った。


 その背中を見ながら思った。


 やっぱり、咲良がおっさんに見えてるのは俺だけのようだ。


 そのことに、心からホッとしていた。 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る