第27話

 仮面に罅が走るように。

 蜂人の女の顔は笑みの形で凝固した。大顎、赤い唇、頬を覆う外骨格、黒々と光沢を放つ複眼、褐色の触覚さえ静止してぴくりともしない。

 無論、それは一瞬。一秒にも満たぬ空隙。

 客商売も長かろう。営業スマイルの鉄面皮を取り繕い、案内人の蜂人は恐縮の体で顎を引く。


「申し訳ありませんお客様。当店は単眼種のメスの取り扱いをしておりません。恐れ入りますが、どうか別の」

「おやぁおかしいねぇ。確かここだった筈だが」


 大仰な所作と驚愕の声を作る。

 案内人の女は背後を振り返るような真似こそしないが、途端に視線は泳ぎ、明らかに周りの反応を気にしていた。

 吹聴されては不味い、と。


「おう、そうだ。この店を出入りしてる単眼種の娘さんを遠目に何度か見たぜ。何やら物々しい御付を引き連れていたんで、てっきり人気の子かと思ってよ」

「見間違いでしょう」

「そんな筈はねぇや。現に俺ぁ、その娘と話をしたことがある」

「……」

「近頃、なにかと物騒だってな。気安くほどよ。姉妹二人暮らしで不安も多かろうと、こちらとしても心配になる。一目顔を見るだけでもいいんだが……どうだい。呼んではいただけんかな」


 睨め上げた虫の顔に表情は無かった。隠し事を突かれた動揺……ではなく。人化により、まだしも人がましかったものが、今やまさしく昆虫の貌を晒していた。

 鋭い顎が一度、打ち鳴らされる。苛立たしげに。


「残念ながら当店ではお客様のご要望にお応えすることはできないようです。今日のところはお引き取りいただきたく」

「そりゃ愛想がねぇな。きっちり払うもん払ってんだ、もう少し飲ませてくれよ」

「お引き取りを」


 ずらりと、黒服が席を取り囲む。湧き出る闇のように。

 蜂、蜂、蜂。合図も交わさず、それらは単一の目的を共有していた。

 愚かな人間種の男を脅し圧する。

 店内を重い沈黙が覆っていた。酒と異種の女生に酔い、乱痴気騒いでいた一秒前が嘘のような重苦しさ。


「ほぉ、見世物小屋がようやく蜂の巣らしくなってきたなぁ。えぇ? くくくっ」

「なにか」

「聞こえなかったか?」


 一触即発。号令の一つも上がれば事は起こる。

 そうしてやってもいい。が。

 テーブルに札束を一つ放る。


「代金だ。勘定は任せるぜ」


 ソファーを立ち、踵を返す。

 黒スーツの垣根が割れる。無数の冷血な複眼に睨まれながら出口へと向かう。


「あぁ釣りは仲良く分けるんだよ。足りねぇ時ゃあ、いつなりと取り立てに来るがいい。待ってるぜぇ。カッカッカッ!」


 背筋を射貫く敵意に殺意が混ざった。

 擽ったいそれらに後ろ手を振って、蜂の巣を後にした。











 煌びやかで品のない極彩色のネオンを浴び、繁華街を歩く。其処彼処の店屋で、路上で盛る酔いどれの笑声を聞く。それらより遠ざかる。

 なるべく人気がなく、なるべく静かな方へ。

 これから演ずる馬鹿騒ぎは闇の中でこそ相応しい。優しい闇、血も痛みも悪意も包み隠せるところ。

 大通りを外れ、路地へ。路地の裏、さらに裏。日中に陽光すら照らぬのだろう。異様に冷涼な空気が満ちる、そこはビルとビルとビルの狭間。異界人種受け入れの為に、急激な都市開発と拡大を余儀なくされたS市の街並は歪だ。

 あるいは、それは望まれ創り出されたのやもしれない。闇、淀み、人の目の届かぬ死腔。異界の奥深くより現世に出でたモノらは、その魂の奥底で故郷を求めている。深淵の暗黒を求めたが為に。

 闇の只中で、ふと、そんなことを考えた。

 帰る場所を求めて止まない。居所を、喉から手が出るほどに欲して、縋る。あの猫の娘子、エルが涙ながらに己に告げたこと。

 変わらないのやもしれない。異なるモノ、人界に在って、人と在ることで自己の目的を達しようとする異類妖獣魔族。種の存続の為に、あるいは生の充足の為に、ただひたらすに欲望を満たす為に。

 皆それぞれが夢を見ている。

 そして時に、自他諸共を贄としてでも、夢の結実を果たそうとする。

 夢か、我欲か。そこに善も悪もない。ないのだろう、本来は。

 それでも。

 俺は邪悪を滅するのだ。この拳で、悪と断じて打ち滅ぼすのだ。

 それがたとえ何であっても。誰であっても。

 お前達はどちらだ。幼子を使って企てを為さんとする、お前達は。この拳にとって、どちらなのだ。


「……来たな」


 闇の向こうから響く足音。やはり己を追って来た。あれだけ挑発したのだ。来てもらわねばこちらが困る。

 路上の中央に陣取って、その到来を待ち受ける。

 そら来た。

 息せき切らせて走り込んできたのは────ニットキャップを被った赤髪の娘であった。


「おぉ? お前さんかい」

「やっと……やっと見付けたぞ! はぁッ、はぁ! はぁ! くっ、はッ! この、ヤロウ……!」


 肩を上下させいきり立つ。膝に手を付き上目遣いに睨みを呉れるその娘は、先日来せっせと己を尾行していた赤崎何某であった。

 洋服屋で撒いた筈の者がどうして。


「はぁ、はぁッ、変身の魔法か、幻術か知らないけどな、私は鼻が利くんだよ! まんまと逃げ切ったつもりだったんだろうがそうは行くか!! お前が今回の事件に関わってんのは明らかだ! 事情、聴取ッ、ふぅ! ふぅッ、いやもう連行だ! 任意とか知るか糞ッ!」

「ふははっ、ここぞとばかり口が悪ぃな。なんだぃ、そっちが素面か?」

「うっさい!! いいから大人しく────」

『ギンジ、奴らだ』


 発奮する娘子がさらに言い募る前に、水晶の鳴動めいて頭蓋に声が響く。

 相棒からの思念。それは警告の調べ。

 彼奴らは林立するビルの間隙から、そこから僅かに覗く夜空よりやって来た。

 いや、降って来た。


「なんだ!?」

「……」


 身の毛もよだつ羽音を響かせ、一つの群が降り立つ。己と娘を狭間に取り込み、道の両端を塞ぐ。

 ひとつ、ふたつ……十を数えて参列が終わる。最後に一匹の蜂人の女が己の背後、五歩の間合に立った。今宵この群の頭目はどうやら奴であるらしい。

 振り返らぬまま、笑声を上げる。


「アフターを頼んだ覚えはねぇんだがな」

「ご遠慮無きよう。サービスに手を抜かないのが当店のモットーです」

「そいつぁ見上げた心掛けだ。それもこんな美人が寄って集ってとは、嬉しくって涙出ちまうねぇ。いやはや体が足りるかどうか」

「ご心配なく、私共ひとりひとりが丁寧にお相手いたします。心行くまで、思い知らせて差し上げます」


 軽口に思いの外、洒落の利いた応えが返って来る。

 当然だ。彼方にとって此方は歯牙に掛けるほどの脅威もない人間種のオス。奴らの複眼には餌か玩具程度にしか映ってはいないのだ。その余裕を崩す理由が無い。

 自分達の裏の事情に通じている小生意気な下等生物を、さてどう料理してくれようか。今の奴らの思案の掛け処はそんなところだろう。

 慢心と油断。

 これほど御し易いものはない。実に好都合。

 問題は。


「蜂の異界人種……ッ! お前ら『コロニー』か!?」


 言うや、娘は後ろ腰から何かを抜き取る。

 黒い棒。一振りでその先端が伸びる。鍔付きの特殊警棒であった。

 警棒を構えて、己を娘は自身の背後に押しやり、周囲を牽制した。


「私はS県警外界事象特殊捜査科の刑事だ! お前達の行動は異界人種の人間種に対する集団での恫喝に当たる! 道を空けろ!」

「……」


 県警の二字を耳にしても、居並ぶ虫人共の反応は薄い。

 娘の耳にこそっと囁く。


「大層勇ましいんだが、どうも迫力不足だそうだぜ」

「なんだとぅ!?」

「カッカッ、どうどう落ち着け。こやつらの強気はなにもお前さんの所為ばかりではない」


 蜂や蟻に代表される群体を構成する虫の異界人種。それらは群の存続をこそ第一と考える。一匹二匹が逮捕され人界から追放されようが、肝心要の群さえ無事ならそれで委細構わぬのだ。

 あるいは、その中枢……女王の身さえ守護されるならば群の幾らかが殺がれようとそれで良い。

 捨て石上等。相手が警察関係者であろうが無茶を働ける。


「……応援を」

「いや、やめておけ」


 悠長に電話を掛けている時間はもうない。

 羽音が響く。闇間に低く。ひどく不快に耳孔を揺さぶる。

 群の中から四つの羽音が中空へ飛び上がる。


「男は殺すな。ある程度痛めつけてから連れ帰る。女は、まあ死んでも構わん」

「だそうだ」

「舐めやがって……!」


 低く、唸りが響く。それは娘子の喉笛が吹き鳴らしていた。

 獣の威嚇。娘はその異常に発達した犬歯を剥く。

 鼻が利く。なるほど、己の姿を見失ってなお追跡し果せた理由が今わかった。


「右から飛んでくる一匹、凌げるか」

「はぁ!? なに言って」

「そら、来るぜ」


 そうしてやはり合図などなかった。群体昆虫、その面目躍如の連帯で羽虫が襲い来る。



 



 

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