第28話

 まずは四匹。二匹対になって前後から。大顎を左右に開き、あるいは腰部から生えた丸い腹、両足の間からその先端の毒針を伸ばして。

 上方から滑空攻勢。


「糞ッ! やってやるよ!!」


 意気軒昂。乾坤一擲。

 顎を開いて飛び込んできた一匹、その喉に警棒の丸い尖端が突き刺さっている。娘は実に正確に、最短の直線軌道で敵を射貫いた。


「見事」


 暢気に感嘆の声を漏らす。

 その娘に並走する。

 左側面から降りて来た蜂、その毒針の鋭鋒を掴み取る。アイスピックをさらに一回りも太くしたような径。それを力任せに引き込み、後ろへ投げる。

 飛んで迫る二匹に投げつける。


「ギャッ」

「グヒ」


 その体長、外骨格の質量を加味しても100㎏はあるまいが。

 壁に三匹諸共激突する。特に、相応の勢いで投擲された仲間に押し潰された二匹は、奇妙な音を吐いて動かなくなった。

 出鼻を挫かれる。無論、敵方の。

 人間を見たことがなかったのだろう。コロニー、異界の犯罪組織と聞いたが、どうやら大戦を経験していない若い世代だ。実に幸いである。


「おまっ」

「伏せろ!」

「ッ!」


 なかなかに良い反応速度。娘が地面に伏せったと同時に、左後ろ蹴りで空間を薙ぐ。躍り掛かってきた蜂人を。

 胸部を捉えた足底に、対手の外骨格を砕いた感触を覚える。

 蹴り足は過たず、娘に突進したその蜂人と、さらに遅れて追随したもう一匹を巻き込んだ。

 その背後、仲間の身体を壁に、死角から腕が伸びる。硬く鋭い節足の指。肉皮はおろか骨すらも削る強度。


「シィッ!」


 しかしてそれも届かねば無用の長物。

 先んじて娘は肉薄した。正しく長物の利を活かして。警棒の間合は徒手の敵よりも長い。早い。速い。

 上段からの打ち下ろしが、対手の手首を粉砕した。

 悲鳴を上げる間も与えず、下方から刺突。腹部へ突き立てる。


「グェア」


 その交錯はまさしく瞬き一つ分。

 対手は突かれた部分を抑えたまま膝を屈して丸くなった。それは虫の死骸の様に似る。いや死んではおるまいが。

 娘は最速最短で敵を無力化し果せた。なるほど、腕っ節だけなら一廉のそれらしい。

 己はといえば、半歩後退しながら肘を後方へ打ち出した。


「ギャブッ!?」


 丁度そこへ躍り掛かって来た蜂の鼻面に肘関節の先端が突き刺さっている。

 大顎が粉砕しなかっただけ、この女は幸運だ。女は体液を吐いて仰向けにゆっくりと倒れていく。

 実時間にして一分にも満たない。しかしここは死屍累々。死骸こそ無きにせよ。

 十と一、居並んでいた蜂の昆虫人種、その八つがアスファルトに転がった。

 残りの三つに向き直る。特に、後ろで物見遊山を気取っていた洒落の利いた女に。

 視線が合うとその複眼が歪む。後退り、手入れの甘い地面に躓く。先刻までの不敵さが見る影も無い。


「まだやるかい。そろそろ体が辛ぇんだがねぇ」

「嘘つけ」


 赤崎の娘子が心底不信げな声で言った。

 今一歩、頭の女に近寄る。

 黒々の複眼に溢れるような怯えを映して、女は叫んだ。


「くっ、薬を使え!」


 聞くや否や、前に並んだ蜂人が二人がジャケットの懐から“それ”を取り出し、口に放った。

 白く細長い、それは……カプセル?


「ギッ、ギギッ、ギギギギギギギガガガガガガガ」

「!」

「なんだ!?」


 奇声を発して蜂人二匹が揺らぐ。蹈鞴を踏み、藻掻く。悶え、苦しみながら。

 その身体が膨張する。肥大する。

 黒いスーツが見る間に張り詰め、あっさりと弾け飛ぶ。

 中から現れたのは黄と黒の縞模様。それは家々の軒先で、林の狭間で、叢の奥で、よくよく見馴れた警戒色。蜂の体色。

 異なるのは規模。尺度。

 巨大な、体長3mを凌ぐ巨躯。巨大なスズメバチ。

 随所に人型の名残を見るが、そんなもの彼方へ吹き飛ばすその大きさ。

 そしてなによりその姿。凶々しいまでの殺意の象形。棘を群生し、触れただけでコンクリート塀に傷を刻き込む強度。

 姿形に加え、その複眼にもまた火炎のような殺意が燃え盛る。

 しかし……己を驚愕せしめたのは、そんな異形の姿ではなかった。

 蟲共の眼光の奥底に、それを嗅いだ。


 ────殺生石の香気!


 何故気付かなかった。この距離で。

 彼奴らが懐から取り出したカプセル剤。十中八九あれこそ殺生石入りの“薬”だったのだろう。

 だのにこの段、これほどの異形化を為すに至るまで捕捉できなかった。


(どうなっている)

『……おそらく、あれは眠っている』

(なに)

『あの石を如何にして薬物などに仕立て上げたかはわからぬが、薬物単体ではあれは疑似的な休眠状態にあるようだ。そして生体に吸収同化した時、初めて活性化するよう何らかの調合が為されているのだろう』


 だとすれば薬物それ自体を感知することは不可能。

 あれが使用されるまで、こちらには対処の手段がないのか。


「愚かな……!」

「やれ! 生け捕りはいい! 二匹とも殺してしまえぇッ!」


 ヒステリックな女の叫びをその化け蟲二匹が理解しているかは定かではない。

 が、目の前の餌を貪る。その一点において命令と行為に齟齬はなく過不足も皆無。

 戦闘ヘリの回転翼ローターの如し、激しい重低音の羽音が建造物すら震撼させた。

 飛来する。我先にと殺到する。塀を砕きビルを削り、空間的猶予の無さで、それらは縦列にならざるを得なかった。

 一匹、下腹部、巨大長大な針の鋭鋒が、鐘楼を打つ撞木の有り様で。

 前転。項を針先の気配が撫でた。

 暴風のような速度でそれは夜天に昇る。

 矢継ぎ早。二匹目。そいつは直接その大顎を開き、食らい付いてきた。


「逃げろ!!」


 後方から娘の叫びを聞き取る。無事であったことに安堵しながら、腰を沈め、拳を握り固めた。

 開かれた大顎の径は、己の胴回りなど容易く超えている。咬まれたが最後、上半身と下半身が破断するのは自明の理……まあ、この肉体にそんながあればの話だが。

 さても、その前に。

 腰溜めから掬い上げる。肘は固定し、肩を支点に、振り子の要領で。脚と腰は発条仕掛けの推進力。その先端、拳という弾頭を射出する。

 大顎を、打ち上げる。


「ずぁあッ!!」


 土台たる足下がアスファルトを抉る。

 蜂の頭部が跳ね上がった。大顎の鎌は間合いを逸れ、己の頭上へ。

 しかし、その体躯の突進力までは殺し切れぬ。


「ぐぉ」


 体当たりを喰らう形で、自身もまた大きく弾き飛ばされた。

 空中を背泳ぎする。下方に、娘子を行き過ぎて、ビルの壁面に背中から衝突した。

 地面に降り立つ。肩にぱらぱらとコンクリートの欠片を浴びた。


「くはっ、痛ぇ痛ぇ。流石に、生身ではこれが限界か」

『やむを得まい』

「お、おい! 大丈夫か!?」


 慌てて娘は己に駆け寄り、肩を貸そうと身を寄り添わせる。


「逃げるんだ! 走れるか!? いや死んでも走れ!」

「いいや、逃げるのはお前さんの方だ。アレの相手こそは己の御役よ」

「はぁ!? 馬鹿言うな! アレはもううちの退魔班じゃなきゃ対処できないレベルだ。糞! あいつら法治国家なんだと思ってんだ!? 私が時間を稼ぐ!」

「お、おいおい」


 警棒を手にして娘が前に出る。上空では二匹の巨大蜂が態勢を立て直しながら、まさに降下してくる。

 夜闇を背にすればなお一層に際立つ巨躯。あれの質量だけで十二分の殺傷能力足り得る。

 それをそんな儚い棒切れで、一体全体どうしようというのか。


「お前は気に入らない! 訳知り顔で、警視ともなんか仲良さそうでムカつく! でも……一般市民を守るのが」


 犬歯を剥いて、娘は吠えた。ヤケクソのように咆哮した。


「私の仕事だ! だから邪魔すンな!! 馬ァ鹿!」


 その小さな背中。己を守ろうと無茶無謀を張る、その背中が。


「気に入った」

「早く逃げ────」


 既にして眼前にその巨躯はあった。閉所とは比べ物にならぬ加速力で降って来た蜂の化物。この巨体にしてこの速度。射掛けた矢の如き、ふざけた速度。

 息を呑む娘子。

 その横顔から前へ。地を踏み砕き、前へ。


略式手甲りゃくしきてっこう!」

清祓一十しんぎひとたり、奮え』


 虚空より出現した烏の謡い。その祝詞と共に光が咲く。花弁の如く美麗な神鏡かがみ

 その神聖なる水面へ右拳を突き入れた。

 光に変わる。粒子に消ゆ。拳の先から肘部関節が、物質から光子へ。うつつからかくりへ。肉と骨が解け、剥き出しの魂魄が新たなにくほねを鎧う。

 極限の痛みは、極天の力へ。

 銀の手甲。そこに埋まる深緑の光砡たま

 その銘は。


「────烈風」


 巨蟲の額を打ち砕き、神気の嵐流が吹き荒れる。









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